醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1187号   白井一道

2019-09-15 11:23:57 | 随筆・小説



徒然草十五段 『いづくにもあれ、しばし旅立ちたるこそ、目さむる心地すれ』



 「いづくにもあれ、しばし旅立ちたるこそ、目さむる心地すれ」。

 どこであろうと、しばらく旅に出てみると、目のさめるような新鮮な気持ちになることがある。

「そのわたり、こゝかしこ見ありき、ゐなかびたる所、山里などは、いと目慣れぬ事のみぞ多かる。都へ便り求めて文やる、「その事、かの事、便宜に忘るな」など言ひやるこそをかしけれ」。

 そのあたりをあちらこちらと見歩いていると田舎びた所や山里などは、特に見慣れないことが多い。都へのつてを求めて手紙を送る。「あの事やかの事を都合をつけ忘れずにやっておいてくれ」と書き送ることもおもしろい。

「さやうの所にてこそ、万に心づかひせらるれ。持てる調度まで、よきはよく、能ある人、かたちよき人も、常よりはをかしとこそ見ゆれ」。
 
 旅先にいてこそいろいろなことに心配りができるというものだ。身の回りの道具類まで良いものは一層良く思え、知力や芸のある人、姿かたちの美しい人もなほ一層常日頃より引き立って見えるものだ。
 「寺・社などに忍びて籠りたるもをかし」。

 寺や社などにひっそり隠れて籠るのも興味深いものだ。

 
 旅と旅行は同じか
 「可愛い子には旅をさせよ」という諺があった。私が子供だった頃、よく聞いた言葉だった。最近めっきり聞く機会がなくなった。今や旅行は慰安になっている。羽田午前八時集合、行き先は札幌、札幌に着くと有名なラーメン店を三軒梯子した。こんなことかと思って朝食は抜いて来てよかった。札幌の街にはまだ街路に雪が残っていた。ラーメンを食べ終わると解散だった。午後六時宿舎に集合ということになった。参加集団に女性職員は一人もいなかった。男たちは三々五々分かれて慰安を求めて札幌の街中に散っていった。宿舎に午後六時に集合し、宴会が始まった。これが男たち中心の職員旅行の実態であった。日常の制約から解放され、好き勝手なことをして楽しむことが旅行なのだ。今の旅は旅ではない。歩く辛さのようなものが何もない。知らない街を歩く楽しみのようなものもない。東京の繁華街と違うことのない地方都市の繁華街に慰安を求めているだけである。羽田から札幌に行く時間より自宅から羽田に行く時間の方が長い。
 しかし定年退職後、旅をしている知人がいる。四国八十八か所を巡る遍路旅を一人で歩いた知人がいる。その後東海道、中山道、奥の細道を一人で歩き通した。これはまさに現代の旅に違いないだろう。毎日、宿に着くと足裏にできたマメの手入れをして休むという。宿で出会った人と一献を交わす楽しみがあったという。街道沿いに発見した造り酒屋で唎酒する。蔵の歴史を聞き、昔の街道沿いの住民たちの日常生活がどのようなものであったのか、話を機会があった。一期一会の出会いと別れ、これが楽しみであったという。
今も旅は存続している。団体で行く旅が旅行であり、一人で行く旅が旅のようだ。高校生の男の子が一人、夏休みに北海道を自転車で走ったという話を聞いたことがある。彼は自転車を船に持ち込み、フェリーで北海道に渡った。それから一人自転車で苫小牧から根室を目指したという。いろいろな人との出会いがあり、楽しい旅であったという。怖かったのは熊との出会いであった。彼は鐘を鳴らし、フルスピードで走り抜けた。
 また昔、こんな友人がいた。鹿児島から来た友人は、夏休み自転車で故郷まで帰った。箱根の山越えが一番苦しかったという話を今でも覚えている。電車で帰るより楽しかったと言っていた。ただ旅費は電車で帰った方が遥かに安くつくという話だった。これもまた立派な旅のように思う。現代にあっても旅は健在している。時間を得られる人、お金の工面が付く人に旅の神様は微笑むようだ。お金と時間の余裕を得ることのできる人に旅の神様は付いてくる。
人間は誰でも日常生活からの解放を求めて旅立つ。健康とお金と時間に余裕のある人に旅はいろいろな刺激を与えるようだ。