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熊本市は2016年7月12日、熊本地震で崩落した石垣から、『人形(ひとがた)』と呼ばれる人物の線刻画が描かれた石を発見したと発表。
この報道を新聞とテレビで知ったとき、自分で目で見たい!と思った。
(2016年7月30日付 熊本日日新聞)
嬉しいことに、 城彩苑の湧々座で公開されることに。
すぐ見に行きました。
生まれてはじめて人形は『こけし』のようです。
これは1600年代前半のものと推測され、加藤時代のものとみられます。
史料が残っていないので、あくまでも推測ではありますが、熊本城調査研究センターによると、『加藤時代の石垣建設における地鎮や祈念の意味があるのでは』とのこと。
400年の築城当時、熊本城の石垣建設は本当に大変だったと思う。山から石を切り出すのも、運ぶのも、そして積み上げるのもすべて人力であり手作業。何度も危険な目にもあっただろう。そういう意味でも、無事工事が終わることを祈るのはよくわかる。
熊本地震で熊本城は甚大な被害を受けたが、築城当時の人々の想いに触れることができ、この貴重な経験は一生忘れないようにしたい。
人形はここから出てきました。
宮内橋横の石垣です。ここは高さ約9メートル、幅約19メートルあり、その大部分が崩落した。
撤去した約400個の石の中から人形がみつかりました。
現在はモルタルが吹き付けられ、ネットで覆われています。
人柱祠(ひとばしらのほこら)
昭和35年(1960)、城下海岸の遊歩道の工事中、日出城の西南端より木棺が発掘された。
棺は岩盤をくりぬいた穴におさめられ、その上に大石が乗せられ石垣の基盤となっていた。
棺の中からは老武士らしき遺体の人骨とともに陶製の翁像が、大石の上からはカブトの金具などが発見された。
大分大学の半田・富来両教授や文化財関係者の調査の結果、日出城築城当時の人柱であろうと推定された。
日出城の築城工事は、城の西南部の地盤が弱く難工事であったと伝えられており、また方位上から城の裏鬼門にあたることなどから、人柱を立てたのではないかと考えられている。
棺の出土した地点の石上には人柱祠が祭られており、その昔の哀れさをしのび、祠に花を飾り香華をたむける人々が後を絶たない。(日出町教育委員会)
熊本地震の数日前、大分の日出城に行った。その時に人柱祠を見た。
熊本城にもこういうことがあったんだろうか? その時は気になったが、地震でそんなこともフッ飛んだ。
それが人形の石が発見され、日出城の人形も再び脳裏に浮かび・・・。
当時、人柱によってお城を災いから守ったのだろう。でも、人柱ではあまりにも、あまりにも・・・。それで人形で代用したのかな。それが日出城はできなかったということかな。
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