気の向くままに junne

不本意な時代の流れに迎合せず、
都合に合わせて阿らない生き方を善しとし
その様な人生を追及しています

(‘77) 5月25日 (水) 安息の日 ギンネムの種

2023年07月09日 | 日記・エッセイ・コラム
昨日は午前中、オヤジさんの船で潜りに出た。監視役がその名目であった為、私自身楽しんで潜るという事は無かった。午後は再度船の上から釣りと云う真に長閑な一日を過ごした。
そして今日も昼頃から船で潜りに出た。一昨日迄の事が、実は初めから何も起こってはいなかったかの様に竹富の風は凪ぎ、太陽は生命の光りを注ぎ、蒼空は何処迄も広がり、凡そ時の流れを感じさせない静寂を映し出していた。一体、私はどうしてしまったというのであろうか?恰も二年前の、初めて見る竹富の海に魅せられてしまった時の、あの何とも言えない気分が甦ってきた様な気持ちになっていた。全ての事が無かったかの様に八重山の自然の中に吸収され、そして自ら溶け込んで行く。

午後三時頃、私は一人でギンネムの種を採りに出掛けた。名前も知らない小さな虫に纏わり付かれながらも、しかし、私は平然とあちらこちらを捜し歩きながらギンネムの種を集めた。不思議だった。何が出て来るか判らない処で虫に纏わり付かれながらも平気でいたなんて。それ程ギンネムの種を採る事に集中していたわけではないのに。
今にしてみれば、あの時私は精神《こころ》の中まで自然に溶け込んでいて『空』の状態ではなかったのか…などと思ってみたりするこの調和がいつ迄続くか判らない。単に一過性の如く、瞬時に消え失せてしまうかも知れない。しかし大事な事は、私が『その瞬間』を『その時』に意識出来た…と云う事なのだ。これは私の精神が、今迄のどんな幸福の時よりも、まさに『平和』を感じているからに他ならない為であろう。

さて、採ってきたギンネムの種であるが。これは軽く湯通しして糸を付けた針で通しながら数珠状の物を作り、ブレスレットやネックレスにするのである。
ギンネムの種、私は少々採り過ぎたので、戻ってから女の娘達に土産品として持たせてやる事にした。受け取った女の娘達は作り方を尋きながら、とても喜んでくれた。あの顔を見る事が出来ただけでも満足だった。家に帰ってから作るであろうネックレスやブレスレット。きっと彼女達の良き思い出となって残る事だろう。願わくば、それを見てもう一度ここに戻って来て欲しいと思う。明美との日々を過ごした余韻の中で、今私は安息にも似た日々を送り始めた。

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