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心のつぶやき

美しいものを一枚の写真に残したい。

清水寺

2007-05-04 | つれづれなるままに

行基が創建し、
坂上田村麻呂が
立ち寄ったと伝えられる
信濃若穂清水寺

奥の院観音堂の近くに
佇んでいた石仏
苔むして
随分と傷んでいた…
どの位前のものなの
だろうか。

本尊の千手観音菩薩立像
観音菩薩立像
地蔵菩薩立像本尊
の三体は平安時代初期の作
奈良から運ばれたという。
国の重要文化財。

こんなところで
行基菩薩様の名
が出てくるとは
驚きだった。

行基
[668~749]奈良時代の僧。百済(くだら)系の渡来人、高志(こし)氏の出身。和泉(いずみ)の人。法相(ほっそう)宗を学び、諸国を巡って布教。民衆とともに道路・堤防・橋や寺院の建設にあたったが、僧尼令違反として禁止された。のち、聖武天皇の帰依を受け、東大寺・国分寺建立に協力。日本最初の大僧正の位を授けられた。行基菩薩。ぎょうぎ。

坂上田村麻呂
[758~811]平安初期の武将。延暦13年(794)蝦夷(えぞ)を征討し、同16年征夷大将軍となった。その後、胆沢城(いさわじょう)を造営し、蝦夷地平定に功を残した。京都の清水寺の創建者と伝えられる。
コメント (2)
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