130号の大きな作品の20㌫も進んでいない画面に、こんな「すっ呆けたDon Quixote」の顔を見つけたのです。 そうなんだ、こんな顔をして(浩然)と生きて居たいとも思いながら、将来の「これは何なのだろう」と考えて仕舞うのです。つまり「理系の思考」なのだそうです。逆に「この顔をどうすればいいか」を考えるのは「文系の思考」なのだそうです。
養老孟司対談集「文系の壁。」の、冒頭の森博士との対談に出てくる解り易い解説です。。
「花」だってたくさん描いています。 「花」が描きたいと特に思ったことは記憶しません。
なのに知らず知らずに沢山の「花」を描き続けています。 もちろん、同じときに描いたものではないのですが、それぞれに「花は花なりの」表情を、その時の表情として描いているのですね。
抽象的な構成で、「作品」にしようとした時の作品は、 それなりの思いが漂う作品になっています。
国基本的な「一本だけの花」 花は、どんなはなでもいいのです。わたしにとっては・・・。 この「華」等は、どの季節にでも咲いているような花を「シンメトリック」に描いたものです。
個の゛花」もsymmetryな構成です。 私も、ひょっとして、きっちりした性格なのかも知れないなと、苦笑して終って居ます。