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「東急ハンズ」はなぜ追い詰められたのか コロナ前からの“伏線”と、渋谷文化の衰退

2024年03月20日 20時03分40秒 | お金のこと
「東急ハンズ」はなぜ追い詰められたのか コロナ前からの“伏線”と、渋谷文化の衰退


昨年12月22日、東急ハンズがカインズに買収されることが発表され、波紋を呼んでいる。

1/30/2022


【画像】変わる渋谷の文化と店(全8枚)



 都心部・駅前立地の東急ハンズは、コロナ禍による外出の自粛で大きな影響を受け、2021年3月期の売り上げが632億円(前年同期比65%)と、前年のほぼ3分の2の規模へと大きく落ち込んでいた。また、営業損失は44億円の赤字に転落した。

 22年3月期も、第2四半期までの売り上げが273億円となっていて、前年同期の291億円から18億円減少していた。営業損失は24億円で、前年同期より赤字が2億円増えていた。そのため、2期連続の期末赤字が濃厚であった。

 コロナ禍が終息しても、密を避けるライフスタイルへの変化により、都心部の店舗がコロナ前の売り上げにまで戻るかどうかは不透明だ。

 一方のカインズは、ホームセンター業界最大手。21年2月期の売り上げは過去最高の4854億円だった。前年比110%であり、好調に推移している。




 カインズは群馬県前橋市を拠点とするベイシアグループの中核企業だ。カインズに限らずベイシアグループはこれまでM&Aを活用せず、自力で成長するポリシーを貫いてきた。それにもかかわらず、異例の大型買収に踏み切った。

 ベイシアグループは、ベイシア、ワークマンなども含めて、グループ年商が1兆円を超える。

 日本の小売業ではトップ10に入る規模だ。8兆円を超えるイオン、5兆円を超えるセブン&アイ・ホールディングスには遠く及ばないものの、三越伊勢丹ホールディングスの約8000億円よりも大きい。その巨大流通グループがいよいよM&Aを本格化させるとなると、小売業の地図が一変する起爆力を持つ。

 東急ハンズは、東急不動産ホールディングス(HD)の傘下にある。傘下にある他の有力企業は、東急不動産や東急リバブルなど、ほぼ不動産業の範囲内だ。一方、東急ハンズは小売業で、性格を異にしている。東急不動産HD内の事業別売上高は6.8%で、都市再開発などを行う都市事業32.7%、住宅事業15.7%、マンションなどの管理事業19.8%と比べても、グループ内シェアが低かった。

 同じ東急グループに属していても、東急百貨店、東急ストアは、東急電鉄と同じく東急の100%子会社で系統が違っていた。東急ハンズのグループ内の微妙な位置付けが、M&Aにつながった面もあった。

 カインズでは、「東急ハンズをカインズにはしないが、店名は変更する」と明言しており、これまで見知ってきた東急ハンズの歴史は遠からず終わりを迎える。

 東急ハンズのファンにとってはどうか。たとえ中身が大きく変わらなくても、別の店名に看板が書き換えられた“元東急ハンズ”になっては、寂寥(せきりょう)感を禁じ得ないだろう。

 なぜ、東急ハンズは売却されることになったのか。


渋谷を訪れる人が減少

 東急ハンズは、コロナ禍の前から業績が伸び悩んでいた。15~20年3月期の年商をそれぞれ見てみると、879億円、957億円、972億円、971億円、974億円、966億円。つまり、17年以降の行き詰まりがM&Aの伏線になっている。 

 17年頃より、20年に開催される予定の東京オリンピックを見据えて、渋谷の再開発が本格化していた。東急ハンズは、パルコ、ロフト、109などと共に、先進的といわれた渋谷文化の象徴だった。しかし、その渋谷が破壊され再構築されようとしていた。

