気の向くままに junne

不本意な時代の流れに迎合せず、
都合に合わせて阿らない生き方を善しとし
その様な人生を追及しています

(‘77) 6月9日(木) 「ハイビスカスの歌」タンゴ

2023年07月10日 | 日記・エッセイ・コラム
5/31             美崎荘(石垣島)
6/1〜6/2     きよみ荘(西表島)
6/3               大和田荘(石垣島)
6/4〜6/8     平野荘(石垣島)

ここ迄過ごして来てやっと、そろそろ帰ろうかな…などと思い始めた。あと30間程自由に出来る期間は残ってはいるものの、精神的には十分に満足感に溢れていた。でも、まだ勿体ない…という気持ちも当然残っていた。

午前十時三十分、「玉龍」石垣港出航。
私が乗船しているこの「玉龍」には、昨日アルバトロスで知り合った染谷という北海道の女の娘が同船していた。二人が話しをしていたのはここ沖縄の事ではなく、彼女の故郷、北海道に付いてであった。妙な気がした。日本の一方の端に居ながら、更に逆の一端の話しをしていると云う事が、何か不自然さを感じながら、目に見えない縺れた空間を認識させた。
午後三時三十分。「玉龍」平良港(宮古島)接岸。貨物の上げ下ろしの為、三時間半の接岸停船である。この時間内は一時下船しても良いと云う事で、私にとっては初めてのこの宮古島を、染谷嬢と散歩に出掛ける事にした。何処で誰に聞いたのかは覚えてないが、近くに植物園が在ると云うので一目観てみようと探しに歩き回った。しかし私達はその植物園を見つける事が出来ずに戻って来た。少しばかり疲れ、がっかりしながら戻って来た後は、波止場近くのパーラー「ハイビスカス」に入った。外の看板に大きく「パーラー」とあったのが「ハイビスカス」と云う文字と共にこの目を嬉しがらせた。
「パーラー」などと、現在では或る意味で死語に近い言葉が、その意味如何に拘わらず細々と生きているという事が、懐古的側面から私などの忘れていたものを呼び起こさせる様な働きがあって、ふと嬉しくなってしまった。「ハイビスカス」に付いては花そのもののイメージと思い出も有るが、明美と西表からの帰りの船上で耳にしたあの「ハイビスカスの歌」からのイメージが強かった。まあ、そんな気持ちを抱いて入った店だが、入った途端に耳にしたB.G.M.が藤木孝の「ルイジアナ・ママ」であった事には驚いた。どうしてこうも私を歓ばせる『種』が連発したのか…偶然の所業に感謝をしてしまった。
ここでちょっとした閃き、名案が浮かんだ。それはあの「ハイビスカスの歌」をタンゴにアレンジしたらどうか…と云う事である。どうしたきっかけかは解らない。文字通りの閃きなのである。よくよく考えていくと、これは本当に名案であると確信するものである。それは何れ落ち着いたところでゆっくりと煮詰めるとして、午後七時、「玉龍」は貨物の荷下ろしを終えて出航。染谷嬢はここが気に入ったらしく
残留する事になり、私は夜の海を明日に向った。


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