醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1440号   白井一道

2020-06-16 09:55:07 | 随筆・小説



   方丈記 11



 わが身、父方の祖母の家をつたへて、久しくかの所に住む。其後、縁かけて、身おとろへ、しのぶかたがたしげかりしかど、つひに 屋とヾむる事を得ず。三十あまりにして、更にわが心と、一の菴をむすぶ。是をありしすまひにならぶるに、十分が一也。居屋ばかりをかまへて、はかばかしく屋をつくるに及ばず。わづかに築地を築けりといへども、門を建つるたづきなし。竹を柱として車をやどせり。雪降り、風吹くごとに、あやふからずしもあらず。所、河原近ければ、水難も深く、白波のおそれもさわがし。
 すべて、あられぬ世を念じ過しつゝ、心をなやませる事、三十余年也。其間、をりをりのたがひめ、おのづからみじかき運をさとりぬ。すなはち、五十の春を迎へて、家を出で、世を背けり。もとより妻子なければ、捨てがたきよすがもなし。身に官禄あらず、何に付けてか執を留めん。むなしく大原山の雲にふして、又五かへりの春秋をなん経にける。

現代語訳

 私は父方の祖母の家を継ぎ、長い間そこに住んでいた。その後、縁が徐々に薄くなり、私の立場も弱まり、遂に家にいることが難しくなった。三十余りになり、よく考えて一つの庵を結ぶことにした。
 この庵を今までの住まいと比べてみると十分の一位小さい。居間ばかりの住まいで、それ以上大きな住まいを作ることができなかった。僅かに土塀を築いたとはいえ、門を作る予算がなかった。竹を柱にして車入れを作った。雪が降り、風が吹く度毎に心配しないことはなかった。場所が鴨川に近かったので浸水すると深く、白波が打ち寄せて騒がしい。何事も、こんな世でいいのかと思いつつ心を悩まして三十余年になる。その間の意に反する事々に自らの不運を悟った。すなわち五十の春を迎えて、家を出て遁世した。もとより妻子がいなかったので、捨てがたいしがらみもない。私には年金もなく、執着するものがない。ただこうして大原山の雲に寝包まって五回の春秋を経験したのである。

 無一物(むいちもつ)ということ  白井一道
 無一物、むいちもつ。人間は、本来、何も持たない。
汚れも罪もなく病気も苦悩も無い。
何も無いはずなのに
何故か現実には誰かが誰かを恨んでいたり、
バチが当たると思っていたり、自分は罪深いと思ったり、
何も悪い事はしていないのに世の中は自分の味方をしないと考えていたりする。
そして、それを口に出して言い、
聞いた人がその通りだと思うと状況は益々、悪化してしまう。
想念も類は共を呼ぶから、悲観的に考え出したら、
悲観的に考える者同士で集まって、糸口が見出しにくくなるからだ。
そして、自分の周りだけ見て、それが世界だ。
人生だと、かんがえていたりする。
一度、死に直面した人は、人生観が変わるという。
生きていくのに最小限のものがあればいい。
余分な欲に苦しまなくなったという。
本当に最小限のものは、巡り巡って神様が準備してくれる。
空の小鳥も野の花も「明日の食べ物をどうしよう?」なんて悩まない。
いつも何か求め、一つ持つと、
次のもう一つを得ようとする人間のサガが消えたら、
きっと心の平和が来る。
きれいさっぱり、自分も貴方も根底は仏の心。
と信じちゃおう。
根底は、「アナタも私も全宇宙も神様の心。それ以外、何もない。」
と一度、考えてみませんか。
それに気付くまでの旅が人生だし、もっと理解したら人間卒業できるよね。
でも、信じきれないから、人間って「ああでもない、こうでもない」と
壮大なドラマを繰り広げて、泣いたり笑ったりしている。
貴方も私も星も石も同じ宇宙の一部で、波動や粒子の集まりです。
光とオンナジようなものです。
無一物中無尽蔵(むいちもつちゅうむじんぞう)
何も無い中に何もかも有る。『禅語の部屋』より