方丈記 17
原文
抑(そもそも)、一期(いちご)の月影かたぶきて、余算の山の端(は)に近し。たちまちに、三途の闇に向はんとす。何の業(わざ)をかかこたむとする。仏の教へ給ふ趣(おもむき)は、事にふれて執心(しふしん)なかれとなり。今、草菴を愛するも、閑寂(かんせき)に著(ぢやく)するも、障(さは)りなるべし。いかゞ、要なき楽しみを述べて、あたら時を過ぐさむ。しづかなる暁(あかつき)、このことわりを思ひつゞけて、みづから心に問ひていはく。世をのがれて、山林にまじはるは、心を修めて道を行はむとなり。しかるを、汝、すがたは聖人(ひじり)にて、心は濁りに染(し)めり。栖(すみか)はすなはち、浄名居士(じやうみやうこじ)の跡をけがせりといへども、保つところは、わづかに周利槃特(しゆりはんどく)が行にだに及ばず。若(もし)これは貧賎の報のみづからなやますか、はたまた、妄心(まうしん)のいたりて狂せるか。そのとき、心、更に答ふる事なし。只、かたはらに舌根(ぜつこん)をやとひて、不請阿弥陀仏(ふしやうのあみだぶつ)両三遍申てやみぬ。
于時(時に)、建暦のふたとせ、やよひのつごもりごろ、桑門の蓮胤、外山の菴にして、これをしるす。
現代語訳
そもそも、人間の一生の後半生は残っている寿命の山の端にいるようなものだ。たちまちにして三途の川に向かおうとしている。今さら何を言うことがあろうか。仏が教えていることはどのような事にも執着してはならないという事だ。今、私は草庵を愛しみ、閑寂にいることに執着しているのかもしれない。これ以上、何の役にも立たない楽しみを述べて、残り少ない時間を過ごそうとしているのか。静かな夜明けの時間に、この道理を観想し、我が心に問うている。世俗を離れ、山林の中に入ることは、心の修養と戒めを守るうとすることである。なぜなら私の姿は聖人の格好をしているが心は汚れていた。住家は正に浄名居士維摩の方丈に似せてはいるが、その修行はあの愚鈍な周利槃特(しゆりはんどく)にも及ばない。これはもしかして貧賤の因果の応報か、はたまた煩悩ゆえに狂ったのか。その時、心は何の反応もなかったのか。ただ自堕落に口を動かし、不精な阿弥陀仏を二、三弁唱えてそれで終わった。
時に建暦二年三月末ごろ、僧侶の蓮胤(れんいん)、山の中の庵にてこれを書く。
読み終わっての感想 白井一道
人間の一生も終わってみればあっけないもののようだ。そうした蟻の集団のような人々の集団の一人一人がそれぞれの生活を営み、終わっていく。そうした人々の生活の営みが歴史を創っていく。大河の流れになって大海へとそそがれていく。
800年前に生きた人も現代に生きる人も気持ちは同じだということを『方丈記』を読み実感した。800年前の日本には災害が多かった。その災害の規模が今では考えられないくらいに大きなものであった。この日本の災害は変わることなく、現代にあっても毎年、災害が襲い来る。特に大きな災害は2011年に起きた「東日本大震災」であった。この地震による津波が原子力発電所を襲い、地震によって破損した原子力発電所が破壊された。絶対安全だと云われていた原子力発電所がちっとも安全なものではなかったことが明らかになった。原子力発電所の立地していた地域に住む人々は故郷を奪われた。このような災害は昔はなかった。災害が過ぎれば元に戻ることが可能であったが永遠に土地を奪われてしまった。決して人間が住むことができない地域ができてしまった。空前にして絶後の大災害が科学技術が発展した国において起きてしまった。
鼻高々と科学技術文明を誇っていた人間の鼻をへし折ったのは自然を痛めつけた人間への自然からの復讐だった。もっと自然に対して謙虚になれと人間へのメッセージであった。自然と折り合う以外に人間は生きていけない。自然に耳を傾け、自然を謙虚に受け入れる以外に人間は生きていくができないということを教えてくれたのが2011年に起きた大災害、「東日本大震災」であった。この災害の後遺症は永遠に残り続けるようだ。数万年の単位でしか、放射能を無害化することはできないようだ。
人間の一生とは自堕落に口を動かし、いい加減な阿弥陀仏を唱えるのが精一杯のようだ。