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天皇の宮中祭祀 だれのために祈っているのか

2024年04月05日 21時05分25秒 | 皇室のこと

天皇の宮中祭祀 だれのために祈っているのか
4/4(木) 7:35配信






毎日新聞
大嘗祭の「悠紀殿の儀」で、帳殿に進まれる十二単姿の皇后陛下(現在の上皇后美智子さま)=皇居・東御苑の大嘗宮で1990年11月22日、代表撮影


 天皇の宮中祭祀(さいし)は、なにをしているのか、なんのためにしているのか、わかりにくいところもあります。


【写真】「衛門参役者」がともすかがり火のなかで行われる「主基殿の儀」


 東京大学大学院総合文化研究科教授の山口輝臣さんに聞きました。【聞き手・須藤孝】


 ◇ ◇ ◇ ◇


 ――宮中祭祀は縁遠く感じます。


 山口氏 宮内庁が一部を映像で公開するなど、より開かれたものにしようという動きは以前からあります。ただ、天皇がどのような考え方で、なんのために祭祀をしているのかはなかなかわかりませんでした。最終的には天皇本人が言わない限りわからないことだからです。


 そのことを明らかにしたのが、2016年に当時の天皇陛下(現在の上皇さま)がビデオメッセージで明らかにした退位についてのおことばです。


 おことばは、天皇の務めとして大切にしてきたものとして二つをあげています。一つは国民の安寧と幸せを祈ることです。宮中祭祀を指していると思います。


 もう一つは、人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことです。例として日本各地への旅をあげ、天皇の象徴的行為としています。「平成流」といわれるものと、ほぼ重なります。


 おことばでは、この二つに密接な関係があると述べています。


 ――天皇自身が宮中祭祀についての考えを明らかにした、ということでしょうか。


 ◆天皇の告白だと思います。「平成流」と祈りは別々のものではなかったということです。


 宮中祭祀は回数も多く、時間も早かったり、遅かったりします。寒いことも暑いこともありますし、準備も大変です。なぜ宮中祭祀をするのか、自分にとってどういうものかということをはっきり国民に伝えたのだと思います。象徴天皇のなかに宮中祭祀を位置づけ直す作業と言っていいと思います。


 ――宮中祭祀がどういう位置づけなのかはこれまでよくわかりませんでした。


 ◆戦後の宮中祭祀は、戦前と異なり、明確に法的根拠と言えるものはありません。だからこそ天皇個人の意向を反映させやすいとも言えますし、あるいは最終的には天皇自身が判断するしかない領域だといえるかもしれません。規定がないことをおことばによって補ったとも言えます。


 天皇みずからが宮中祭祀の意味について表明したことは、今後のあり方にたがをはめた面があります。この形を次世代に継承したい思いもあったのではないでしょうか。しかもおことばは国民に支持されましたから、象徴天皇のなかに宮中祭祀が位置を確保したと言えます。


 ――保守派の一部には、天皇は祈るだけでよいという意見もあります。


 ◆一見、戦前回帰の考え方のようにみえますが、そうではありません。戦前の天皇は統治者であり、元帥でもありました。そのなかであえて宮中祭祀が一番重要だという人は多くありませんでした。


 むしろ戦後になって出てきた、「武ではない文としての天皇の本質」というような考え方から、戦前も戦後も共通しているものは何かとなった時に、宮中祭祀が浮かび上がってきたということです。実は戦後的な発想です。


 上皇さまは、これまでの天皇とは大きく違うやり方で、国民との距離を詰めました。威厳のある天皇であってほしいと考える保守派の一部には「平成流」は何か違うという感覚があるのかもしれません。


 ――「平成流」であれ、宮中祭祀であれ、天皇が社会に影響を与えることをどう考えるべきでしょうか。


 ◆憲法に規定がある以上、天皇の政治や社会に対する影響力がゼロになる想定は現実的ではありません。かといって何をしてもいいということではありませんから、そうしたことを含めて議論することが憲法の想定しているところです。最終的に決めるのは、主権者の国民であることに変わりはありません。


 ただし、宮中祭祀をやめることはできないでしょう。天皇にもそれなりの自由があります。宮中祭祀は私的行為として天皇が選択している立て付けですから、制限は難しいでしょう。


 宮中祭祀については、事柄の性質上、どうしても天皇のイニシアチブが強くなりますが、国民がどう考えるかはまた別の問題です。要するに天皇からボールが投げられたということではないでしょうか。せっかくボールを投げてくれたのですから、もう少しみんなで考えましょうということだと思います。


