今日が西郷南洲の命日で、月刊空手道の連載では一日勘違いをしてしまった。
明治10年9月24日、西南戦争において決着の時、官軍総攻撃が始まり、いよいよ西郷為永が洞窟から出て7時20分ごろ弾丸が足を打ち抜き「このへんでよか」と言って、自決したそうであるが、その時刻は遠く鹿児島に向かって手を合わせている。
その西郷さんよりも10年以上も長生きしている。平和な世の中において平凡ながらも無事に過ごせているのだが、このような歴史の上に今があるということを忘れてはならないんだねぇ。
戦後70年、平和に暮らしてこの平和を守るということはもちろん大事なのだが、「治にいて乱を忘れず」自由をはき違えて、ワイワイ叫んでいる輩もいる。
「桐一葉 落ちて天下の秋を知る」桐の葉っぱが落ちて秋を知るようではすでに手遅れ、という意味も知らないといけないのではないのかね。
温故知新を通じて歴史を垣間見ているのだが、不幸な歴史は繰り返してはいけないが、歴史に学ぶ、ということも大事だと思っている。