They would have their cousins in Asia too, which was a Western colony.https://t.co/sIMMkO2We6
— jannmu (@jannmu) June 21, 2020
昨日は久しぶりに電車という乗り物に乗った。
市営地下鉄は海に近いほどドブ臭い。
あの電車に乗って通勤通学する女性たちは、せっかく朝シャンしても無駄になってしまうがどうなんだろうか。
相変わらずエスカレーターではそろばんで「願いましてはジー」という御破算にする音が聞こえてくるような人の動きが見える。
電車が多摩川を渡ると、神奈川県から東京都に変わる。だからといって車内はナンモ変わらない。
渡ってすぐの駅は幼いころにちょくちょく行った遊園地があったのだが、車窓からはもう見えない。駅名も変わって以前そこが遊園地であったことは知らない人は知ることができない。
駅のホームに少し前にあった広告は、子猫がびっくりして飛び上がっているという写真だった。何の広告かはこの際どうでもいい。
あの子猫はいったい何にびっくりして飛び上がっていたのだろうか。そこから誰しもが作家活動に入れるのだ。それを自分なりに想像する。ストーリーが浮かんでくる。
話はまたもや前後するが、宵も深まったころ帰宅して部屋の戸を開けると突然サワサワザワと来るではないか。あるこげ茶色の物体が左右不規則に触覚を振りかざしながらこちらに向かって来るではないか。
一瞬の空白。私は息を詰めた。瞬間スリッパを手に取っていた。
パシッ!ビシッパンパン!!!
殺意は突然現れる。
しかし私は考える。このいま、心に残存する気持ち悪さと後悔の念と少しの不安が混在したこれ以上説明ができないような感情はいったい何なのかと。
少なくともはっきりと分かるのは、殺意の直前に抱いたのは「恐怖」であった。人は恐怖によって、もしかしたら武器(私の場合はスリッパであったが)を手にするのではないのだろうか。
あのこげ茶色の物体にしてみればたまったものではない。生きて歩いていただけで攻撃されてしまうのだから。もし、その物体と意思疎通することができたなら、私の住み家だと説明し、外への道先案内くらいはできたのではないのか、あるいは特別応接室を急ごしらえして、なんなら二三日泊まってもらってもよかったなと、そう別の後悔の念も併せて内在することを発見することに相成ることに成功した。
この辺で話を戻すが、サラっとここまで聞き流すこと。
壊しては造ってまた壊し、質は低下する社会のmemo
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