 おことばが明解なわりには、祈りの側面に着目した人があまりいないのは不思議なことだと思っています。それだけすごい変化球だったのではないでしょうか。(政治プレミア)




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「廊下で道を譲る優しさを持つ」 愛子さまが学習院卒業後「日本赤十字社」に就職した理由

2024年03月30日 08時05分42秒 | 皇室のこと

「廊下で道を譲る優しさを持つ」 愛子さまが学習院卒業後「日本赤十字社」に就職した理由(デイリー新潮) - Yahoo!ニュース 




「廊下で道を譲る優しさを持つ」 愛子さまが学習院卒業後「日本赤十字社」に就職した理由
3/21(木) 6:10配信


デイリー新潮
愛子さま


 この4月から愛子さまは「新社会人」としての生活をスタートされることとなる。進路に関しては、小室眞子らと同様、大学院にご進学されるとの見方もあったが、卒業即就職ということになった。なぜ愛子さまはそのような選択をなさったのか。また、卒業までどのような学生生活を送られたのか。愛子さまと同じ学習院女子中・高等科、学習院大学の卒業生で、『学習院女子と皇室』(新潮社)の著作がある昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員の藤澤志穂子さんが、OBらの話もまじえて解説する。聞こえてくるのは、茶目っ気も持ちつつ聡明で控え目なプリンセスの評判であった――。以下、ご卒業を祝しての藤澤さんの特別寄稿である。


【写真を見る】「もはや家じゃなくて館!」 愛子さまの「いとこ」、眞子さんが引っ越すと噂された2億円豪邸


 ***


 天皇ご一家の敬宮愛子さまが学習院大学文学部日本語日本文学科を3月20日にご卒業された。4月からは日本赤十字社に嘱託職員として勤務される傍ら、ご公務を本格化される。愛子さまの進路については、小室眞子さんのように大学院へのご進学もしくは留学されることが大方の予想だったろう。そこで就職の道を選ばれたことには、学習院関係者のみならず国民も驚いた。


 だがよく考えれば「愛子さまらしい、地に足の着いた選択だった」と私は考える。その理由を、愛子さまと同じ学習院女子中・高等科、そして学習院大学の卒業生で、曾祖父から4代の学習院出身、『学習院女子と皇室』を書いた立場からひもとくと、母である皇后・雅子さま、叔母である黒田清子さん(紀宮清子さま)、近しい親戚である三笠宮彬子さまの、大学ご卒業後の進路を参考にされたのではないか、と思う。


雅子さまと黒田清子さんもすぐにご就職
 まずお母さまの雅子さまは、大学ご卒業後の外務省ご就職であった。米ハーバード大学をご卒業後、帰国され東京大学法学部に編入、在学中に外交官試験に合格された。愛子さまとはやや異なるご経歴ではあるが、大学院に進むことがスタンダード、というお考えではないだろう。


 そして黒田清子さんも、同じく大学卒業後に就職している。清子さんは愛子さまと同じ学習院大学文学部国文学科(現日本語日本文学科)卒業後、山階鳥類研究所に非常勤職員として勤務された。この研究所は旧皇族で元侯爵の山階芳麿が戦前に自邸内に創設した標本館が母体で、皇室との縁が深く、現在は秋篠宮殿下が総裁を務めている。そうしたご縁あっての就職であったろう。


 清子さんは勤務の傍ら多くの公務をこなされた。「皇室の行く末を想う気持ちは、最初から運命づけられているお兄様方よりも、皇室の外に出ることが前提としてお育ちになったという、異なる立場において大変お強い」(学習院教員OB)との評がある。内親王時代から降嫁した今に至るまで、現在の上皇・上皇后陛下そしてお兄様の天皇ご一家をお支えしたいお気持ちは強いはずだ。


日本赤十字社と皇室との縁
 愛子さまのご勤務先の日本赤十字社は、伝統的に皇室・皇族との縁が深く、名誉総裁が雅子さま、名誉副総裁が秋篠宮紀子さま、常陸宮華子さま、三笠宮百合子さまと信子さま、高円宮久子さまと複数の女性皇族が務められている。皇室・皇族ゆかりの組織へのご就職は黒田清子さんの前例もある。清子さんのように、ご公務の傍ら天皇・皇后両陛下をお支えし、上皇・上皇后陛下のおそばに寄り添いたい、と考えられるのは、ごく自然な成り行きだったのではないか。


