気の向くままに junne

不本意な時代の流れに迎合せず、
都合に合わせて阿らない生き方を善しとし
その様な人生を追及しています

週末の世論調査

2023年05月29日 | ブログ
27日の土曜日、朝10:03頃の事。総務省(だったかな?!)から世論調査の電話が掛かってきた。その時頭を過ったのは『ああ、やっぱり解散総選挙は間近なんだな』と云う事。質問は全部で15ぐらいだつたかな、はっきりとは覚えてはいない。ダイヤルのブッシュ・ボタンを押して答える方法で、多分3~5分程度だったと思う。今度の選挙には行くか否か、支持政党は?(数人の人名を挙げて)知ってますか?…et . . . 本文を読む

(‘76)12月31日(金) 泉屋餅搗き大会と除夜の鐘撞き

2023年05月27日 | 日記・エッセイ・コラム
昼間、大晦日の餅搗き。思ってもみなかった事で、知らないうちに庭に臼と杵が用意されていた。オバチャンは餅米を蒸かし、折りたみのテーブルには紙の皿、小豆や何やらの準備が整っていた。意外だったのは大根おろしまであった。みんなで代る代る餅を搗き始めた。私も生まれて初めての体験をさせてもらった。杵というのは傍で見ているのと違い、結構重いものだった。搗き上ったお餅はその場で戴いた。なにしろまだ湯気の上がってい . . . 本文を読む

(’76) 12月25日(土) 故・牧野京子宅

2023年05月26日 | 日記・エッセイ・コラム
午後二時、「おきなわ丸」石垣港接岸。ついにやって来た、年末年始の竹富へと…。理想を言えば昨日のクリスマス・イヴをも…と云う事だったけれど、日程の都合上やむを得ず一日遅れた。竹富へ渡る前に有田貴代美に電話をして(故)牧野京子のお墓を教えてもらえる様に話しをした。九月十八日(土)に肝硬変の為、二十歳と云う若さで逝ってしまった。その事は京子の死後数日経ってから貴代美からの手紙 . . . 本文を読む

(’76)12月7日(火) 伊藤喜代子の誕生日

2023年05月25日 | 日記・エッセイ・コラム
1976年、この年は前半ちょっとサボり気味だったので、後期はそのツケが回って来た。12月頃になって僅かながらオフの日が取れる様になつてきてた。それでもX’mas Eve迄は楽は出来なかった。そんな中で、この日は久し振りの息抜きの日だった。12/7(火)   伊藤喜代子の誕生日越後中里で出逢った喜代子の誕生日。電話を掛けてお祝いの言葉を告げた。九ヵ月程前、未だ春には遠い日に再会 . . . 本文を読む

(‘76)6月2日(水) & 3日(木)

2023年05月23日 | 日記・エッセイ・コラム
この’76.年という時代は未だまだ現在の様に銀行のカードというものがそれ程深く根付いてはいない頃で、給料袋に現金の時代。思い出せますか?    だから地方に出掛ける時には財布の中身を常に気にかけていたものでした。言い換えれば、今よりも現金(お金)の有り難さが際立っていたと思います。それで予定を立てるのも(私には)楽しみの一つでした。多くの場合費用対効果を如何にして見 . . . 本文を読む

(’76) 5月26日(水) 再び泉屋

2023年05月22日 | 日記・エッセイ・コラム
午前九時、六泊の与那国での日々を終えて、また六時間半の航海が始まった。刻一刻と『幕』に近付いて行くのを感じる。那覇での出逢いから始まった今回の洋子との八重山も波照間・与那国と目的を達っして、後は…今度は本当に「飛龍」に乗り込む迄の…余韻の様な日々を如何にして過ごすかと云う事が大事になってきた。そこで私はもう一度竹富に行く案を出した。洋子も前回の印象が残っていた為か、すん . . . 本文を読む

(‘76)5月22日 (土) 私をおいて先に…

2023年05月21日 | 日記・エッセイ・コラム
さて、うなされ続けた一夜明けての朝。二日酔いの為洋子は起きられず、朝食をとる事さえもおぼつかないまま昼近く迄布団の中で時を過ごす。石垣へ帰る船に乗れなくなり、次の出航日(26日)迄このまま連泊する事となった。と云うのも石垣⇔与那国は4日に1便の就航だからだ。「私をおいて先に帰っていいのよ…」とは言うけれど、もう既に船は沖の遥か彼方。『今更何を言ってるの、見知らぬ土地に一人置 . . . 本文を読む

(‘76) 5月21日(金) 東岬(あがりみさき)のヤギ鍋パーティーと泡盛75度

2023年05月20日 | 日記・エッセイ・コラム
朝、どちらからとなく、「今夜は宿を変えてみない」と云う話しが出て、お互いに、「そうねぇ」と同意を求める様な結論に落ち着いた。そこで朝食をとって一服してから、徐ろに荷物をまとめ「なかたけ荘」を出た。次は何処へ行こうか決めていたわけではない。取り敢えず歩き始めた。どのくらい歩いたであろうか。真っ直ぐには歩かず気の向いた方へ角々曲がりながらだったので、なかたけ荘からの距離はそう遠くは無い筈である。そこで . . . 本文を読む

