横浜線の途中何度か通ることはあっても駅に降りたのは45年ぶりくらいになるであろうか。
昭和47年3月に大手運送会社の事務員として就職して配属されたのが、この近くの新羽営業所であった。最寄りの駅は小机駅で、駅前のモータースでバイクを買ってジムに通っていたものだった。
そのバイク屋がシャッターが下りてはいたがまだ看板が残っていてしばらく佇んだねぇ。
運輸局に行ったのは無駄骨だったのだが、その帰り市営バスに乗って新横浜駅までぐるりと回ったが、地下鉄で新羽駅もできていてビックリ、もちろん40年もたつと当時の面影はないのだが、
このあたり一面田んぼでカエルが夜通し鳴き、ザリガニを初めてみてびっくりしていたものだった。
横浜というから、都会だと思っていたのだが、私の田舎と変わらないではないか、落胆をしながらも鶴見川沿いを毎朝ロードワークで走っていて希望にあふれていたねぇ。
その当時は港北区新羽町、今はその隣の鶴見区に引っ越しして一軒家に住み始めた。上流下流の違いはあっても同じ鶴見川沿いである。これも何かの縁だろう、そう思っている。
昼に戻ってくると日がさしこんできて晴れてきた。ここぞとばかりに室内に干してあった洗濯物を出したが、主婦業もやっているのだ。
引っ越し案内にも取り掛からねばならない、明日の合宿の用意もある。