 なお学習院女子中・高等科の卒業生の場合、結婚後も実家に寄り添う女性たちの比率は、一般より高いように私は感じている。スープの冷めない距離に住み実家と行き来し、子供たちの面倒を見てもらうケースに加え、子供たちが独立した後は実家に戻り、父母と自分たち夫婦との二世帯住宅を建てて住み替える、高齢になった親の介護をする、といった話を、50代を過ぎた最近になってよく聞くようになった。


 両親を支え、祖父母を支えるといった、家族を思いやる心は、華族女学校時代以来の学習院の教えでもある。


「そんな心が卒業生には自然に備わっており、愛子さまも同じ」


 そんな評価を卒業生から聞くこともある。


三笠宮彬子さまのご活躍
 いっぽう愛子さまの「大学院へ進まない」という選択を意外に思った国民も多かっただろう。小室眞子さん(秋篠宮眞子内親王)は国際基督教大学卒業後に英レスター大学大学院に留学し、博物館学の修士号を取得した。愛子さまの場合、国内のみならず、海外の大学院へ進まれるという選択肢もあり得たはずだ。なぜそうされなかったのか。


 推測でしかないが、おそらくは三笠宮彬子さまのご活躍ぶりを参考にされてのご判断ではなかったか。


 彬子さまは学習院大学文学部史学科をご卒業後、英オックスフォード大に留学され、日本美術史を専攻、博士号を取得された。女性皇族として初、海外の大学からの博士号取得も皇族として初である。現在は京都産業大学の日本文化研究所の特別教授として、研究を続けながら学生指導をされている。


 研究者の道を究めるのは、生半可なことではできない。一般論として、修士号を取得した程度では入り口に過ぎず、その後に時間をかけて博士論文をまとめ、博士号を取得して初めて研究者の卵となれる。


 彬子さまは、ご自身に歴史という学問の面白さを最初に教えて下さったのが祖父の三笠宮崇仁殿下だったと、学習院女子中・高等科の同窓会である常磐会の会報誌「ふかみどり」(2020年発行の第35号)で書かれている。その影響で研究の道を究めようとされているのだろう。


 彬子さまは「真摯に指導するということがどんなに大変であるかがわかり」「自分が面白いと思っていることを学生たちに共有し、学ぶことは面白いと思ってもらえるような種を彼らの心に蒔くことならば、私にもできるかもしれないと思った」とも綴られている。


 報道によれば愛子さまは、学習院大学の卒業論文を「中世の和歌」をテーマに執筆されたという。もう少し、勉強したい、というお気持ちもおありだったかもしれない。だが研究の道を究めるのは厳しい。


 真摯に研究に取り組まれる彬子さまの姿は素晴らしい。しかし、「同じようにはできない」と考えられたのではないだろうか。彬子さまは女王殿下、愛子さまは天皇家の内親王とお立場が違い、公務の質も違い量も多くなっていく可能性が高い。そんなお立場の違いも踏まえてのことだったろう。

廊下で道を譲る優しさを持つ
 ここで愛子さまの微笑ましい「素顔」についても少し触れておこう。


 小学生(学習院初等科)時代を知る学習院OB・OGの間では「ごくごく“普通の女の子”でいらした」との声が多い。同級生たちと、ちょっとしたいたずらをして、先生に叱られる、といった“茶目っ気”もおありでいらしたらしい。


 学習院女子中・高等科では美化委員会に所属。校内の清掃を指揮する委員の集まりで、かつて在学した黒田清子さんも所属していた。思春期で、掃除をさぼりがちな女子生徒たちに協力を依頼する立場であり、場合によっては率先して自ら清掃に手を動かす。奉仕の心がなければできないだろう。


 女子部在学中の愛子さまのご様子については「廊下の通行で、他の生徒たちに進んで道を譲るような優しい方だった」「国語や古文がお得意でいらした」「受験勉強をなされば、東京大学にも進学できるレベルの学力をお持ちでいらした」との声がある。


 こうした愛子さまのご様子は、私自身が女子部在学中に拝見した、二年下の黒田清子さんの姿と重なりあう。「皇族」であることは感じさせず、決して派手さはなく、他人に尽くす振る舞いが自然に備わっている、とでもいうべきか。


「茶目っ気あるいたずらっ子」の愛子さまは、学習院女子部で「大人の女性」になられたのだと私は思う。


 女子部卒業生が集まると、よく話題になるのが「私たちは、出るところに出れば、きちんと振る舞うことができる」という自負心だ。女子部で躾(しつけ)を受けた賜物だと私自身も今になって感謝している。


