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同胞が殺し合う悲劇:ウクライナ紛争の根源は百年前のロシア内戦に遡る

2022-10-13 12:33:05 | 翻訳記事 Translation

 

日本の大手資本大手企業やそれら資本の横暴に異論を唱える政治家も、何故か経団連に飼われた大手新聞記事ばかり読んでいて鵜呑みにしている。

選挙区によって違うだろうがそれでも自公維以外に投票する。

悲しいかな、当選させたくない候補・政党以外に消去法的に投票するしかいまのところ方法がない。

ソ連の核容認した過去の二の舞を今度はウクライナ(アメリカNATO)の核容認で踏まないことを願うばかりだ。

野党でさえ意地を張って「面子・ポピュリズム」ばかりを優先していては先は暗い。

 

同胞が殺し合う悲劇:ウクライナ紛争の根源は百年前のロシア内戦に遡る

<記事原文 寺島先生推薦>

The real root of the Ukraine conflict goes back 100 years and is misunderstood in the West
Ukraine is celebrating a major holiday. But ahead, only hard times await.


ウクライナ紛争の真の根源は100年前に遡る。西側諸国はそれを理解していない。
ウクライナは主要な休日を迎えている。しかし、その先には困難な時代しかない。

筆者:ウラジスラフ・ウゴルニー (Vladislav Ugolny)
ドネツク在住のロシア人ジャーナリスト

出典:RT

2022年8月24日

<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>

2022年10月12日


ウクライナ最大の国旗がキエフの中心にある「祖国記念碑」の横に掲揚され、上空約90mをたなびいている。「私たちの国旗の日」の前日に設置された。© Aleksandr Gusev / Pacific Press / LightRocket via Getty Images


 現在のシナリオはこうだ。ウクライナは31回目の独立記念日(2022年8月24日)に頂点に達する。

 国民の幸福な団結のおかげで、ロシア軍に抵抗することができた。キエフはいまだ首都であり、オデッサは依然として支配下にあり、ドンバスにはウクライナ軍が隠れるための要塞がたくさんある。しかし、その東の要塞はもうマリウポリでもセベロドネツクでもなく、アブディエフカである。ただ、この事実*を彼らは省きたがるが。
*マリウポリとセベロドネツクは現在、ロシアの支配下にある。アブディエフカはドネツク人民共和国支配地域とウクライナ軍支配地域の緩衝地帯であったが、2016年3月にウクライナ軍がその東部の地域「工業地帯」に要塞を設置した。2022年9月末の時点で、ウォールストリート誌はウクライナ軍がアヴディフカで「防衛を続けている」と報じている。

 ロシアの軍事作戦の最初の6カ月間のこの成果は、ウクライナに輝かしい未来があると信じる人々にとって説得力のある議論に見えるかもしれない。キエフは初期の段階で、何とか防衛力を動員することができた。関心を持つ人には誰でも武器を配り、ドンバスには経験豊富な民族主義者の戦士を集め、ロシアの味方になりそうな地域の有力者層を買収し、あるいは脅すことによって、それができたのだ。

 しかし実際には、これは1991年以来継続的に行われてきた暴力、強制、欺瞞、操作、疎外政策の結果である。ウクライナが大西洋沿岸諸国の指針の影響から独立していれば、植民地政策と呼ばれたかもしれない。しかし、これは結局のところ、親ロシア派の市民に対する親西側勢力の勝利なのである。

 私たちは、これを、以前、アメリカやインドにおける英仏のにらみ合いで見たことがある。そして、その行き詰まりはアメリカ先住民とインド人にとってどんな結末となっただろうか。それはよいものではなかったのだ。

 そして、ウクライナにとっても、この先、良いことは何も待ってはいない。

 8年前、ウクライナはクリミアとドンバスの天然資源を失った。今日、クリミアはその地だけでいくつもの役割を果たしている。例えば、「ロシアの世界」の陳列棚として急速に発展しており、また、ロシアの黒海艦隊が定期的にカリブ・ミサイルでウクライナの軍事目標を攻撃できるウクライナへ軍事的脅威でもある。

