風の樹人日記

写真付きで日記や趣味を書く

花には、花のその時の佇まいがあります。「すっ呆けた顔」でその「時間」を共有している私です。

2015年08月11日 | 日記

     130号の大きな作品の20㌫も進んでいない画面に、こんな「すっ呆けたDon Quixote」の顔を見つけたのです。                そうなんだ、こんな顔をして(浩然)と生きて居たいとも思いながら、将来の「これは何なのだろう」と考えて仕舞うのです。つまり「理系の思考」なのだそうです。逆に「この顔をどうすればいいか」を考えるのは「文系の思考」なのだそうです。

  養老孟司対談集「文系の壁。」の、冒頭の森博士との対談に出てくる解り易い解説です。。

     「花」だってたくさん描いています。 「花」が描きたいと特に思ったことは記憶しません。

 なのに知らず知らずに沢山の「花」を描き続けています。  もちろん、同じときに描いたものではないのですが、それぞれに「花は花なりの」表情を、その時の表情として描いているのですね。 

  抽象的な構成で、「作品」にしようとした時の作品は、  それなりの思いが漂う作品になっています。

       国基本的な「一本だけの花」 花は、どんなはなでもいいのです。わたしにとっては・・・。                        この「華」等は、どの季節にでも咲いているような花を「シンメトリック」に描いたものです。

                           個の゛花」もsymmetryな構成です。  私も、ひょっとして、きっちりした性格なのかも知れないなと、苦笑して終って居ます。