台湾治郎

自分の生涯・現在の生活

ブログ237 私は、ダメ親父でも・。娘の父親。

2013-03-08 15:22:30 | 台湾
 私には。現在一人娘が居ます。
娘が中学生の頃、私とは、口聞きませんでした。だって、俺は、年中朝帰り。
娘が食事していると、私を軽蔑した目で見ます。
娘の担任私の元同僚。よく娘は、私の話を担任の先生とするようです。
元同僚と会ったとき、言っていました。
「お父さん、たまには、早く帰り、娘さんと食事した方がいいですよ。」
元、同僚私より年下。体育の先生。今は、特別支援学校にいます。とても、いい人。
私は、彼女の言うこと逆らえません。なぜなら、娘の担任として、言っています。
娘がお世話になっているのに、元同僚には、逆らえません。
私が立場上の時もありました。私が学年主任、彼女は、人気者の担任。
彼女の名前「マッチー」と呼んでいました。
 マッチーに注意されたら、私は、従います。
たまに、早く帰ると、「どうしたのお父さんが、早く帰るなんて、雨が降るの?」
娘に嫌みを言われました。その娘ももう・・・歳。
 早く結婚して欲しい。孫の顔早くみたい。孫が生まれれば、しばらく日本に帰っています だって、かわいい。孫の顔は、もしかしたら、俺に似ているかもしれません。
俺の二世、孫は、一番の楽しみ。
本当は、お兄ちゃんが居れば、もしかしたら・・・・。止そう。れば・たらになりました。 
 娘は、私に似ているから、一見柔そうだけど・・・・・・。芯は、強い。
元気で、いきてりゃいいさ。
そして、ある日突然、「おとうさん、私結婚します。私の選んだ人に会ってください。」
こういう日がきっと来ると信じて台湾生活しています。
思えば叶う。何事も・・・・。
 人間。私が親父であることは、一生忘れません。夫婦は、他人。親子は、いつまでも・いつまでも親子。
 がんばれ、yu。
そして、はやく、孫の顔を見せてくれ。
おねがいー・おねがいー。

ブログ236 心は、どんなときに安らぐのか?

2013-03-08 00:36:07 | 台湾
 私は、日本にいたときは、あまり安らぎがなかった。なぜ?
どこかに、自分を責める気持ちがあったから・・。自分の過去の反省。
もと、妻がグチグチ言うようになったのも、自分が彼女の明るさ・楽天性を変えてしまったという気持ちがあり、彼女と一緒にいると、攻められているような気持ちが襲われた。
もちろん、彼女は、私をあまり責めない。攻めないからこそ感じてしまう、自分が居た。
 私は、師範大学にいた頃、よく屋上にいた。それは、心が安らぐからだ。
たばこもそうだが、たばこより、高いところに登り、景色をみる。ただ漠然と・・・。
そうすると、いつの間にか、心が軽くなっている。
こんな風景は、昔小学校の頃、学校の屋上から、「富士山」を見た思いと同じ。
当時、葛飾(東京の田舎の区。私の生まれ故郷。)から見えた。まだ、空気も綺麗だったし、大きなビルがなかったから・・・・。
富士山を見ながら、「頭を雲の上に出し、四方の山を見下ろして、雷様をしたにしく、富士は、日本一の山。」
歌を思いっきり歌いながら。もちろん、当時も今も音痴。
音程なんか、どうでもいい。自分の心を空にする。
仏教にも、「空」という言葉があるが、知りません。同じかどうか。どうも違うような気がする。俺の空は、空っぽという意味。仏教の方は。少し調べます。見たが全くわかりません。そんなに難しく考えることは、ない。
ただ、前のことも、一瞬忘れ、自分を空っぽにすること。
不思議なんだよ。一回空っぽにすると、もう、前の気持ちとは、別の自分がいる。
新しい生命を見る思い。
そう「赤ちゃん」を見ているような・・・・。不思議と、心が落ち着く。音楽にもこう言うのあるでしょ。「水のせせらぎ」「梢の風に吹かれる音。」
おそらく、人間は、母親の胎内にいるときは、こんな気持ちで生まれてきた。
ところが、いろんな言葉・知識・勉強・人間関係いろんなことを学習しすぎて・・・・。
訳がわかんなくなったとき、「安らぎを求める。」
そこには、自然の声・音・景色があり、何となく、落ち着く。
よく、記録映画で動物の親子や鳥が羽ばたくさえずりなど聞くと何か、知らないが、元気を貰うときがあるでしょ。
私のとって、高いところは、すべて富士山に通じる。あのころは、何も考えず、ひちすら、歌っていた。小学校四年生ぐらいから。
私なりにストレスと上手につきあってきた。みんな自分の逃げ道を持っていないとダメ。
それが端から見ると変でも・・・。
そして、元気を取り戻したら、再び羽ばたけばよい。
ただそれだけの話。自分なりの安らぎの場所を持って、社会に生きてください。
       再見。