333ノテッペンカラトビウツレ

 奇跡は 誰にでも 一度おきる だが おきたことには 誰も気がつかない

“結社”の正体

2008-09-11 02:10:20 | SP(Standard Program)
●もう聞き飽きたかもしれませんが…時間がありません。残り2日、何とか乗り切って東京を脱出したいです。

●当ブログ的には大きなニュース。キリンジが活動10周年を記念して2枚組のベスト盤を年末にリリースするそうです。新曲も収録されていて、例のHQCDになるとのこと。個人的にキリンジのベスト盤は7枚組になるはずなんですが、2枚ですか。まぁ、リマスタリングもされているそうなので、買うしかないのではないでしょうか。でも、キリンジの全曲を並べて30曲を選ぶって大変な作業ですよね。俺、選びきれなくて挫折すると思う。

●インターネット上に「秘密結社」というコミュニティーサイトが出来たという記事を読みました。要はSNSのコミュと同じで、それを秘密結社と読んでいるだけなのですが、実は“結社”とは何かという問題は結構重要です。言葉の定義的には結社というのは何らかの共通の目的を持った人々が集まっている集団のことですが、単なる集団と結社が違うのは結社には“踏絵”があることだというのを何かの本で読んだことがあります。単なる集団には入りたいと思って入るか、入会金を払うか、他のメンバーから認められるか…まぁ、色々な方法があるでしょうが、結社というのはそれにプラスして“踏絵”があるわけです。入るには踏絵を踏むというプロセスが必ず存在しているわけです。

●共同体が何で結びつくは国や民族によって異なります。血縁によって集団を構成する場合もあれば、地域で集団を築く場合もあります。そして結社(何らかの踏絵を踏んだ人間が集まる)によって集団を作るケースもあるわけです。日本は結社も血縁もそれほど重視されておらず、地域のコミュニティが強いと言われています。無論、これは未来永劫続く傾向とは限りませんから、いつ日本が結社的コミュニティ優先の社会になってもおかしくはありません。ただ、日本人は“踏絵”というシステムが苦手ではないかという印象が今もあります。今だに“場の空気”などという言葉が出ることがありますが、実は“場の空気”と“踏絵”は対局の位置にあります。よって日本ではよく「踏絵を踏んで仲間に入ったが場の空気に負けて、前にも後にも行けなくなってしまう」というケースがたまにあります。踏絵を踏んだら場の空気なんか関係ないはずなんですが、何故か左右されてしまうわけですね。

●何故にこんな話になってしまったのかよくわかりませんが、この話の続きはまた今度に。