気の向くままに junne

不本意な時代の流れに迎合せず、
都合に合わせて阿らない生き方を善しとし
その様な人生を追及しています

(’77)6月15日(水) 汗と夕涼み

2023年07月14日 | 日記・エッセイ・コラム
朝一番の東廻りのバスで終点、バスターミナルの在る美崎町へ向った。降りてから波止場迄二分弱。私は直ぐに竹富丸の乗船券を買い、朝の潮風を楽しみながら一服の煙草を味わった。間のいい事に然程待つ事もなく、船は竹富へ向け出発した。竹富島、何度訪れても私を童心に帰らせる。桟橋に降り立つやいなや、いつでも私は歓喜の声を張り上げそうになってしまうのである。意気揚々と歩き始めた。いつもの歩き慣れた道を。

泉屋に着くといつもの事ながら、私を待っていたのはオバチャンの微笑みと冷たい珈琲であった。煙草を吸って冷珈琲で喉を潤しているとオヤジさんがやって来て私を呼び寄せた用向きを話してくれた。それはこの泉屋の増築工事だった。と言っても私が工事をする訳では無い。そりゃそうだ。実際に工事をするのはオヤジさんの親戚筋に当たる人で、私は単なるお手伝い。
この泉屋で食事をしたりお茶を飲んだり、夜は宴会をするこの部屋の横に空き地が有り、そこへ新たに部屋を造ると云う事であった。ここではその程度の工事ならば自分達でなんとかしてしまう…様相が有る様だ。現在そこには天水(雨水)貯水用のタンクが三基設置してある。これが一番の問題点の様に思える。この水槽と云う難物は、内径約80〜90cm、厚さ約10cm、高さは3m程もある。そのコンクリートの水槽三基を破壊する(取り壊す)事から始めねばならない。
井戸と雨水に頼っていた竹富の「水問題」。現在に至る迄原型を留めながら残存した歴史的遺産が、「今日」破壊され、そしてその場所に人の住む「部屋」が出来るのである。まさに遅れてやって来た文化の時流…とでも言うのであろうか。今ここに『時』が『人』のもとへ到達したのである。そう言えば二年前、まだ海洋博が開かれる以前、この島は外灯など殆ど無ったに等しい状態だったのを思い出す。
その他の事としては、いわゆるヘルパー的な事が仕事として有るけれど、それはもう民宿慣れしている事もあり、苦にはならないだろう。
午前中、着いて間もなくその工事は始められた。大きく重いコンクリート壁破壊用とでも言うべく大ハンマーで、それらの巨大水槽を打破し始める。暫く見ていた私に、
「ああ、疲れた、この暑さじゃ堪らん。お前、ちょっとやってみんか?!」
『なに言ってんの、冗談でしょ!』と思いながらも、その大ハンマーを手にしてみた。最初は重くて話しにならなかったけれど、ソフトボールのバッティングの要領で始めたら、不可能だと思っていた巨大水槽に穴が…、少しづつ穴が開いてきた。
「お前、筋がいいな。この一本(水槽)任せるかな」 
『冗談でしょ、もう腕が上がらないのに〜』と云う私の顔を見て、
「よし、交代だ」
と言って、やっと代わってくれた。大粒の汗が私の身体全体から吹き出していた。過酷な重労働ではあったけれど、気持ちの良い汗だった。何日かかるか解らないこの工事、とにかく竹富に留まる機会に恵まれた事は大変な歓びである。

陽が暮れる前に仕事が終り、シャワーを浴びて西の桟橋へ出ると、夕涼みには絶好の爽やかな潮風がそよ吹いていた。私の知り得る限りではこの八重山一美味しい泉屋の食事が、今日はこの夕涼みのおかげか、格別に美味しかった。こうした嬉しい『気のせい』を演出してくれるのが『自然』の良いところの一つだろう。食べる量もいつもになく多かった。こまごまとした泉屋の仕事が有る間、この様な日々が今暫く続くのだ。今迄に無い泉屋滞在のパターンである。

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