新三丁目御門は、撤去されましたが、明治8年(1875年)に「通潤橋(つうじゅんきょう)」や「霊台橋(れいたいきょう)」を造った明治の名石工橋本勘五郎が、東京「日本橋」、皇居「二重橋」を架設したのち、帰郷し架設されたので「明八橋」と呼ばれ、熊本市を流れる坪井川に架かり、新町2丁目と西唐人町を結んでいます。昨年5月から1年間、殿さまの命により、肥後城下町の探索を続けてきましたが、新たに熊本領内の探索を命じられ旅に出ます。暫くの間皆様とお別れです。いつの日か新たな藩内の情報をお知らせできる事を楽しみにしています