  東急ハンズは本店にあたる渋谷店の集客が、全体に及ぼす影響が大きい。ところがその渋谷店は、渋谷の交通事情、商業事情に業績が左右される。 

 JR渋谷駅における乗客数の推移を1日平均で見ると、12年は41万人だったが、13年は38万人に下がった。また、14~19年は37万人となっている。13年に東急東横線ホームが地下化したことが影響し、渋谷駅を使う人は減っていた。なお、コロナ禍の20年は22万人に激減した。 

 16年8月には、建て替えのため渋谷パルコがいったん閉店している。これが公園通り、宇田川町方面の人流に与えた影響は大きく、渋谷に来る観光客の人数も減っていた。 

 15年3月には、駅前の東急プラザ渋谷も、建て替えのためいったん閉店している。これでは渋谷店が苦しくなっても当然だ。


衰退した渋谷文化
 1980年代から2000年代、渋谷文化は日本に大きな影響を与えていた。しかし、2010年8月にHMV渋谷店が閉店したあたりから、“衰退”が顕在化していた(HMVは15年11月渋谷モディに復活)

。HMV渋谷店の跡に入ったフォーエバー21渋谷店も、同ブランドの日本撤退で19年10月に閉店。16年8月には、カラオケのシダックス旗艦店、渋谷シダックスビレッジクラブが閉店している。  

20年11月には、SHIBUYA109の主力ブランドに長らく君臨した、セシルマクビーの全店が閉店。同年5月に、ライブハウスのVUENOS、21年5月にはミニシアターのアップリンク渋谷が閉店した。 

 そして、渋谷シダックスの跡に入ったのが、ニトリ(2017年6月オープン)。フォーエバー21渋谷店の跡に入ったのが、イケア(20年11月オープン)。どちらも郊外のロードサイドに強い家具店であるが、雑貨に力を入れており、東急ハンズの競合店の1つ。これら、雑貨強化型の郊外型家具店が、渋谷に相次いで進出したのも、今回のカインズによる東急ハンズ買収の地ならしになったと思われる。 

 コロナ禍の直前には、渋谷の再開発がほぼ完了。渋谷スクランブルスクエア、渋谷ストリーム、渋谷ソラスタ、渋谷フクラス(新生東急プラザ渋谷)、新生渋谷パルコなどが一斉にオープンした。2000年頃にビットバレーと呼ばれた、ベンチャーの街・渋谷を取り戻すのがまちづくりの大きなテーマとなっており、主にIT産業が入居するオフィスビルが多い。商業施設も新生渋谷パルコではアニメやゲーム、飲食の横丁などの要素が多く取り入れられていて、ファッションからカルチャーへと軸足が移っている。 

 そうした流れから、東急ハンズには本来、追い風が吹いているはずだ。しかし、それら新築のビルを見てから渋谷店を訪れると、天井は低く、壁面の老朽化が目立ち、商品に到達する前に購入意欲を削がれてしまう。高低差のある難しい地形を逆手に取った、各階の中間階をつくっていく独特なフロアの設計も、商品数が狭いスペース内に押し込められているように映るのだ。特に園芸とペット用品の売り場は物足りない。  

去り行くかつての渋谷を引きずったまま、ズルズルと来てしまった感がある。  本来、渋谷店はパルコや東急プラザのように、全店閉館して平成版にリノベーションするか、建て替えるべきだった。

  しかし、東急不動産HDはそこまで踏み切れず、勢いのある郊外型ホームセンターのカインズに再生を委ねた。


東急ハンズのコンセプト


 東急ハンズの歴史を振り返ってみよう。  

元東急ハンズのバイヤー、和田けんじ氏が著した『“元祖”ロングテール 東急ハンズの秘密』(2009年、日経BP社刊)によれば、東急ハンズの歴史は1972年に東急不動産が現在の渋谷店が建つ土地を取得したことに始まる。当時の渋谷は、67年の東急百貨店本店オープン以来、西武百貨店渋谷店、東急プラザ、パルコと新しい商業施設が続々と開店。しかし、宇田川町周辺は、渋谷と代々木公園を結ぶ通り道で何もなかった。 

