人身売買報告で日本格下げ 米国、技能実習生など問題視 朝日新聞デジタル 2020.6.26
米国務省は25日、世界の人身売買に関する年次報告書を発表した。日本については、外国人技能実習制度や児童買春の問題を取り上げ、「取り組みの真剣さや継続性が前年までと比べると不十分だ」として、前年までの4段階のうち最も良い評価から、上から2番目の評価に格下げした。
今回不十分と判断したのは、人身売買の摘発件数が前年より減ったことなどを考慮したためという。報告書ではこれまでも日本の技能実習制度を問題視してきたが、今回は「外国人の強制労働が継続して報告されているにもかかわらず、当局は一件も特定しなかった」とし、「法外な手数料を徴収する外国の仲介業者を排除するための法的措置を、十分に実施していない」と改善を求めた。
人身売買問題を担当するリッチモンド大使は記者会見で、「技能実習制度の中での強制労働は長年懸念されてきたことで、日本政府はこの問題にもっと取り組むことができるはずだ」と指摘した。(ワシントン=大島隆)
現代日本社会に奴隷的存在の人々が現存している。そのような人々の存在を日本政府は制度として認めていると米国国務省が年次報告書で発表している。アメリカ国内にあっても有色人に対する差別が半ば公認されているようなことがあるようだから、日本をそれほど批判できる国でもないようだ。アメリカ国内にあっては1960年代の公民権法の成立まで黒人差別が制度として存続していた。アメリカ合衆国が黒人奴隷制を廃止したのは南北戦争の最中のことであった。
「南北戦争の激烈な戦いが3年目に突入したとき、エイブラハム・リンカーン大統領は連邦軍の兵士たちに新たな戦争を意味する決定を下した。1863年1月1日、リンカーンは奴隷解放宣言に署名、それは合衆国に公然と反旗を翻している州の奴隷たちを解放する効果があった。南北戦争は急速に、連邦を保持する闘いのみならず、すべての米国人に自由を浸透させるための大義となった。直近に開放された奴隷たちの多くが連邦軍や海軍に加わり、他の奴隷達のために勇敢に闘った。
奴隷解放宣言はボストン、ニューヨーク、ワシントンDCをはじめ各地で大歓迎された。しかし宣言が現実のものとなるには、さらに多くの戦闘を必要とした。1865年に南北戦争が終結するまでに、ほぼ20万人にのぼるアフリカ系米国人が連邦軍の戦闘に連なった。同年12月、米国憲法が修正され、米国のあらゆる地域に暮らすすべての奴隷が自由の身となった。合衆国憲法修正13条は、奴隷解放宣言が端緒となったその作業を完結させ、米国のすべての奴隷制度は終焉を遂げた。」
アメリカ国務省文書より
リンカーン大統領は徹底したリアリストであった。大統領リンカーンはあくまでもアメリカ合衆国の大統領であった。アメリカ南部がアメリカ合衆国から分離独立することを許さなかった。このことが第一義的なことであった。1850年代ストウ夫人の書いた小説『アンクル=トムの小屋』がベストセラーになるとリンカーンは奴隷制廃止に理解を示したが、南部諸州が合衆国に留まり、北部諸州に奴隷制度が広まることがなかったら南部諸州の奴隷制度存続を認めていた。リンカーンは奴隷制度そのものを否定する考えを持っていたわけではない。現実のあるがままのアメリカを受け入れていた。この現実が存続することを望んでいた保守政治家であった。高い理想を掲げる政治家ではなかった。
19世紀後半、アメリカ合衆国にあっては確かに1863年の南北戦争最中に「奴隷解放令」を発布したが、これは「奴隷解放令」を発布した方が南北戦争を北部が有利に展開できると判断したからこそリンカーンは黒人奴隷の解放を実現した。であるが故に黒人奴隷解放は不十分なものにならざるを得なかった。その後100年たっても黒人差別は基本的になくなっていない。
社会の進歩は少しずつしか進まない。移民の国、アメリカ合衆国には、「ホワイト・アングロ-サクソン・プロテスタント」、WASP(ワスプ)を頂点とする階層性社会が存在している。この階層性社会に対する抵抗運動か起き。アメリカ社会はより自由で民主的な社会を目指して変わろうとしている。この階層性社会を打破しようとする人々の運動が今アメリカでは起きている。日本でもまた技能実習制度を改革していこうとしている人々がいる。