(‘76)5月14日(金) & 20日(木)

2023年05月19日 | 日記・エッセイ・コラム
5/14(金)   美崎荘・紀行の幕間午後二時。「第八新栄丸」は三泊の日程を終えて少々疲れ気味の私と洋子を乗せ、石垣島へと向かった。五時三十分。久し振りと感じられる波止場に船は着いた。今夜は竹富へと云う案も既に最後の船便は無く、「明日にしよう」と云う事になった。今夜はもう一度波照間島を散歩しながら、ゆっくりと眠る事にしよう。洋子も多分そうするだろう。二人の八重山紀行は今、その第一歩を踏み . . . 本文を読む

(’76) 5月12日(水) 日本最南端の荒波と石碑

2023年05月18日 | 日記・エッセイ・コラム
波照間壮観。まさにこの一言で言い尽くしてしまうのではないか…と思うくらいの景観である。海面迄は何メートルあるのかちょっと想像しにくい。南の果にそそり立つ岸壁に打ち寄せる波は何処迄も蒼く、勢いはその飛沫を頭上遥かなる所迄押し上げる。すぐ足の下、岸壁辺りの海面は潮で純白に染まり、その周りを蒼い色調が波間を占有してしまう。風はそれ程強くは感じないが、絶えず激しく流動している。空気は何処迄も . . . 本文を読む

(‘76) 5月8日(土) どんでん返し

2023年05月17日 | 日記・エッセイ・コラム
目覚めの午後。二人にとっては「朝」の珈琲を飲みにサテンドールへ行った。そこで洋子が全く以って意外な事を言い始めた。「ねェ、本当に今夜の船で帰っちゃうの?」「うん」「出来る事なら一緒に廻って欲しかったなァ」「バカな事言わないで。今夜の船で帰る為に、もうちゃんと乗船券は買ってあるの知ってるじゃない」「う〜ん、でもさぁ…ジュンとだつたらいい旅になるだろうなぁ…って思ったから& . . . 本文を読む

(‘76)5月7日(金) Y.H.春海荘と鈴木洋子

2023年05月16日 | 日記・エッセイ・コラム
午前七時三十分。「おきなわ丸」那覇港接岸。無事に「竹富での誕生日」を迎えた私は五日、石垣に渡り美崎荘に泊まった。そして昨日、夕方出航の「おきなわ丸」に乗り込んだのである。それで今朝那覇港に着いたのであるが、今回はおとなしくこのまま帰る予定で、今夜一泊このY.H.春海荘に泊まり、明日の「飛龍」で大阪へ渡るつもりでいる。出発前には日程も日数も全く考えていなかった今回の八重山紀行も、こうして振り返ってみ . . . 本文を読む

(‘76.) 5月1日〜6日 平穏にして何事も起らず

2023年05月15日 | 日記・エッセイ・コラム
ここ迄はゆっくりと、長閑な南の島での休暇を満喫出来た。予定通り誕生日を泉屋で過ごせたので、もう後は帰る事を考えれば良かった。ちょっとした息抜きの旅行気分だったので、満足気に残りの時間を過せば良いのだ。2日(日)はオヤジさんに連れられ数人で石垣島の闘牛見物に出掛けた。初めての経験であり全くの予期せぬ出来事だったので、嬉しさと興奮が入り混じった気持ちに終始した。あまりの迫力にピントをがなかなか合わなか . . . 本文を読む

(‘76.)4.30. 知ったか振りのガイド気取り

2023年05月14日 | 日記・エッセイ・コラム
午前中、九時四十分の船で竹富に戻って来た。十時、船を降りて郵便局へ辿る道すがら、私は二人の女の娘と話しをしていた。船の中で語らい始めて以来、あれやこれやと八重山の事に付いて、特に竹富の素晴らしさを話して聞かせていた。今夜の宿がまただ決まっていない二人を我が泉屋へ誘った。未だ郵便局が見えていなかった所。博多からやって来た田原美恵子と鬼塚千鶴の二人であった。もうすぐ二年目の安易な慣れなのであろうか。彼 . . . 本文を読む

4月29日(‘76) 再び会って

2023年05月13日 | 日記・エッセイ・コラム
昨日午前中の早い時間に泉屋に着いた。午前中に石垣へ渡り、昨日連絡を取っておいた牧野京子に会う。去年八重山を涙を呑んで去る時、ノリ子と共に「おとひめ丸」に乗る私を見送りに来てくれた、アルバトロス四人娘の一人である。少々太り気味で肌はトースト色。どちらかと言うと美形ではない(ゴメンネ)けれど、人間的にはとても可愛い、純情な娘だ。そして宮平観光ホテルでアルバイトをしている、やはり元アルバトロス四人娘の有 . . . 本文を読む