 また、ロシアの最も成功した攻撃はこの半島から行われたもので、ケルソン、メリトポリ、ベルディアンスク、マリウポリを支配することになった。



関連記事:1991年、ウクライナ人はソビエト連邦の存続に投票したが、それでも同年末に独立国家となった経緯。

 2014年にドンバスのちょうど半分を失ったウクライナは、エネルギー崩壊の瀬戸際に立たされていることに気がついた。統一された炭鉱と火力エネルギーの複合体が台無しになったからだ。ドンバスの2共和国から石炭を購入する腐敗した枠組みが必要となり、オリガルヒ(新興財閥)のリナト・アフメトフや元大統領のピョートル・ポロシェンコが財を成した。さらに、反乱を起こしたドンバスは、ウクライナにとって常に軍事的な脅威となり、現在の戦争を引き起こしている。

 最も大胆で意欲的な歩兵もこの地域から生まれている。両共和国には大砲や戦車もあるが、彼らの歩兵はすでに半年前からウクライナの防御を深々と突破し、不可能を可能にしたことで記憶されることになった。

 2022年の今(8月)、ウクライナはケルソン、ザポリージャ地方の半分、ハリコフ地方の3分の1を失っている。これらの地域は、今やウクライナ経済から切り離されている。南の太陽の下で、おいしそうに甘く熟すケルソン特産のスイカも、ウクライナではもう食べられない。ザポリージャにある国内最大の原子力発電所は、ウクライナ国内に電力を供給しているものの、現在はロシア軍に支配されている。原子力発電に関してはことを急いではいけないが、ザポリージャ原発の電力は、いずれウクライナの人々が1ワット残らず失う日が来る。そこからはもう逃れられない状況にある。


ウクライナ南東部のザポロジェ原子力発電所のエリアを警備するロシア軍兵士。© AP Photo

 このような状況を打開するために、ウクライナ国民は30年かけてロシアとの紛争に備え、準備を進めてきた。元スパイで、現在ウクライナで最も人気のある評論家アレストビッチによれば、これは「メタ歴史的*」な紛争であり、400年にわたる戦争のクライマックスで、その後ウクライナは勝利するか忘れられるかのどちらかである、と言う。アレストビッチは欧州系の哲学者なので、ウクライナ人が聞き慣れているようなことを伝えるのに、わざと少し難解な言葉を使っている。それは1990年代に犯罪を犯した経歴を持つオリガルヒや、共産党独自の表現を操っていた旧ソ連の高官たちが使っていたような、あまり洗練されていない言葉遣いである。そのような風潮を表す最も簡潔な例を挙げれば、典型的な「ウクライナに栄光あれ」の敬礼だろう。ガリシア地方**でもともと人気があったが、最近になってより広く採用されるようになったものだ。
*歴史を俯瞰してどのように解するか、の意。 **ウクライナの南西部

 この記念日は、億万長者の犯罪者、政治家や役人、ガリシアの住民たちのためのものである。彼らは制度的権力を奪って特権を手に入れた「ウクライナ国民」なのだ。国の独立を祝う記念日ではない。

 彼らの中には、冶金、エネルギー、食品産業、化学セクター、琥珀採掘、アルコール・タバコ製造、銀行など、数十億ドル規模のビジネスの利益を得られるよう政治的な圧力をかける権利を持ち、ウクライナ経済の民営化で得られる甘い汁に群れる特権を受けた者もいる。確かにウクライナには外国人投資家もいるが、最も収益性の高い産業を支配しているのは地元のオリガルヒなのだ。ウクライナ市場を他の競争相手、特にロシアと共有しないことが、常に彼らの重要な関心事となっている。



関連記事:分裂の種:ロシア語圏のドンバスが2004年にウクライナから初めて独立を勝ち取るまでの道のり

 彼らは政治家や役人の助けを得て、ウクライナ市民を主な富の構築源としていた。彼らは政府資金を盗み、密輸品を密輸し、偽造品を製造し、麻薬や人身売買の市場、そして賭博で分け前を得ていた。この癒着構造により、役所を買収できる状況が作り出され、オデッサの港で金を稼いだり、ハリコフのビジネスマンから痛みのない税務監査を約束して金をゆすり取ったりするのに役立った(これらの仕事が分配されるのには、キエフとのコネが必要だったからだ)。だから当局はウクライナを連邦化するという要求をいつも無視していた。そうなれば意思決定の過程を独占できるという特権を失うことになり、それが彼らを怖気づかせたのだ。連邦制度導入により、モスクワに利益をもたらす可能性がある場合は、特にそうだった。

