霊の「関東……もとい、長州ウォーキング」

「関東歩き旅」の続編で、「長州歩き旅」を始めました

検見川送信所跡地

2008年08月03日 | 関東の旅(千葉県)

検見川浜に引っ越して来て以来、ずっと心に引っかかっていたことがあって、それは、「検見川」と言う地名が、昔何かで見たような気がしていたのだョ。今朝は早くから目が醒めたので、ネットで少し調べてみた。
すると、「検見川送信所」という名前が目に止まったので、『これだっ!』と気がついた。若かりし頃(昭和40年代後半~昭和50年代)に船乗り稼業をしていたとき、色々な無線局のお世話になっていたが、その中の一つが、この検見川送信所だったのだ。オイラの記憶が確かなら、当時、海上における貴重なニュース源だった、共同通信社の短波FAXによる新聞放送(JJC)は、ここ検見川送信所や臼井送信所(千葉県佐倉市)からの電波にのって、遙か地球の裏側まで届けられていた筈だ。
ネットにも結構出ていて、これやこれなど、かなり詳しく載っている。また、千葉工業高校の校歌の歌詞にも、「無線塔を高空に、仰ぐ希望の光、われら」などと唄われているようだ。
と、ここまで分かったからには行ってみるしかあるめぇ、と思って場所を調べてみると、自宅から歩いて30分足らずの所であることが分かったので、早速でかけた。総武線新検見川駅の少し手前(南東側)にそれは残っていて、今はもう廃墟というしかない姿に変わり果ててはいるものの、大正時代末期に建てられたとはとても思えないモダンな出で立ちには、正直とても驚いた。そのまま、原宿や代官山に移築しても、全然違和感のないほどの洗練された佇まいは、設計者の先進性によるものだろうか。
ネットによれば、東京や大阪の現中央郵便局を設計した”日本の逓信建築の父”と呼ばれる吉田鉄郎氏の作品らしいが、建造物遺産としての価値もさることながら、この検見川送信所自体を物語る歴史遺産としても、大変貴重なものだと思う。
既に周囲は住宅地になっていて、近々この廃墟も千葉市が取り壊すそうだが、日本初の国際放送を行うなど日本の通信に大きな貢献をした近代化遺産としても、また地域の歴史を振り返るうえでも無くてはならないものではないだろうかネェ。千葉市が、どうしてもここを住宅地にしなくてはならない理由は、一体何なんだろうかとふと考えてしまう。



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