 73年にオイルショックが起こり、金融引き締めにより東急不動産は土地・建物を他企業に貸すのを諦め、自社で活用することを考えた。協議の末、物販の店に決まった。不動産会社らしく住宅関連の小売店にすることにした。 

 担当者は米国のホームセンターを視察し、自分の手で作る「DIY(ドゥ・イット・ユアセルフ)」と生活を改善する「HI(ホーム・インプルーブメント)」の考え方を採用。日曜大工の道具や材料、生活雑貨、手芸用品、ホビー用品、インテリア関連用品などが商品リストに加えられた。日本でも登場しつつあったDIYショップと差別化するため、一般向けだけでなくプロ向けの商品までそろえることにした。 


 コンセプトは、「手の復権」。手の延長である道具を使って、新しい生活を創造することに決まった。専門的な商品を販売するため、使い方を丁寧に説明するコンサルティング販売を重視した。

  売れ筋のみを並べない、豊富な品ぞろえが特徴。何に使うのか分からないようなものまで販売し、ニッチな需要を徹底的に拾いまくることが、本来の東急ハンズの姿。今日のアマゾン・ドット・コムのような巨大通販サイト、ダイソーやセリアなどの100円ショップは、この「ロングテール」と呼ばれるビジネスモデルを採用していて、東急ハンズの競合となっている。


  全く新しいタイプの店をオープンすると説明しても卸商に通じないので、仕入先は職業別電話帳をめくってコツコツと開拓。店員は、新聞広告を見て応募してきた、元大工や元機械工を訓練した。 

 そうして、小売の素人である不動産業者が苦難の末、東急ハンズを立ち上げた。徹底した消費者目線が圧倒的に支持され、渋谷の名所となった。

  なお、78年に渋谷店がオープンする前、76年に神奈川県藤沢市、77年に東京都世田谷区にそれぞれ出店している(いずれも既に閉店)。これらは、プロトタイプの実験店と考えて良いだろう。 


 現在の店舗数は、東急ハンズ63店(FC9店、海外15店を含む)、小型店のハンズビー20店(FC2店を含む)、計83店だ(2021年11月1日現在)。


以下はリンクで







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激しい風雨でした!

2024年03月20日 17時38分24秒 | 日々の出来事


今は日が出ていますが、風は強いですね⭐
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青空の日和田山と散歩道です

2024年03月20日 15時05分42秒 | 日々の出来事
雲一つない青空に山景が映えますね☀️


3/17/2024
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「ぶつかるのが仕事です」アメリカの超レア艦艇が来日! ダイナミックすぎる“仕事のやりがい” 船長に聞いた

2024年03月20日 13時05分08秒 | 社会のことなど

「ぶつかるのが仕事です」アメリカの超レア艦艇が来日! ダイナミックすぎる“仕事のやりがい” 船長に聞いた (msn.com) 




アメリカ沿岸警備隊の大型砕氷船「ポーラースター」
 2024年3月11日、神奈川県にあるアメリカ海軍横須賀基地へ、非常に珍しい艦艇が寄港しました。アメリカ沿岸警備隊の大型砕氷船「ポーラースター」です。現在アメリカ沿岸警備隊が保有している唯一の大型砕氷船で、母港はアメリカのワシントン州シアトル。同船の横須賀基地寄港は、少なくとも直近25年間では初めてのとのことです。


滅多に見られない! 船内の様子は(写真)


アメリカ海軍横須賀基地に寄港した、アメリカ沿岸警備隊の大型砕氷船「ポーラースター」(2024年3月12日、稲葉義泰撮影)。


「ポーラースター」は、南極にあるマクマード観測基地に物資や燃料、人員などを輸送するため、氷に閉ざされた南極周辺の航路を開き、後続の輸送船ための通り道を作ることを任務としています。「ディープ・フリーズ作戦」と名付けられたこの活動に、「ポーラースター」はこれまでに27回従事しており、今回の来日前にも南極で同作戦に従事していました。

