ごじゃっぺ日記(旧、看悶日記)

京都生まれのにわか茨城県民による雑多な日記です。内容に一貫性はありませんが、どうかひとつ長~い目で見てください。

ぐんまのお米「ゴロピカリ」?収穫中

2011-09-25 15:14:10 | ぐぐっと群馬
昨日は抜けるような晴天でしたが、今日は少し雲が多い!

さて、ご近所ではお米の収穫が始まりました…

さてこのあたりは米麦二毛作地帯なので、品種は「ゴロピカリ」ではないかと思います。

まぁふざけたネーミングと言わないで…
コシヒカリを、群馬県の米麦二毛作地帯での栽培に適するように改良された品種。
上州の名物カミナリにかけたネーミング。
イナズマを稲の妻と書くように、雷とお米は切っても切れない関係なのです。

赤城山で秋の高い空を拝む

2011-09-24 18:26:49 | ぐぐっと群馬
先週末はまだ猛暑でした。しかし台風15号が通り過ぎ、一気に秋がやってきました。

今朝は少し肌寒かったものの、玄関を出ればこの空。これは絶好の行楽日和です。
赤城山に向かって、軽自動車のモコを走らせたのです。
赤城山を南面から登るルートは2本。元々有料だったメインの登山ルートと…
古くからの狭い県道。モコで出かけたのはこの狭い県道を登りたかったからです。

途中、ひいきの蕎麦屋でお昼を食べて、知る人ぞ知るジェラート店でデザート。
大間々のガソリンスタンドで燃料満タンにして赤城山にGO!
裏道の狭隘かつ激坂の県道を、モコのターボ全開グングン登ります!

こちらの旧ルートを選んだ理由はこの展望スポットに来たかったから。
ここの景色を眺めるだけで、離合困難な旧ルートを登ってきた価値ありです。絶対カングーでは来ませんが。

旧ルートの県道を登り切った先は小沼です。

元々、5万年前までは赤城山上の大きなカルデラ湖だったものが、後の噴火で大沼、覚満淵、小沼に分かれたそうです。
さてモコを鳥居峠に進めます。

南に目を向けると急峻な地形。
一気に谷を降りる感じですが、麓の利平茶屋からかつて(昭和32~42年)ケーブルカーが登ったそうです。
しかしわずか10年ほどで廃止したのは、麓の利平茶屋は桐生からはるか山裾に入り込んだ地で不便だったから?
おそらく前橋側から登る有料道路(バスやマイカー)がメインになり、利用が伸びなかったのでしょう。

峠というだけに、反対に目をやると…

手前が高層湿原の覚満淵、その先に大沼が見えます。
今日はどこも空が高くきれいな青色でした。ちなみ山上の気温は15度ほどで麓からは8℃程度低いです。

折角なので、この秋空のもと記念撮影。

小さいのに、キビキビ登ってくれました。
海抜170mの大間々で給油し赤城山の海抜1500m近くまで登り、海抜35mの自宅まで下る…平均燃費18.6km/Lでした。
こちらも優秀。

醤油蔵の見学に行く

2011-09-23 18:02:01 | 食べ物帳
3連休です。多分、観光地も道路も大混雑でしょう。どこか楽しい場所はないか?
ならばとテレ玉(テレビ埼玉)でよくCMをやっている、弓削多醤油の醤遊王国に行くことに。

弓削多醤油は、埼玉県坂戸市の地醤油蔵。醤遊王国は正式には弓削多醤油日高工場。

坂戸市に隣接した日高市にある見学施設を備えた新工場と言えばいいかもしれません。
工場見学が可能です…

醤油のいい香りがします。

その正体…これは何?
もろみから醤油を搾った粕です。牛のえさとして付近の畜産農家に引き取られるそうです。

蔵の中では…

もろみが醸されています。

いくつもいくつもの桶。上から見ればわかりつらいですが…

下から見れば、しっかりと杉の桶です。
ここの桶は80年ほど使用されているものらしいですが、まだまだ新品!300年は持つそうです。

2階にはカフェテリアがあり、醤油を生かした軽食が頂けます。ちょうどお昼だったので…
卵かけご飯に、お団子を戴きました。

ここでは、先にご飯に醤油をかけて、醤油かけご飯で醤油を味わってから卵をかけるのが流儀です。
今回の醤油は「しぼりたて生しょうゆ」、そして…

醤油と味噌を使った焼き団子。醤油を満喫です。

お土産も購入です。卵かけご飯でいただいた「しぼりたて生しょうゆ」。

ここでしか買えない特別な醤油です。火入れもしない濾過もしない、酵母の活きた少し濁った醤油です。
開栓前でも要冷蔵、開栓後は1ヶ月しか持ちません。なので、少しおしゃれな保冷袋とセットで購入です。

