’77年の日記らしい日記といえば、この辺りが最期と言える。‘76年(去年)の5月7日〜6月2日、八重山紀行を共にした名古屋の洋子が一泊二日で私の街にやって来て、束の間、思い出を温めていったところ迄となる。この頃の私は凡そ一月前の七月九日に沖縄から戻って以来かなり多忙な日々を送っていた。たまたま家に居たところへ突然洋子からの電話。『会いに行くけど、いつなら居るの?』という話し . . . 本文を読む
5月7日以来、物事は起こりうる時に起こるものである…と納得してしまう事も有った。九時三十分。五分遅れのバスに乗って平野を後にしてバスターミナルの在る美崎町へと向った。美崎町、私はバスから降りると写真屋に走り、頼んでおいた写真を受け取ると、店の前からTAXIで空港へと向った。何をそんなに急いでいたのだろうか…?十一時十五分。日射病に冒され復調せぬまま今帰路に着く私。最初か . . . 本文を読む
午前十時三十分。ショーコ、小浜さんと共に石垣へ向け出航。私の泉屋での仕事も終ったと云うところで、私もここを離れる事にした。石垣グランド・ホテルで冷珈琲を飲み、三人で今度の八重山の愉快談をしたりして名残りの時を過ごした。石垣空港。多くの旅仲間をここから見送った。そして今日も、また。いくら慣れた頃と言っても、やはり人を送り出すのは…別れ、見送るのは辛い。小さなローカル便の飛行場。その空港 . . . 本文を読む
夕食を私とショーコは早めに食べて、コンドイ浜へ急いだ。言うまでもない。夕陽を見る為だ。前に西桟橋からの夕陽は見た。それで今日はコンドイ浜に腰を下ろして…と云う事になったのだ。爽やかだった。夕陽が落ちるのを見ながら、取り留めもない話をしていた。今にも陽がその姿をすっかり隠そうとしている頃、すぐそこ迄来ている夜の世界を知らせる様に、涼風が吹き始めていた。「…そっか〜、二人共 . . . 本文を読む
午前中、ボケ~っとしながら煙草を吸っていたところへ高知のオバヤンがやって来て、これから帰宅の途に付くと云う事を聞かされた。私はここの主ではないのに、わざわざ声掛けしてくれた。この竹富を楽しめたのかな…、満足そうな顔をしていた。見送りに桟橋迄行こうかと思ったけれど、外に出た途端、何を思ったのか握手をして、泉屋を離れていくマイクロバスの後から手を振って見送った。ところで、今日は大潮であっ . . . 本文を読む
午前九時。28日(火)に他の島を観に出掛けていたショーコ達が帰って来るというので桟橋へ迎えに行く。仕事の方は大方出来上がっていて、後は電気の配線などといった専門家の仕事ばかりで、お役御免になった私は再び『旅人』になっていたのである。凡そ二週間程度の事だったけれど、色んな事に関われて、それなりの経験を楽しめた。また今日もオヤジさんが船を出すと言うので、帰って来たばかりのショーコを連れ立って一緒に潜り . . . 本文を読む
そして洋上。船の上からオヤジさんと共に彼女達を監視したり、海に入ったりを繰り返した。ショーコ達二人はまずまずであったけれど、どうにもいただけないのが大阪三人娘。その中でも取り分け言葉にならないのが清美であった。本人は潜る気が十分有るのであろうが、どうした理由か少しも潜らないのである。よく世間では躰が浮かずに緊張した躰で潜ったまま、または呼吸するタイミングのバランスが崩れ溺れる者はいるけれど、先ずそ . . . 本文を読む
朝食後、今日は久し振りの部屋増築工事の仕事《スラブ打ちをした後、コンクリートが乾く迄仕事が出来なかった為》の日だ…と元気一杯、用意をしていたところにオヤジさんの一言。「ジュン、アンタ桟橋へ行って、お客さんが二人着くから連れて来てくれんか…」言われた時、すぐに返事の出来なかった私であった。と言うのも名前を知らされただけで一面識も無い人物を迎えに行く事に、何故か抵抗を感じた . . . 本文を読む
朝一番の東廻りのバスで終点、バスターミナルの在る美崎町へ向った。降りてから波止場迄二分弱。私は直ぐに竹富丸の乗船券を買い、朝の潮風を楽しみながら一服の煙草を味わった。間のいい事に然程待つ事もなく、船は竹富へ向け出発した。竹富島、何度訪れても私を童心に帰らせる。桟橋に降り立つやいなや、いつでも私は歓喜の声を張り上げそうになってしまうのである。意気揚々と歩き始めた。いつもの歩き慣れた道を。泉屋に着くと . . . 本文を読む
6/10 Y.H. 春海荘6/11 Y.H. 真栄田岬6/12 Y.H. 春海荘6/13 「玉龍」船中真栄田岬Y.H.は海洋博会場の近くで近くにはムーンビーチなるものが在るけれど、何とそこは有料の海水浴場と云う金儲けに走った所であった。当然そんな所には行くわけがない。この本島に戻って来たのは内地に(とりわけ)日田・大分に渡 . . . 本文を読む
昨日は午前中、オヤジさんの船で潜りに出た。監視役がその名目であった為、私自身楽しんで潜るという事は無かった。午後は再度船の上から釣りと云う真に長閑な一日を過ごした。そして今日も昼頃から船で潜りに出た。一昨日迄の事が、実は初めから何も起こってはいなかったかの様に竹富の風は凪ぎ、太陽は生命の光りを注ぎ、蒼空は何処迄も広がり、凡そ時の流れを感じさせない静寂を映し出していた。一体、私はどうしてしまったとい . . . 本文を読む
明美を見送った後、もはや誰も居なくなった桟橋を背に、私もその場を離れ泉屋へ戻った。道すがら、「やっぱり一緒に帰るべきだったかなぁ…」と、ぽつりひとり言。そしてまた、「まあ、いいサ、まだ時間はたっぷりと残ってる。帰り道は一つサ。ちょっとばかり遠回りをするだけサ…」と、ぽつり。さて泉屋に戻ると、北海道から来ていた女の娘二人に島を案内せよ、と言うオヤジさんの言葉が私を待ち構え . . . 本文を読む
とうとう明美にとって八重山最後の朝はその眩しき太陽のもとに巡り来てしまった。今夜の船で明美は那覇に、そして九州・日田へ…。この明美の旅の終りが、明美に、そして私にもたらすものは何であろうか?午前九時三十分の竹富丸で泉屋へ荷物を取りに戻った。泉屋は静かなもので、客の数が少ないのだと云う事が時間からしてもすぐに判った。オバチャンに言って、明美は荷物を取りまとめた。用意が終ると竹富島最後の . . . 本文を読む
船上は和やかな雰囲気に包まれていて来た時とは異い、乗船客の数も僅かながら多かった。リーフを抜け出るのに多少手間取っていた様であった。潮の干満の影響だろうか?東へ回り込む船の右手に西表。名残りは何処から来るものか?気が付くと船上、中央通路の右側のベンチで合唱をしている人達がいた。中年過ぎの太り気味のオジサマが中心に唄を歌っている。まるでみんなに教えているかの様に。或る者は歌詞カードを見ながら&hel . . . 本文を読む