 例えば入学当初は言うのが恥ずかしかった挨拶ことば「ごきげんよう」を、授業の始まりと終わりなど日々、繰り返し口にし、自然に言えるだけの美しい日本語の言葉遣い、お辞儀の角度とTPO(学習院以外の方には、「ごきげんよう」は奇異に思われるので使わない等、微妙な心遣いまで)などなど。皇族・皇室の方々が身近におられ、ごく自然にそうした方々と接する機会があることも大きかったようにも思う。

昭憲皇太后、貞明皇后の下賜の「御歌」の教え
 こうした教育の基礎は歴代皇后から下賜された「御歌」の中にある。学習院女子部の事実上の校歌は、昭憲皇太后(明治天皇の妃)の「金剛石・水は器」。勉学に励み、切磋琢磨しよき友と学べという内容で、入学式で歌われる。


 貞明皇后(大正天皇の后)の「月の桂」は卒業式で歌われる「御歌」で、鍛錬すれば高根の花も、月にある桂の木にも手が届く、身の行いを正し、家も守り、国に尽くせといった教えが込められている。下賜された当時は、皇后・皇太后が頻繁に学習院に行啓しており、御前でこの御歌を当時の生徒たちが歌ったこともあったろう。


 その唯一無二の経験と教えは、現代の学習院女子部にも特別な歴史と文化として伝わっている。卒業生はほぼ例外なく今でもこれらの御歌を口ずさむことができるし、知らず知らずのうちに心の支えになっている。女子中等科に入った早々、生徒たちはこれらの御歌の意味を学び、唄い方を練習する。それが自分自身の血となり肉となり大人の女性に育ててくれる。愛子さまも同じであったろう。初等科時代の愛子さまを知る卒業生が、ご立派との評価が高かった愛子さまの会見を見て「自分にも娘ができたら学習院女子に進学させたい」とも語っている。


 先述した常磐会会報誌「ふかみどり」は5年に一度の刊行で、近年の号では三笠宮彬子さまが教鞭を執られる大学でのご様子を、高円宮承子さまは日本ユニセフ協会の嘱託職員として働く日々を綴られている。次号36号は来年2025(令和7)年の刊行予定だ。愛子さまには是非、日本赤十字社でのお仕事ぶりを率直にご寄稿されてほしいと願っている。


藤澤志穂子(フジサワ・シホコ)
昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員。学習院大学法学部卒、早稲田大学大学院文学研究科演劇専攻修士課程中退。1992年産経新聞社入社、経済本部、米コロンビア・ビジネススクール客員研究員を経て2019年退社。著書に『出世と肩書』『釣りキチ三平の夢 矢口高雄外伝』『学習院女子と皇室』。


デイリー新潮編集部













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悠仁さま“トンボの論文”で東大推薦入学に動き出す…「手助けする人がいるのは公平か」の指摘

2024年03月20日 06時03分48秒 | 皇室のこと
最近の東京大学はビジネスオリエンテッドになっているので、
ヘッチャラで「皇室枠」を新設しそうで嫌ですね。

これをやったら東京大学ブランドも地に落ちそうですが☆


悠仁さま“トンボの論文”で東大推薦入学に動き出す…「手助けする人がいるのは公平か」の指摘
2/3(土) 9:06配信



日刊ゲンダイDIGITAL
秋篠宮家の長男・悠仁さま(C)共同通信社


【秋篠宮家の学校選び】#1


「皇室が東大を目指して悪いんですか?」。憤然と話すのは宮内庁OB。秋篠宮家の長男・悠仁さまが東大進学を視野に入れていることへの批判に怒っているのだ。悠仁さまは一昨年春、超進学校の筑波大付属高校(筑付高)に入学。東大がにわかに現実味を帯びてきた。だが、こうした動きは賛否両論を呼んだ。筑付高入学が一般入試ではなく、特別なルートを使ってのものだったからだ。


「天皇になられる方。誰かが注意しないと…」の声も出る悠仁さまの近況


「想像以上に世間の反発が強く、庁内では秋篠宮家が東大を断念したという見方が出ていた」と宮内庁担当記者は振り返る。ところが、秋篠宮家の動きはさらにその上をいく。昨年11月、悠仁さまは以前から研究を続けていたトンボに関する論文を発表。再び、東大進学が浮上したのである。


