醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1194号   白井一道

2019-09-23 12:12:15 | 随筆・小説



    徒然草二二段   『何事も、古き世のみぞ慕はしき』



 「何事も、古き世のみぞ慕はしき。今様は、無下にいやしくこそなりゆくめれ。かの木の道の匠の造れる、うつくしき器物も、古代の姿こそをかしと見ゆれ」。

 どのような物も昔のものほど慕わしいものはない。今の物はやたらと卑しいものになっていくようだ。昔の指物師や漆芸師が造った美しい器物の形ほど美しいものはないようだ。

 「文の詞などぞ、昔の反古どもはいみじき。たゞ言ふ言葉も、口をしうこそなりもてゆくなれ。古は、「車もたげよ」、「火かゝげよ」とこそ言ひしを、今様の人は、「もてあげよ」、「かきあげよ」と言ふ。「主殿寮人数(とのもりょうにんじゅ)立て」と言ふべきを、「たちあかししろくせよ」と言ひ、最勝講(さいしょうこう)の御聴聞所(みちょうもんじょ)なるをば「御講(ごこう)の廬(ろ)」とこそ言ふを、「講廬(こうろ)」と言ふ。口をしとぞ、古き人は仰せられし」。

 手紙の文章などは特に昔の書き損じたものに貴重なものがある。ただ話す言葉も残念なものになってきているようだ。昔は、牛車に牛をつけることを「車もたげよ」と言い、灯火の灯心を掻き立てることを「火をかかげよ」と言ったものだが、今では「もてあげよ」とか「かきあげよ」などと言う。「主殿寮人数(とのもりょうにんじゅ)立て」と言ふべきところを「松明で明るくせよ」と言い、学問に名声ある僧を迎え、五月中の五日間、清涼殿において『金光明最勝王経』を天皇が聴かれるところが御聴聞所(みちょうもんじょ)であるから「「御講(ごこう)の廬(ろ)」と言うべきところを単に「講廬(こうろ)」と言う。昔を知っている古老の方が残念なことだとおっしゃっている。

 言葉の乱れを嘆く女流作家の文章がある。その中心の一つが「ら」抜き言葉である。
 東京語では、大正の末から昭和の初めにかけて使われ始め、戦後は特によく使われるようになったという。「見られる」と言うべきことを「見れる」と言う。何か、だらしないなぁーという印象を私なども感じてしまう。若い職員と一緒に泊を伴う出張をした時など「もう寝れる時間ですか」などと聞かれると言葉を直したくなるような気持ちが起きる。
 私より幾分上の世代の職員が「ら」抜き言葉は一般化するのではないかと趣味で小説を書いている職員が言っていたのを思い出す。
 不変のように思われる言語も変化して行くものなのかもしれないが私は矯正したいと切に思うものである。
「見れる」「起きれる」「寝れる」「食べれる」「来これる」など、「~れる」の形で可能の意味を表す下一段活用の動詞に変化が起きている。「見られる(ミルの未然形ミ+助動詞ラレル)」「起きられる(オキルの未然形オキ+助動詞ラレル)」「寝られる(ネルの未然形ネ+助動詞ラレル)」「食べられる(タベルの未然形タベ+助動詞ラレル)」「来こられる(クルの未然形コ+助動詞ラレル)」などのように、「~られる」の形が本来の正しい言い方である。これらの動詞に対して「乗る」「釣る」「登る」など五段活用の動詞から生じる下一段活用の可能動詞「乗れる」「釣れる」「登れる」などの影響が可能の意味を表す下一段活用の動詞に与えた結果、変化が起きたのではないかと言われているようだ。
今までは「見る」「寝る」「来くる」など、主として語幹が一音節の動詞から「ら」抜き言葉は生じたものであろうと考えられてきたが、近年は、「どんな大学でも〈受けれる〉成績」「朝早くはなかなか〈起きれ〉ない」などのように、語幹が二音節またはそれ以上の音節の動詞にも及んできているようだ。
一四世紀に生きた吉田兼好法師の時代から現代にいたるまで言語は絶えず変化してきている。その時代、その時代の日本語の美しい言葉を綴ったものが文学のようだ。現代のわれわれが『徒然草』を読み、大変な名文なんだと私も年を経て感じられるようになった。確かに現代日本語は乱れているのかもしれないが、この乱れた現代の日本語を用いて美しい文章を編み出している文学者がいる。例えば小説『笹まくら』を書いた丸谷才一がいる。徴兵忌避し、逃げ回った男の気持ちが私の胸に染みた。こんな文章が書けるなんて凄いなと心底感じたものだ。それ以来、私は丸谷才一の読者になった。彼の食べ歩きの文章など『笹まくら』の文章と同じような印象を受けたものだった。