帰り道、熊谷の八木橋百貨店でお刺身とお寿司を購入。しぼりたて生しょうゆで戴きましょう!

東武熊谷線、熊谷市街を行く(後編)…最終回

2011-09-22 18:25:21 | 鉄道
熊谷市街前編、線路の遺構は一切なくイマイチ盛り上がりがなかったので、後編に期待です。

Q地点で国道17号中山道を渡り…(全く線路が交差している痕跡はなかったのですが)
そのまま公園がJR(当時は国鉄)高崎線との交差地点(R地点)に至ります。
鉄道の場合、後にできた路線が先の路線をまたぐのが鉄則ですから、東武熊谷線が国鉄高崎線をまたいだはず。

公園内に高崎線をまたいでいたであろう築堤が残されていました。

ちょうど、貨物列車が通過するところでした。

築堤自体は削られて低くなっているようです。

それでも、高崎線の先にもそのまま弧を描くように築堤が続いています。
ここが線路の跡の築堤であった証拠に、築堤をくぐる古いアーチ型の暗渠が残されていました。

久しぶりに線路の跡を物語る遺構に遭遇です。

さて高崎線を越えた先は再び住宅地の遊歩道になります(S地点)。

線路の跡を今に語り継ぐように踏切のモニュメントが。
そして、石原駅の西熊谷よりで秩父鉄道に沿うように合流したようです。

合流した先、T地点の踏切で東武熊谷線の遺構を確認します。
西熊谷、熊谷方面を観察。
右の高架橋は上越新幹線。そして中央は秩父鉄道。そして秩父鉄道の左の草むらに細いレールが見えます。

おそらく30kgレールなので、東武熊谷線が使用していたものと推測されます。
この先、熊谷駅にかけて秩父鉄道と並走していたようです。秩父鉄道の車窓からも確認できます。

終点の熊谷駅(U地点)は、秩父鉄道と共用だったようですね。

現在の秩父鉄道は秩父観光の営業面では西武鉄道寄りでしたが、当時は東武鉄道と密接な関係でした。

これにて東武熊谷線(妻沼線)の遺構を西小泉駅から巡るシリーズお開きです。




東武熊谷線、熊谷市街を行く(前編)

2011-09-21 17:47:55 | 鉄道
国道17号バイパスをくぐった先は(M地点)…

住宅地が広がっています。線路跡の道路?にも歩道と並木がセットになり…

でも、横断する道路に対し、バリケードは完全封鎖。バイパス北側のように自由な出入りはできません。

N地点までやってきました。線路跡に並木が続いています。

この付近では線路の東が住宅地、西が田んぼと境にレールが伸びていたようです。

線路跡の整備状態はさらに進み、後は舗装するだけという状態なのですが…
この先の線路跡の敷地が狭くどこにも続かないので、道路として完成しないのでしょうか。ずいぶん前からこの状態のようです。
実際に、線路跡は未整備のまま熊谷農業高校の裏側に回り込み…

その先のO地点では遊歩道になってました。

これでは、道路を完成させても中途半端ですね。

P地点付近からは、住宅密集地に入っていきます。

そして、Q地点で国道17号中山道と交差するのですが、線路跡が完全に交差点と重なっているのです。
廃止前はどんな踏切が設けられていたのでしょうか?
1時間に1往復とはいえ、踏切が無くとも普段から混雑している道路です。興味があります。
Q地点から先は遊歩道というより公園が続きます。


熊谷市内住宅地を縫うように走るのですが、道路建設地と遊歩道の連続で変化は少ないですね。
次回最終回、熊谷市内後編です。何か遺構という遺構はあるのか?