 国立科学博物館の学術出版物に掲載されたもので、タイトルは「赤坂御用地のトンボ相」。お茶の水女子大付属小に入る前年の2012年から10年以上にわたって、悠仁さまは秋篠宮邸周辺に生息するトンボの調査に取り組んだという。論文は3人の連名で発表され、筆頭研究者は「秋篠宮悠仁」となっている。


「同博物館のホームページでも見ることができますが、25ページにも及ぶその論文は素人目にもかなりレベルが高いことがわかる」(担当記者)


 悠仁さまが同論文をこの時期に発表したことについては、「東大の推薦入学(学校推薦型選抜)への布石」(同)と見る向きが多い。16年度から導入された同制度は、まず高校の推薦を受けるところから始まる。東大に書類を提出し、そこでふるいにかけられ、面接試験、大学入学共通テストを経て、それらの総合評価によって合否が決められる。


 中でも重要なのが提出書類。高校時代の研究、実績、活動など、自身のアピールポイントを挙げていく。「ある分野で突出したものを持っている学生を求めている」と話すのは制度の策定に関わった東大教授。悠仁さまが東大への推薦入学を目指す場合、トンボの論文が提出されるのは間違いない。たまたまこの論文を目にしたという教授は「専門外なので軽はずみなことはいえないが、高校生とは思えない水準」と感想を述べる。


■第一人者との「共同執筆」の是非


 その一方で、「手助けする人がいるのは公平なのか」(予備校チューター)という声が少なくないのも事実。論文の共同執筆者の一人である国立科学博物館の清拓哉研究員はトンボ研究の第一人者だ。


「悠仁さまは、ずいぶん前から清氏の指導を受けてきた。それだけ熱心にトンボの研究に取り組んできたわけで、決して評価を下げるものではない。論文も他の2人のアドバイスを参考にしながら、悠仁さまが中心になって書き上げたと聞いている」(前出の宮内庁OB)


 東大推薦入試の出願期限は11月初旬。もし東大を選んだ場合、さまざまな議論が巻き起こるのは必至。わずか10カ月足らずの間に、秋篠宮家は大きな決断をしなければならない。


(田中幾太郎/ジャーナリスト)


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秋篠宮家が学習院に見切りをつけることを決定づけた数学教師の性加害事件

2024年03月17日 22時05分50秒 | 皇室のこと

秋篠宮家が学習院に見切りをつけることを決定づけた数学教師の性加害事件【秋篠宮家の学校選び #6】 (msn.com) 






【秋篠宮家の学校選び】#6


「愛子さまが卒業すると学習院には皇族が一人もいなくなる。このまま、皇室と縁が切れてしまうかもしれない」と嘆くのは学習院大教授。この20日に卒業式を迎える愛子さまは来月1日から日本赤十字社に勤務することが決まっている。


学習院はもともと皇族のために創設された学校だが、もはやそのイメージはなくなっている。「秋篠宮家の選択がこれまでの慣習を壊した」と恨めしそうに語る同教授。転機は09年だったと振り返る。

11月初め、学習院女子高3年の長女・眞子さんが国際基督教大(ICU)のAO入試(総合型選抜)に合格。同大に皇族が入学するのは初。ここで現夫の小室圭氏と出会った。



「オープンキャンパスに参加するなど眞子さん自身が希望して進路を決めた。秋篠宮さまや紀子さまが主導したわけではありませんが、学習院にこだわる必要はないというお二人のスタンスが明らかになった」(宮内庁OB)


秋篠宮家の脱学習院が鮮明になるのはその1カ月後である。長男・悠仁さまが来春からお茶の水女子大付属幼稚園に入園するとの発表があったのだ。眞子さんと違い、悠仁さまはまだ3歳。もちろん、両親が
決めたのである。


「学習院幼稚園は2年保育だけ。秋篠宮さまも紀子さまも悠仁さまは早くから幼稚園に通うのが望ましいと考えていた。そこで3年保育のあるお茶大付属を選んだ」(同)


とすれば、小学校からは学習院初等科に入学する可能性もある。「関係者の多くは淡い期待を抱きながらも、たぶんそうはならないと感じていた」と学習院大教授は話す。「3年保育はあくまでも表向きの理由。秋篠宮さまたちは学習院に見切りをつけている」印象が強まっていたからだ。


