徒然草二一段 『万のことは、月見るにこそ、慰むものなれ』
「万のことは、月見るにこそ、慰むものなれ。ある人の、『月ばかり面白きものはあらじ』と言ひしに、またひとり、『露こそなほあはれなれ』と争ひしこそ、をかしけれ。折にふれば、何かはあはれならざらん」。
いろいろな心配事は、月見をすると慰められるものだ。ある人が、月見ほど楽しいものはないと言ったことに対して、また一人の人が露ほど趣きあるものはないと言い争いをしたことは面白い。折にふれ、その時々に興趣というものは現れてくるものだ。
「月・花はさらなり、風のみこそ、人に心はつくめれ。岩に砕けて清く流るゝ水のけしきこそ、時をも分かずめでたけれ。『げん・湘、日夜、東に流れ去る。愁人のために止まること少時もせず』といへる詩を見侍りしこそ、あはれなりしか。嵆康(けいこう)も、『山沢に遊びて、魚鳥を見れば、心楽しぶ山沢』と言へり。人遠く、水草清き所にさまよひありきたるばかり、心慰むことはあらじ。
月や花はさらにそうだ。「おしなべて物を思はぬ人にさへ心をつくる秋の初風」と詠われてるように風ほど、人にいろいろ気持ちを起させるものはない。岩に砕けて流れていく川の様子こそ四季を通じて美しいものはない。沅水(げんすい)や湘水(しょうすい)は日夜、東にある都、長安の方に流れ去る。流れ去っていく川の流れを愁う人の気持ちを思って留まることをしないという詩を読むことほど無常観を感じることはない。竹林の七賢人の一人、嵆康(けいこう)も山や川の流れる沢に遊び、魚や鳥を見ると心から楽しめると言っている。人里から遠く離れ、川や草の生える水辺を散策することほど、心慰むことはない。
若者のグループに紛れ込み、日曜日、奥多摩の渓流に遊びに行った。酒が飲めるのかなと思って参加したが酒を飲む機会はなかった。電車を乗り継ぎ、歩いて川辺まで行った。現地に着くと自動車で来たものが大きな鍋を持ってきていた。河原の石を運び、竈を作った。里芋を洗い、皮を剥く。長ネギを切る。蒟蒻を千切る。牛肉のばら肉を切り、大鍋に入れる。川から汲んできた水を鍋に入れる。
私は二、三人の仲間と一緒に山の中に薪を拾いに行った。竈に戻ると火を付けるところだった。河原で竈を作り、火を燃やし、鍋を煮る。ただそれだけの遊びである。
山形出身の者が芋煮会だと言った。ただ十数人の仲間を募り、山の中の川辺でそこに吹く風に当たりながら、鍋を作り、食べるだけのために荷物を自動車の載せ、時間をかけて運び、協力して鍋を作り、食べるだけの会であった。それでもその思い出は残っている。酒を飲む会でもなかった。女性職員も参加していた。しかし調理は男が中心になって行っていた。女性職員は鍋のまわりに座り、丼によそっていた。
山形の芋煮は醤油の味だという話をしている者から故郷の話を聞く会でもあったように思う。実にさわやかな会であったような印象が今も残っている。