 12日に行われた取材陣への船内公開に際してインタビューに答えたケイス・ロペラ船長によると、今年は厚さ最大4mもの氷を砕きながら、数週間かけて約60kmにおよぶマクマード基地までの航路を開いたとのこと。


 ちなみにロペラ船長によると、来日の理由は「南極での活動を終え、アメリカに帰国するまで少し余裕があり、そこで以前から日本に行きたいと思っていたので寄港を要請したところ、それが叶いました」とのこと。1976(昭和51)年就役の「ポーラースター」は、帰国後に長期の艦齢延伸工事に入りますが、その前の自由時間を過ごすための来日だったわけです。


「ポーラースター」にしかできない仕事とは
 前述の通り、「ポーラースター」は氷を砕きながら南極基地までの航路を切り開くのが仕事です。氷が薄い海域であればそのまま突き進むことができますが、ときには厚さ数mもの氷を砕かなくてはなりません。その場合には、一度船をバックさせ、そこからエンジンの推進力を最大限にいかして氷に乗り上げ、自重により上から氷を砕くのだそうです。


 そうした特殊な仕事をこなさなければならないため、「ポーラースター」ではほかの船では味わえない快感を味わえるといいます。


取材陣の質問に答えるケイス・ロペラ船長(2024年3月12日、稲葉義泰撮影)。

© 乗りものニュース 提供
「通常、船を操船する場合は何かにぶつかることを極力避けるようにします。しかし、我々の場合はぶつかっていくのです。氷を砕いて進むのが仕事ですからね。これが非常に楽しく、面白いのです」(ロペラ船長)


 また、船内の食堂の壁には1枚の写真が飾られています。氷に閉ざされた南極を撮影した衛星写真です。よく見ると、うっすらと1本の線が見えるのですが、実はこれは「ポーラースター」が切り開いた航路を撮影したもの。乗員によると、自分たちの仕事を衛星から見られるというのも、この船ならではのやりがいなのだそうです。


北極海航路により変わる沿岸警備隊の体勢
 この「ポーラースター」を含め、現在アメリカ沿岸警備隊は2隻の砕氷船を保有しています。もう1隻は1999(平成11)年に就役した中型砕氷船「ヒーリー」で、こちらは主に北極海での科学調査活動などを実施しています。


 しかし、近年の地球温暖化の影響もあり、北極海に関しては、船舶の航行が可能な新たな航路である「北極海航路」が注目を集めています。これにより、ヨーロッパとインド太平洋地域とを従来よりも格段に短い距離で結ぶことができるため、経済的なメリットが期待されていますが、同時に安全保障上の問題も浮上してきています。


 そこでアメリカ沿岸警備隊では今後、砕氷船の数を増やしていくことを計画しており、主に北極海での警備などを担うカッター(巡視船)として3隻の「極域警備船(Polar Security Cutter)」の整備を進めています。


 これは、「ポーラースター」と同じく大型砕氷船ではありますが武装しており、30mm機関砲などが搭載されます。2023年には、1番船「ポーラーセンチネル」の建造が開始されており、就役は2028年の予定です。


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今回の航海に関する行程表。母港であるシアトルを11月に出港し、帰国するのは4月の予定(2024年3月12日、稲葉義泰撮影)。
今回の航海に関する行程表。母港であるシアトルを11月に出港し、帰国するのは4月の予定(2024年3月12日、稲葉義泰撮影)。

 この極域警備船が就役するまでは、「ポーラースター」は引き続きアメリカ沿岸警備隊唯一の大型砕氷船です。カリフォルニア州サンフランシスコで行われる艦齢延伸工事が終わると、「ポーラースター」は再び任務に戻ることになります。いつかまた、日本に寄港する機会が訪れることを願ってやみません。