 最後に付け加えておきたいことは、かつてはオーストリア・ハンガリー帝国の一部であったガリシアの住民が、ウクライナ人に加わり、(ウクライナという)ひとつの国*の国民となったのは、つい最近の1939年のことだった、という事実だ。ガリシア人たちは、宗教、方言、価値観、歴史によって、他の国民と分けられていた。ガリシアにはほとんど産業がなかった。この地域で価値があったのは、ポーランドとオーストリアの建築物(あるいはその名残)、いくつかのリゾート地、森林(無秩序な森林伐採により、今ではかなり間引かれている)、そしてEU国境に近いため密輸と労働力の移動がずっと容易だったことくらいであった。これは、ウクライナの南部と東部の富とは比べものにならない。
*ソ連構成国のひとつだったウクライナ・ソビエト社会主義共和国。


ウクライナのリヴィウの街並み@Getty Images / SilvanBachmann

 ガリシア人はすぐに、自分たちの地域が国の文化の中心地としての地位を確保できる究極の資源を持っていることに気づいた。それは自分たちの歴史であり、ウクライナがロシアから距離を置こうとする動きと、ロシア人を同化させることによって独立を維持しようとする試みの両方を正当化することができる歴史だ。たとえそれがまさに彼らがしばしば不満を言っていた 「植民地主義」 政策であったとしても。

 ガリシア人はウクライナ化の十字軍として、自分たちの権利を落ち着きなく主張する少数民族と化したのだ。彼らが「ウクライナに住んでいるのだから、ウクライナ語を話さなくてはならないだろう」と考えるようになるのは自然の流れだった。しかし、学校のカリキュラムには限りがあり、ウクライナ語、文学、歴史は、ロシア語など他の教科を犠牲にして勉強するようになっていた。そして、ウクライナ政府が大学入学統一試験を導入し、ウクライナ語の習得が義務づけられると、ロシア語を話す家庭の子どもは入試が不利になった。ロシア語とウクライナ語を同等に扱えと言う人がいれば、ガリシア人は「ロシア語には勝てないからウクライナ語は消滅する」と答えただろう。このような政策は、ウクライナのロシア語を話す人々に対する制度的差別の一例に過ぎない。



関連記事:ウクライナのネオナチ「アゾフ大隊」は「国家の中の国家」を築き、ロシアとリベラルな西側諸国を軽蔑している。

 ロシア人の権利を守ろうとする政治勢力は、ことごとく潰された。2005年にウクライナから分離しかけたハリコフ州の元知事エフゲニー・クシュナリオフは、狩りの途中で不可解な死を遂げた。彼の思想を利用した「地域の党」が彼の死後、政権を握ったが、ロシア語圏を守るという公約は守らなかった。またロシア語を国語にするという公約も守らなかった。

 また、オデッサの*ロディナ党も消滅した。オデッサ市議会の代表であり、党首は国会議員を務めたこともある政党だった。実はその党名にも、ウクライナの排外主義的な政策が表れている。政党の名称はウクライナ語で登録することになっていたので、このオデッサの政党はロシア語と全く同じ発音のウクライナ語を探さなければならなかった。その結果、ロシア語の「祖国」をウクライナ語の「家族」と偽らなくてはならなくなった。その党は2013年末に無くなった。党首のイゴール・マルコフが刑務所に送られ、他の主要人物も移住や潜伏を余儀なくされたからだ。オデッサの人々以外、誰も抗議の声を上げなかった。ロディナ党はウクライナ国家にとって非常に異質な存在だったのだ。ちなみに、この党に対する弾圧は、「親露派」とされるヤヌコビッチ大統領の命令によるものだった。
*ロシア語の「ロディナ」は「祖国」の意味。ウクライナ語の「ロディナ」は「家族」の意味。


キエフの聖ソフィア広場の集会で支持者に演説するヴィクトル・ヤヌコーヴィチ。© Sputnik / Alexey Kudenko

 その結果、ウクライナのロシア人は、自分たちを同化させようと目論む国の中で、政治的代表権を持たないまま取り残されることになった。マイダンが起こったときまでには、ウクライナのロシア人が不確かな未来に直面していることは明らかになっていた。彼らはそれぞれ、逃げるか、戦うか、降伏するかの選択を迫られていた。多くの人が最初の選択肢を選んだ。2015年から2018年にかけて、40万人以上のウクライナ国民がロシアのパスポートを取得した。それ以降の期間は、さらに高い数字になっているが、これは、故郷に残ったドンバスの人々にロシア国籍が大量に付与されたためである。多くの人が武器を手に取ったのは、クリミアやドンバスの2共和国が自決権を行使し、ハリコフ、オデッサ、ザポリージャでの抗議行動を暴力で鎮圧された後のことだった。これらの地域から大量の人々が志願するように追い込まれたのである。

