MAKO’s日記

身の回りでの出来事

最後の葬式

2010-01-23 22:36:27 | Weblog

●経過
 1/16 (土)18時頃 母が頭を抱えていた。(私は食事の準備中)
      19時頃 食事のテーブルに着いてもらおうとしたが、体が左に傾き、足がおぼつかなく、一人では移動できなかった。
      抱きかかえて、何とか椅子に座ってもらったが、
    「ご飯どころでない。頭が痛い。タオルで頭を縛ってくれ。」
    「とにかく我が感覚でない。病院へ連れてってくれ。」
    完全に様子がおかしい、と思い、「福井厚生病院」へ連れて行くことにした。
    直感的に、頭の中の血管が切れた?、と思った。
    老人車につかまってもらい、左に傾く体を引き起こしながら、車まで移動。
    ポータブルトイレの前で、急に、「おしっこをしたい。」と言いはじめた。
    しょうがない。
    何とか、自分で用は足した物の、ズボンを引き上げられない。
    どうにか立ち上がらせ、老人車につかまってもらい、ズボンを引き上げた。
    そのまま移動させるが、左足が動かない。
    どんどん悪くなっていく。
    しょうがないので、抱きかかえて、車まで移動した。
    車に乗せて、近くの厚生病院へ移動。
    反応がどんどん無くなっていく。
    移動中は、ほとんど無言。
    とにかく、頭が痛いのだろう。
    10分ほどして、病院に到着。
    受付の女性に手伝ってもらい、車椅子に乗せる。
    緊急で診てもらった。
    対応の先生が、いつも整形外科でお世話になっているF先生。
19:35 一目見て、「確かにおかしい。反応も弱い。」 点滴を始める。
    「頭の中で出血か?」、と聞いてみると、「分からない。とにかくCTで調べる。」と言う。
19:43 約10分ほどしてからCTの技術者が来て、検査。
19:48 5分位して、「やはり、言うとおり、脳内出血です。10cm×5cm位の出血が後頭部右側にある。」
    「至急治療が必要です。この病院には脳外科がないので他の大きな病院へ搬送します。どこが良いですか?」
    とっさに「県立病院」と答えていた。
20:04 20分位して、救急車が来た。
    F先生がカルテ持参で一緒に付き添ってくれた。
    私は、帰りがあるので、自分の車で追いかけた。
20:17 私が県立病院着。救命救急センターへ駆け込む。母は既に着いているはず。
20:27 県立病院の先生から説明受け。
    「右後頭部に出血している。状態は落着いている。反応もある。」
21:30頃 弟、着。
    2人で黙って見ているだけ。
    反応はあるものの、かなり小さい。
    看護士によると、血圧を抑え、血が固まり易くする薬を点滴している、と言う。
23:00頃 見ていても、どうしようもない。
    こちらの体力も温存しておく必要がありそうだ。(長期戦を覚悟する。)
    看護士から、「明日、9時頃、もう一度CTで検査をする。そのころに来てもらえると良い。」
    と言うことなので、帰ることにした。
1/17(日)
 9:30頃、県立病院の救命救急センターにつく。
    しばらくして、弟も来た。
10:00頃 県立病院の先生から説明。
       脳内出血で、左のほうが出血中。
       このまま出血が続てい脳幹まで達すると、死に至る。
       確率的に、死亡 30%、あとは寝たきりかよくて車いす、である。
       先生の話し方を見て、寝たきりになりそう のように見えた。
       年齢などを考えて、今日(1/17)~明後日(1/19)が山である、ということだ。
    このまま、17時頃まで見ていた。
    しかし、ただ見ているだけで、何もできない。 やりきれない。どうしようもない。
    病院から指示された入院に必要な品物を持ってはきたものの、全く使うまでにならない。
1/18(月)
18:00頃 仕事終了後、病院へ行った。
     全く変わっていない。
19:00頃、弟も来た、
     もし、寝たきりになったら、協力を頼む。
     妻がいれば何とかなるかもしれないが、それもいない。
1/19(火)
 2:20頃、携帯がけたたましくなった。
    県立病院からだ。
    「呼吸していない。至急来てください。」と…
    弟に連絡した後、車で駆けつけた。
 2:45頃、着いた。
    母の顔に白い布がかぶせてあった。
    じっと見ていたら、看護士さんが布を取ってくれた。
    平穏な顔つきだった。
    何の言葉も出なかった。 ただ、じっと見つめるだけしかできなかった…
    弟が、飛び込んできた。
    泣いていた。 素直に表現できるって、いいな…
    先生から説明。
    特に苦しがることもなく、静かに息を引取った、と…
    どれくらい見ていたか、定かでない。
    看護士から、体を拭くので、席をはずして欲しい、と。
    その間に、葬儀社へ連絡して、帰宅してはどうか、と。
     ああ。そうだ。
     妻の時に世話になった葬儀社の担当者に連絡。
    私が自宅まで誘導して、帰っては来たものの、玄関にはまだ雪が一杯!。
    全く、除雪をしてなかった。
     弟に除雪を頼み、私は散らかっている部屋を片付ける。
     母は、足が痛かったため、部屋のあちこちに生活必需品を置きっぱなしにしていた。
     私は、心の余裕?がなかったため、放置していた。除雪も…
    何とか、布団に母を寝かせてひと段落。
    気がついたら、夜が明け始めていた。
    6:30頃、母屋(父の実家)の従兄弟に連絡。
    その後、親戚、近所へ連絡しまくる。
    葬儀社とは、通夜と葬式の日取りを予め決めておいた。
     1/20(水)18:30 通夜
     1/21(木)10:00 葬式
    後は、母屋の従兄弟に任せて、私はボーっとしていた。
     親戚の一覧表、タイムスケジュールを、父と妻の葬式の資料を基に作っただけ。
    町内の親戚から、「枕経はしたのか」と聞かれ、何のことか分からなかった。
     2回も葬式をしているにもかかわらずである。
     説明を聞いて、慌ててお寺へ連絡。
    ただ、会社には御供え物を私の言うとおりにさせていただいて、大変助かった。 ただ感謝あるのみ…

1/20(水)
15:00 納棺
     M子が泣いていた。
     母親を小学4年生の頃に亡くし、母が親代わりをしていた。
     突然、母がしていた指輪を見て、「これ、欲しい。だめ?」
     良いに決まっている。「良いさ。母も喜んでるよ。」
      担当者が、手際よく指輪をはずして、M子に渡す。
      大事そうに、持っていた。
      「宝物が増えちゃったね。」 「うん…」
16:00頃 会館に安置。
18:00 御通夜
     ただただ頭を下げるだけ。
20:00頃 母の兄弟の子(従兄弟)が2人来てくれた。
      昔の思い出話をしながら、3時?頃まで呑んでいた。
      が、どんな話をしたんだろう、 よく覚えていない。

1/21(木)
10:00 葬式
12:30 火葬場
18:00 近所のお寺に納骨
20:00頃 解散

 終わった。
 全てが終わった。
 この家に残ったのは、私一人…
 母は何だかんだとできない世話をしたがって、うっとおしかった…
 が、ありがたかった。
 16時頃から5分毎に電話がかかり続け、私の気が狂いそうにもなった。
 それもこれも… 終わった。

 …  …

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