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悠仁さま“トンボの論文”で東大推薦入学に動き出す…「手助けする人がいるのは公平か」の指摘

2024年03月20日 06時03分48秒 | 皇室のこと
最近の東京大学はビジネスオリエンテッドになっているので、
ヘッチャラで「皇室枠」を新設しそうで嫌ですね。

これをやったら東京大学ブランドも地に落ちそうですが☆


悠仁さま“トンボの論文”で東大推薦入学に動き出す…「手助けする人がいるのは公平か」の指摘
2/3(土) 9:06配信



日刊ゲンダイDIGITAL
秋篠宮家の長男・悠仁さま(C)共同通信社


【秋篠宮家の学校選び】#1


「皇室が東大を目指して悪いんですか?」。憤然と話すのは宮内庁OB。秋篠宮家の長男・悠仁さまが東大進学を視野に入れていることへの批判に怒っているのだ。悠仁さまは一昨年春、超進学校の筑波大付属高校(筑付高)に入学。東大がにわかに現実味を帯びてきた。だが、こうした動きは賛否両論を呼んだ。筑付高入学が一般入試ではなく、特別なルートを使ってのものだったからだ。


「天皇になられる方。誰かが注意しないと…」の声も出る悠仁さまの近況


「想像以上に世間の反発が強く、庁内では秋篠宮家が東大を断念したという見方が出ていた」と宮内庁担当記者は振り返る。ところが、秋篠宮家の動きはさらにその上をいく。昨年11月、悠仁さまは以前から研究を続けていたトンボに関する論文を発表。再び、東大進学が浮上したのである。


 国立科学博物館の学術出版物に掲載されたもので、タイトルは「赤坂御用地のトンボ相」。お茶の水女子大付属小に入る前年の2012年から10年以上にわたって、悠仁さまは秋篠宮邸周辺に生息するトンボの調査に取り組んだという。論文は3人の連名で発表され、筆頭研究者は「秋篠宮悠仁」となっている。


「同博物館のホームページでも見ることができますが、25ページにも及ぶその論文は素人目にもかなりレベルが高いことがわかる」(担当記者)


 悠仁さまが同論文をこの時期に発表したことについては、「東大の推薦入学(学校推薦型選抜)への布石」(同)と見る向きが多い。16年度から導入された同制度は、まず高校の推薦を受けるところから始まる。東大に書類を提出し、そこでふるいにかけられ、面接試験、大学入学共通テストを経て、それらの総合評価によって合否が決められる。


 中でも重要なのが提出書類。高校時代の研究、実績、活動など、自身のアピールポイントを挙げていく。「ある分野で突出したものを持っている学生を求めている」と話すのは制度の策定に関わった東大教授。悠仁さまが東大への推薦入学を目指す場合、トンボの論文が提出されるのは間違いない。たまたまこの論文を目にしたという教授は「専門外なので軽はずみなことはいえないが、高校生とは思えない水準」と感想を述べる。


■第一人者との「共同執筆」の是非


 その一方で、「手助けする人がいるのは公平なのか」(予備校チューター)という声が少なくないのも事実。論文の共同執筆者の一人である国立科学博物館の清拓哉研究員はトンボ研究の第一人者だ。


「悠仁さまは、ずいぶん前から清氏の指導を受けてきた。それだけ熱心にトンボの研究に取り組んできたわけで、決して評価を下げるものではない。論文も他の2人のアドバイスを参考にしながら、悠仁さまが中心になって書き上げたと聞いている」(前出の宮内庁OB)


 東大推薦入試の出願期限は11月初旬。もし東大を選んだ場合、さまざまな議論が巻き起こるのは必至。わずか10カ月足らずの間に、秋篠宮家は大きな決断をしなければならない。


(田中幾太郎/ジャーナリスト)


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