醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1186号   白井一道

2019-09-14 11:42:33 | 随筆・小説



    徒然草十四段 「和歌こそ、なほをかしきものなれ」



 「和歌こそ、なほをかしきものなれ。あやしのしづ・山がつのしわざも、言ひ出でつればおもしろく、おそろしき猪のししも、「ふす猪の床」と言へば、やさしくなりぬ」。
 和歌ほど情趣深いものはないだろう。身分の低い襤褸をまとっている者や木こりを歌に詠んでみれば趣きが出てくる。恐ろしい猪も「ふす猪の床(冬、猪が枯れ草を集めて寝るところ)」と詠むと優しい猪になる。

 「この比の歌は、一ふしをかしく言ひかなへたりと見ゆるはあれど、古き歌どものやうに、いかにぞや、ことばの外に、あはれに、けしき覚ゆるはなし」。
 この頃の和歌は一か所ほど、これはというところはあるが、昔の和歌のように言葉の醸す内容が豊かに想像力を刺激するものはない。
「貫之が、『糸による物ならなくに』といへるは、古今集の中の歌屑とかや言ひ伝へたれど、今の世の人の詠みぬべきことがらとは見えず。その世の歌には、姿・ことば、このたぐひのみ多し。この歌に限りてかく言ひたてられたるも、知り難し。源氏物語には、『物とはなしに』とぞ書ける。新古今には、『残る松さへ峰にさびしき』といへる歌をぞいふなるは、まことに、少しくだけたる姿にもや見ゆらん。されど、この歌も、衆議判の時、よろしきよし沙汰ありて、後にも、ことさらに感じ、仰せ下されけるよし、家長が日記には書けり」。
「糸によるものならなくに別れ路の心ぼそくも思ほゆるかな」と紀貫之が詠んだ歌は『古今集』の中の屑のような歌だと言い伝えられているけれども、今の人が詠みおおせるような歌ではない。『古今集』時代の歌には、その姿や言葉遣いに同じようなものが多い。貫之のこの歌に限ってこのように言われるのかがわからない。「物ならなくに」という言葉を『源氏物語』には「物とはなしに」と、書いている。『新古今和歌集』にある「冬の来て山もあらはに木の葉降り残る松さへ峯にさびしき」という歌を歌屑だと言われているようだ。確かに少しすらりと読み下されていないようにもみえる。されど、この歌も歌合せの席での衆議判の時、なかなか良いではないかという判定が下った。後になっても更に分かりますとおっしゃって下さったと「源家長日記」にある。

「歌の道のみいにしへに変らぬなどいふ事もあれど、いさや。今も詠みあへる同じ詞・歌枕も、昔の人の詠めるは、さらに、同じものにあらず、やすく、すなほにして、姿もきよげに、あはれも深く見ゆ」。

歌の道に限って昔と変わることはないということがあるが、さて、どうだろうか。今も良く詠まれている同じ言葉や歌枕は昔の歌人が詠んだものとは同じものではない。言葉は分かりやすく、率直であり歌の姿は清く、趣きが深い。

「梁塵秘抄(りょうじんひしょう)の郢曲(えいきょく)の言葉こそ、また、あはれなる事は多かンめれ。昔の人は、たゞ、いかに言ひ捨てたることぐさも、みな、いみじく聞ゆるにや」。

「梁塵秘抄の謡ものの言葉にこそ、情趣の深いものが多い。昔の人は、ただ無造作に使った言葉でさえも、みな素晴らしいなぁー。
「梁塵秘抄」は、平安末期の歌謡集。
「郢曲(えいきょく)」は当時の謡もの。

最近、戦前、戦中、戦後の歌謡曲を歌う楽団があることを知った。「東京大衆歌謡楽団」である。浅草や上野の街頭で歌っている楽団である。私が子供だった頃、聞いたことがあるような歌謡曲である。そのうちの一つが「上海帰りのリル」である。

船を見つめていた
ハマのキャバレーにいた
風の噂はリル
上海帰りのリル リル
あまい切ない 思い出だけを
胸にたぐって 探して歩く
リル リル 何処に居るのかリル
だれかリルを 知らないか

今、流行の歌謡曲に比べて「あはれなる事多く、いみじく聞ゆる」ようにも感じるな。昭和26年にヒットした歌謡曲のようだ。古き歌には哀れ深い趣きがあるように感じる。