

(財)ながの観光コンベンションビューローによると、第2次世界大戦の末期、本土決戦最後の拠点として大本営、政府各省等を松代に移すという軍部の極秘計画のもとに構築した地下壕です。着工は昭和19年11月から翌年8月15日の終戦まで約9ヶ月の間に当時のお金で約2億円の巨費と延べ300万人の住民および朝鮮の人々が労働者として強制的に動員され、過酷な条件下で多くの犠牲者を出したと言われます。西条口(恵明寺口)から500m(案内板の画像の青色の部分)の区間を見学できるようになっています。 と記されています。
松代象山地下壕は、舞鶴山(現気象庁精密地震観測室)を中心に皆神山、象山の3箇所に碁盤の目のように掘り抜かれ、その延長は10Km余りに及んでいるそうです。全工程の75%の時点で終戦となり工事は中止されたとのこと。
戦後は、訪れる人も少なく忘れ去られようとしていたのを太平洋戦争の遺跡として多くの人々にこの存在を知って欲しいと平成2年から見学できるように整備されたそうです。
松代象山地下壕の現況 総延長:5,853.6m 概算掘削土量:59,635㎥ 床面積:23,404㎡








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左:舞鶴山の地下御殿(現気象庁精密地震観測室)入口
右:地下御殿の案内板(画像をクリックすると拡大します。戻るときは「戻るボタン」をクリック)


左:天皇および皇后の間の案内(画像をクリックすると拡大します。戻るときは「戻るボタン」をクリック)
右:現気象庁精密地震観測室の建物(地上部分)(この景色を見ると、何故かホットしますね)
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