2010年11月13日(土) その2からの続き
その先、床並地区に入ると、国道からは少し離れた道を辿るのだが、九十九折りでかつ上り下りの連続となり、国道を歩くよりも道のりが倍以上長くなるのは仕方ない。
鎖峠の少し手前で国道と合流するのだが、その合流点のもう少し手前には、石造りの眼鏡橋(三見橋)を見ることができる(写真上)。説明板によれば、明治26年に県道の土橋として建設されたのが最初で、その後、大正3年に石造りとして改築し、昭和25年に県道から国道に格上げされたが、昭和38年に別ルートに国道が拡幅して完成されたために市道に格下げされ、それが幸いして今に生き延びたらしい。街道は、この眼鏡橋を見上げるようにして足下を登って行く。
登り坂の連続の後、ようやく萩市に別れを告げ、長門市との境の鎖峠に辿り着く(写真中)。峠を下ると、国道はトンネルが三つ続くのだが、街道は国道から離れて左に下って行く。滝坂、一ノ瀬を経て宗頭へ出て、ここからは国道とほぼ並行して湯免温泉方向へ向かう。
何の気無しにしばらく街道を歩いていたら、トットコトットコ歩いていく小さな動物に出会ったが(写真下)、よく見ればウリボーだ。思わず、近くに母猪がいるのではと辺りを見回したが、その気配は無く、またウリボーも無心に草の根を掘り返してはムシャムシャと食べていたのだ。
『はよぅ山に帰らんと、猟師に見つかって撃たれるぞぉ~』と言ってやったのだが、全く無視されてしまった。
その4に続く
その先、床並地区に入ると、国道からは少し離れた道を辿るのだが、九十九折りでかつ上り下りの連続となり、国道を歩くよりも道のりが倍以上長くなるのは仕方ない。
鎖峠の少し手前で国道と合流するのだが、その合流点のもう少し手前には、石造りの眼鏡橋(三見橋)を見ることができる(写真上)。説明板によれば、明治26年に県道の土橋として建設されたのが最初で、その後、大正3年に石造りとして改築し、昭和25年に県道から国道に格上げされたが、昭和38年に別ルートに国道が拡幅して完成されたために市道に格下げされ、それが幸いして今に生き延びたらしい。街道は、この眼鏡橋を見上げるようにして足下を登って行く。
登り坂の連続の後、ようやく萩市に別れを告げ、長門市との境の鎖峠に辿り着く(写真中)。峠を下ると、国道はトンネルが三つ続くのだが、街道は国道から離れて左に下って行く。滝坂、一ノ瀬を経て宗頭へ出て、ここからは国道とほぼ並行して湯免温泉方向へ向かう。
何の気無しにしばらく街道を歩いていたら、トットコトットコ歩いていく小さな動物に出会ったが(写真下)、よく見ればウリボーだ。思わず、近くに母猪がいるのではと辺りを見回したが、その気配は無く、またウリボーも無心に草の根を掘り返してはムシャムシャと食べていたのだ。
『はよぅ山に帰らんと、猟師に見つかって撃たれるぞぉ~』と言ってやったのだが、全く無視されてしまった。
その4に続く
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