JAHPON LAND( Pucci )

スケートファニチャーやステンドグラス作品などJAHPON.comとして活躍する作家 土屋隆亮(プチ)のメッセージ!

青春のスーパーマシーン

2007年12月04日 | Weblog
1993年「プチ族」と呼ぶシリーズの作品をパルコのアートコンペ「アーバナート」で発表し始めた。肩の力を抜いた、三輪車とローラースルーゴーゴーをカスタムしたものだった。MODSと呼ばれるベスパを飾り立てるスタイルを子供用の乗り物に施しただけだが、当時の観念からすると相当な手抜き作品で「レディメイド」や「POP ART」の概念を知らなければ意味不明と思われていました。それだけに斬新で「やったもん勝ち」のアート界に「三輪車や子供用のカスタムにアートとしての価値を見出す」と言う構造は「打ち止め」的な痕を刻んでやったのです!今後 未来にも似た作品は「真似の贋作」と呼ばれる仕組の芸術歴史の文脈に載った事は偉大な功績で自慢です。後々知り合ったアーティストに「当時 おれの作品にショックを受け 影響されました!がんばって下さい!」と言われた事があります。嬉しいと同時に「おれの作品は一般の人よりもアーティストを志している人に受けがいい!」と複雑な心境ですが確認した出来事でした。シリーズの受賞の中でも「テイ・トウワ賞」を頂だいた時 テレビのインタビューに答えたテイさんは「一番何も考えて無さそうだったから選びました」と言ってくれて、感激したものです。碓かにシリーズを作る時 自分の中の無意識に任せて もう一人の馬鹿なおれを尊重して行動します。拾った肌色のアメリカンなプラスチックの三輪車バギーのハンドルに 拾った牛骨を乗せたらサイズやら納まり、色までもピッタリで 乗せたまま手を離しても平気なくらいハマったのです。制作時間はゼロ秒でした!無意識のおれを操るコツを見失いそうな時、この時の直感力を思い出して ガイドにしています。最初は全く作品作りの意識など無く、初の一人暮らしの上京で 妙な服や行動に御近所さんの眼を気にする両親がいない自由さで、当時興味があったMODSスタイルを まだ免許の無いおれは自転車にベスパの荷台を取付けて、古い自転車屋を巡ってメタルの古いライトを探し廻って滅茶苦茶な数のライトやミラー、ホーンを付けて普通に毎日乗っていたのです。映画「さらば青春の光」を観た直後にMODSのダサさ 情けなさに驚愕して、付けていたライトを全て取り外し 一瞬で冷めてしまいました。反動でワイルドなアメリカンスタイルにハマるのは自然で驚く様なウエスタン村ぶりが、若いノイローゼぎみの自分を思い出すだけで笑えます。取り外したライトが三輪車に移動したという訳に当時のMODSに対する感情も偶然に籠っていて何とも説明出来ない作品の出現に 未だに眺めて感慨にふけれます。切ないノスタルジーや楽しい悪戯、おれにとっての芸術、アートの原点が一番率直に現せている大事な処女作品です。青春かも!
画像はサイト内のアートの中プチ族ボタンです。 http://www.JAHPON.com