⇒岡村家一族 2007年7月21日(土)
以前に水戸街道を、浅草から松戸まで(2004年9月26日)は歩いているので、今日は、柏から松戸までを歩いてみた。
柏駅前を東口に出て、旧水戸街道(県道松戸柏線)を、南柏⇒北小金⇒新松戸⇒馬橋⇒北松戸⇒松戸とゆるゆる歩いてみたが、小金宿以外は余り旧街道を忍ばせるモノもなく、三時間くらいが経過した。
途中の馬橋で「流山電鉄」と書かれた標識が気になって、この後、松戸から再度馬橋まで戻り、終点の流山駅までを、総武流山電鉄沿いに歩いてみることにした。単線で二両編成の、見るからにローカル線の佇まいを醸し出す、面白い電車だ。写真右は、馬橋駅を出て、しばらく並行するJR常磐線から分かれて流山に向かう姿だ。
踏切を渡ったときにふと気になったのが、何だかレールが真っ直ぐではないように見えたことで、写真左のようにグニャグニャと湾曲していたように見えたのは、目の錯覚だろうかナァ?。ま、大したスピードを出してもいないので、そんなにきっちりと保線をしなくてもいいのかもしれないが…。
JR新松戸駅に隣接する幸谷駅からは、流山に向かって北上し、小金城趾⇒鰭ヶ崎(ひれがさき)⇒平和台⇒流山と辿った。始発の馬橋から終点の流山までは、僅か6km足らずの短い路線だが、こんなもんで採算が取れるのか不思議でならない。流山と言えば、今は、つくばエクスプレスなる新しい路線もできたことだしなぁ。
流山駅前は比較的静かで、すぐ近くに市役所はあるものの、商売の中心は、つくばエクスプレス線沿いの駅に、もう移ってしまったのかも知れないと感じてしまった。ただ、駅前には、新撰組の幟やステッカーをあちこちに見かけたので、案内板を見てみると、甲州勝沼の戦いに敗れて江戸に戻った新選組が、薩長軍に追われて流山に移動してきたと書いてある。すぐに薩長軍が流山に来襲し、近藤勇はここで捕縛されて江戸送りとなり、土方俊藏とはここで別れ別れになったようだ。
これらの遺跡が残る駅の近辺を散策したあとは、流山街道を一気に北上して、野田線の江戸川台駅から電車で帰ることにした。ちょうど6時間の40,338歩だった。
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