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被災の全盲夫婦 区画整理で「心の地図」が使えない

2008年01月08日 | ◆特別の配慮を要する方々
被災の全盲夫婦 区画整理で「心の地図」が使えない

震災前に自宅があった付近に立つ吉田善平さん。街並みが大きく変わり、自由に歩けなくなった=淡路市富島

 阪神・淡路大震災の震源地に近い淡路市富島で被災した全盲の夫婦が、隣町へ転居後も時々、富島に出掛けていたが、震災復興の土地区画整理が進むに連れ、町を自由に歩けなくなった。街並みが一変し、長年の生活で「心に描いた地図」が使えなくなったためだ。生活環境が激変し、収入も途絶えた二人は「町はきれいになったようだが、私たちは置いてきぼり」と寂しさを募らせる。(上田勇紀)

 吉田善平(よしなり)さん(55)は生まれつき左目が見えず、右目の視力も幼いころに失った。妻(64)も生まれつき目が見えない。

 震災前は富島でマッサージ店を開き生計を立てていた。富島生まれの妻は、建物の配置や道幅を記憶し一人で買い物ができた。吉田さんも長年暮らす中で建物の壁を頼りに歩けるようになった。地域の人との行き来も頻繁だったという。

 震災で木造の自宅が全壊。妻は三カ月半後、地震によるけがで母親を亡くした。富島の仮設住宅には抽選漏れで入居できず、旧北淡町を通じて災害援護資金を借り、自宅跡にプレハブを建てた。

 二人は一九九七年、同市浅野南の県営災害復興住宅に転居。時々、タクシーで富島に行ってみたが、約五年前から道幅が広がった。目印にしていた建物が消え、すぐ立ちすくむようになった。

 マッサージの常連客は近年相次いで亡くなり、収入はほとんど無い。返せない災害援護資金が残る。近所付き合いがなく、妻はストレスが原因とされる難聴で、さらに出歩けなくなったという。

 住宅前の県道に信号機がないことも外出を難しくしており「せめて信号を設置し、行動範囲が広がるようにして」と吉田さんは訴える。買い物はヘルパーの介助頼みだ。

 吉田さんは「震災から十三年たち、街は復興した。元の街に戻って心の地図を書き直したい」と話している。

(1/8 08:55)


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