 中には、ロシア軍が自分たちの市や町を解放してくれるのを待ち続けている者もいる。スヴェトロダルクやセベロドネツクからの動画記事は、民兵の家族が8年ぶりに息子に会い、喜びの涙を流す瞬間を捉えたものだ。しかし、多くの人はあきらめている。誰もが生まれながらにして英雄というわけではないし、すべてを捨て、敵地で反体制的な生活を送る覚悟のある者ばかりでもない。これがウクライナに住むロシア人の悲劇である。

 この悲劇はウクライナ国家の勝利である。彼らはロシア系ウクライナ人を人質に取り、彼らをロシアに敵対させたからだ。

 なぜ、そうなったのだろうか、話してみよう。昔、ある小さな男の子が、いつか軍に入ることを夢見ていたとしよう。彼はやがてウクライナ人の将校になり、宣誓して、お父さんとお母さんを誇らしくさせた。ハリコフのロシア語圏の家庭の話だとしよう。その後、ウクライナ政府はドンバスで戦争を始め、大人になったその少年に義務を果たすよう呼びかけた。ウクライナ政府は、ウクライナ国民を守るという誓いを、ドンバスで蜂起したロシア系ウクライナ人を潰すという約束と解釈していたのだ。将校はジレンマに直面した。何が善で何が悪なのか。正しい選択をして戦争に行くことを拒否した者もいれば、過ちを犯した者もいる。より大きな流血を防ごうとしたり、徴兵の世話をしたりという善意があったこともある。2014年には戦争の拡大を避け、前線に投げ出された部下の命を救いたいと願っていたウクライナ人将校たちもいたのだ。しかし戦争が長引いて多くの人が死に、危険はさらに高くなった。



関連記事:「確実な死に追いやられる」。ドンバス前線での戦闘を拒否するウクライナ軍人の数が増えている理由

 ドンバスで子どもたちがウクライナ軍に殺される一方で、ロシア語を話すウクライナ軍人の友人や同僚が両人民共和国の民兵の手によって命を奪われていた。そのため、紛争は彼らにとって個人的な次元のものに変わってしまっていた。違う選択をしたために、分断の両側に身を置くことになったロシア人同士が殺し合う一方で、ウクライナ政府は勝利を祝っていたのである。

 オデッサの小売業者は、独立したウクライナにほとんど憧れを抱いていなかったかもしれない。彼の考えでは、ウクライナは腐敗した役人、凶悪な法の執行、終わりのない経済危機の代名詞だったのだ。適切な管理が行われないまま、自分の大切な街が少しずつ崩れてゆく。そんな折、戦争が始まり、市街戦で彼の所有物のすべてが破壊されそうな状況が生まれる。彼はどうすればいいのだろう。ある者はこの危険を仕方のないものと諦め、ある者はロシアが平和的にオデッサを奪うことを願った。またニコライエフとケルソンの間でウクライナ軍を支援することを決めた(あるいはウクライナの過激派に命令された)人たちもいた。彼らの願いは、前線が遠く離れ、自分たちの生活が助かることだったのだ。


プリモスキー大通りの眺め、ポチョムキンの階段の上で、ウクライナ、オデッサ。© Michael Runkel

 ウクライナと戦っているロシア人は、ウクライナに屈し、それを支持しているロシア人に多くの疑問と厳しい言葉を投げかけている。

 これは悲劇だ。ウクライナ軍の最も有能な部隊は、ロシア語を話す兵士と将校で構成されている。しかも彼らの上級指揮官は、ロシア側の上級将校と同じ軍事学校に通っていることが多い。

 ロシア兵と戦う唯一の相手は、ロシア兵なのだ。

 これは100年前のロシアの*内戦で起こったことである。そしてこの要因は、現在の紛争にも引き続いて残っているのだ。

*1917年 から 1922年 にかけて旧ロシア帝国領で争われた。内乱は主に赤軍(共産主義者・十月革命側)と白軍(ロシア右派、共和主義者、君主主義者、保守派、自由主義者)の間で戦われた。白軍には英仏日米などの協商国(赤軍側からは「干渉国」と呼ばれる)が直接、間接に支援を行っていた。

