台湾治郎

自分の生涯・現在の生活

ブログ236 心は、どんなときに安らぐのか?

2013-03-08 00:36:07 | 台湾
 私は、日本にいたときは、あまり安らぎがなかった。なぜ?
どこかに、自分を責める気持ちがあったから・・。自分の過去の反省。
もと、妻がグチグチ言うようになったのも、自分が彼女の明るさ・楽天性を変えてしまったという気持ちがあり、彼女と一緒にいると、攻められているような気持ちが襲われた。
もちろん、彼女は、私をあまり責めない。攻めないからこそ感じてしまう、自分が居た。
 私は、師範大学にいた頃、よく屋上にいた。それは、心が安らぐからだ。
たばこもそうだが、たばこより、高いところに登り、景色をみる。ただ漠然と・・・。
そうすると、いつの間にか、心が軽くなっている。
こんな風景は、昔小学校の頃、学校の屋上から、「富士山」を見た思いと同じ。
当時、葛飾(東京の田舎の区。私の生まれ故郷。)から見えた。まだ、空気も綺麗だったし、大きなビルがなかったから・・・・。
富士山を見ながら、「頭を雲の上に出し、四方の山を見下ろして、雷様をしたにしく、富士は、日本一の山。」
歌を思いっきり歌いながら。もちろん、当時も今も音痴。
音程なんか、どうでもいい。自分の心を空にする。
仏教にも、「空」という言葉があるが、知りません。同じかどうか。どうも違うような気がする。俺の空は、空っぽという意味。仏教の方は。少し調べます。見たが全くわかりません。そんなに難しく考えることは、ない。
ただ、前のことも、一瞬忘れ、自分を空っぽにすること。
不思議なんだよ。一回空っぽにすると、もう、前の気持ちとは、別の自分がいる。
新しい生命を見る思い。
そう「赤ちゃん」を見ているような・・・・。不思議と、心が落ち着く。音楽にもこう言うのあるでしょ。「水のせせらぎ」「梢の風に吹かれる音。」
おそらく、人間は、母親の胎内にいるときは、こんな気持ちで生まれてきた。
ところが、いろんな言葉・知識・勉強・人間関係いろんなことを学習しすぎて・・・・。
訳がわかんなくなったとき、「安らぎを求める。」
そこには、自然の声・音・景色があり、何となく、落ち着く。
よく、記録映画で動物の親子や鳥が羽ばたくさえずりなど聞くと何か、知らないが、元気を貰うときがあるでしょ。
私のとって、高いところは、すべて富士山に通じる。あのころは、何も考えず、ひちすら、歌っていた。小学校四年生ぐらいから。
私なりにストレスと上手につきあってきた。みんな自分の逃げ道を持っていないとダメ。
それが端から見ると変でも・・・。
そして、元気を取り戻したら、再び羽ばたけばよい。
ただそれだけの話。自分なりの安らぎの場所を持って、社会に生きてください。
       再見。
 

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