 「やはり、ウクライナ人は興味深く、かつ難しい対戦相手だ。おそらく、我々にとって可能な限り最も困難な相手だろう。彼らはロシア人の一部なのだ。ただ頭の中は洗脳されているが。しかし同時に、他の点では、彼らは我々と同じ資質や性質をすべて持っている。彼らは私たちのことをよく知っている。私たちが彼らを知っているのと同じだ。心理学や精神構造の観点から言うと、自分自身の影と戦争しているようなものだ」と、あるロシア兵はテレグラム・ブログに書いている。

 しかし、NATOは、ロシアに対してハイブリッド戦争を導入する完璧な方法を見つけた。彼らは、瓜二つの身代わりを対ロシアにあてがい、武器を与え、NATO自身は崩壊しないよう、手を打ったのだ。ロシア側にとって、この戦争は、私は繰り返して言うが、悲劇であり、友愛戦争でもあるのだ。しかし、ロシア側には代替手段がない。なぜなら、彼らはドンバスを放棄することも、ウクライナによって大量虐殺的な同化政策がとられ続けられることを許すこともできないからだ。


ドネツク人民共和国ニコラエフカ村の軍用車両で撮影されたドネツク人民共和国軍の軍人たち。© Sputnik / Viktor Antonyuk

 ウクライナに良いことは何もない。ロシアとの対立の中で、ウクライナ人は欧米の援助に頼らざるを得ず、その結果、独立を失ってしまったからだ。短期的には、融資、武器供給、外交支援という形で利益が約束されるが、最終的にはすべてを支払わなければならない。欧米の影響力をポスト・ソビエト空間に引き込んだことで、ウクライナは危機を一桁増してしまったのだ。

 ウクライナ人はすでに多くのものを失っている。たとえ前線が今のままであっても、キエフはこの冬、間違いなくドンバスの残りの地域を失うことになる。そこに暖房を供給することができないからだ。そこは、ウクライナ兵がロシアの砲撃の中で寒さに震える雪原となるだろう。どこにも行き場のない、無防備なおばあちゃんたちも出てくるだろう。

 彼らを救えるのはロシア軍だけだ。

 ドンバスではすべてが決まったが、ハリコフではそうではない。市長は暖房シーズンに向けての英雄的闘争を嬉々として報告しているが、市の人口150万人のうち、大半の人々がこの冬を生き延びられない可能性がある。ハリコフはウクライナで2番目に重要な都市である。ザポリージャにも同様の問題が発生する可能性がある。いずれにせよ、ウクライナ政府が住宅や公共事業の分野を補強しなかったこと(例えば、労働者を前線に動員しなかったこと)による人道的危機は、前線地域を無人の土地に変えてしまうだろう。ウクライナは経済的利益を失い、その見返りとして新たな避難民を受け取るだけとなる。

 「穀物協定」によって、オデッサの港は少なくとも何らかの仕事が始まることを望めたが、ウクライナは依然として海軍の封鎖下にある。貿易は増えたが、港は実際には機能していない。


ウクライナ、オデッサの港。© Getty Images / Education Images / Universal Images Group

 実際、オデッサ都市圏はその主要な活動領域を奪われ、ウクライナ政府はその潜在能力を十分に生かしきれていない。市は損失を被っている。その見通しは不透明だ。オデッサで実際に進んでいるのは、「ロシア帝国主義」のモニュメントに対する闘いだけだ。ウクライナ人は港の封鎖を解けないので、街の創設者であるエカテリーナ大帝の記念碑を取り壊すことで埋め合わせをしようとしているのだ。



関連記事:アレクサンドル・ネポゴディン:現在ロシアが支配しているウクライナの地域は、今後どうなるのか?

 この独立記念日は、ウクライナの国家としての頂点を極めるものである。ウクライナの民族主義者は30年間、他者を欺き、威嚇し、急進派を固め、賄賂を贈ることができた。そのおかげで、ウクライナはロシアとの半年間の対立に耐え、この先もしばらくは耐えることができるだろう。しかし、その防衛戦略は、ゆっくりと後退し、領土を失い、最前線の領土の適切な管理を確保できなくなるだけだろう。

 今後、困難は増大し、より複雑になるばかりで、西側諸国にとってウクライナを維持するための費用も比例して上昇することになる。1円でも節約すれば、人道的危機は深まり、領土がさらに縮小することになる。当初は変化への恐怖が国民的高揚感を呼び起こしたが、今後は戦争疲労、貧困、失業、飢餓、寒さが増していくだろう。結局、ロシア軍は、より多くの数の砲弾を携えて、一歩一歩前進していくだろう。そして 解放されたロシア民族が多く住むすべての都市で、人道支援を提供する準備を整えることになるだろう。

 

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