■教師とOGの間で示談成立、捜査打ち切り


眞子さんや悠仁さまの進路が判明した09年、学習院ではブランドをおとしめるような事件が発覚した8月に学習院女子中・高に警察が捜査に入ったのだ。眞子さんや次女・佳子さまも習ったことのある数学の教師が前年に同校のOGに校内で性的加害に及んだという容疑だった。ガサ入れの直後に教師とOGの間で示談が成立し、捜査は打ち切られた。学校側も教師を依願退職させ幕引きを図ったが、週刊誌が報じ事件は表沙汰になる。


「私も記事で初めて事件を知った。学習院女子の中だけで処理しようとしたのだろうが、うまくいかなかった。当然、秋篠宮さまたちの耳にも入るところとなり、脱学習院の思いをより強めた気がする」(前出の教授)


一度は学習院大に内部進学した佳子さまも結局中退し、AO入試で姉と同じICUに入学した。まだ悠仁さまが学習院大に進む可能性は残っているが、候補として挙がるのは東大、筑波大、東農大といったところ。「もはや学習院内でも期待している人間は皆無に等しい」(同)という。学習院が“皇室御用達”として復活するには次の世代まで待つしかなさそうだ。


(田中幾太郎/ジャーナリスト)







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天皇陛下 悠仁さま言及にあった“帝王教育”への危機感…雅子さまは“頂上会議”復活をご提言か

2024年03月09日 10時03分19秒 | 皇室のこと

天皇陛下 悠仁さま言及にあった“帝王教育”への危機感…雅子さまは“頂上会議”復活をご提言か(女性自身) - Yahoo!ニュース


 

https://news.yahoo.co.jp/articles/d24743aba9587911d8b06e45defe22956a2fed5c


天皇陛下 悠仁さま言及にあった“帝王教育”への危機感…雅子さまは“頂上会議”復活をご提言か
3/5(火) 6:03配信




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女性自身
天皇陛下は64歳のお誕生日に先立つ記者会見で、悠仁さまについて異例の長さで言及された(写真提供:宮内庁)


ガラスや金属片が埋め込まれた人造大理石の床の上に立たれた天皇陛下と雅子さまは、お足元や天井からつるされた藍染めの布をじっくりとご覧になっていた。2月27日、両陛下は東京都内で開かれている展覧会を鑑賞された。国内外のアーティストによる約100点もの作品のテーマは、“環境危機に現代アートはどう向き合うか”というもの。


【写真あり】雨風が吹き付けるなか、私服で登校される悠仁さま


両陛下は、未来の人類にとっても無関係ではない環境問題に、長年関心を寄せられてきた。そして真摯にご覧になった理由には、次世代への強い思いがあるという。


「ご成婚前から地球規模の環境破壊への危機感を抱かれており、両陛下がこうした分野の公務に臨まれる際には、周囲にも強い責任感が伝わってくると聞きます。


それは、“皇室の未来”についても同様です。じつは陛下がお誕生日に先立つ記者会見に臨まれた際、悠仁さまについて言及されているのですが、その内容に宮内庁内でも注目が集まっているのです」(宮内庁関係者)


就職を控えられている愛子さまのご様子のほかに、“皇位継承順位2位の悠仁さまのご成長”について質問を受けられた陛下は、


「少しずつ、皇室の一員としての務めを果たしてくれていることを頼もしく思っています。会った時などには、トンボの話や野菜の栽培、また、クラブ活動として行っているバドミントンの話など、生き生きと話してくれますので、充実した日々を送っているのではないかと思います



など、これまでになくかなり長く言及されたのだ。陛下は記者会見に際し、雅子さまや側近と入念に準備されたうえで臨まれるというが、前出の宮内庁関係者はこう明かす。


「悠仁さまが生き生きと話される場面を見たという宮内庁職員は多くなく、また多くの国民も“笑顔が少ない”という印象を抱いてしまっているように思います。しかし陛下と雅子さまは、そうしたイメージを打ち消そうとされる意図を会見でのご発言に込められているように感じました。


身近な人は知っている本来の明るい悠仁さまのお姿を、“多くの国民に伝えねば”というお考えがあってのことなのでしょう。むしろ、悠仁さまの明るい一面を伝える機会を狭めてこられた秋篠宮家のこれまでの対応に、問題がなかったとは言えないはずです」



言語化できない“歴代天皇の学び”
陛下が述べられた“甥”への期待感は、皇室が現在直面している課題と密接に関わっていると、静岡福祉大学名誉教授の小田部雄次さんは指摘する。


「現在の皇室典範が定める皇位継承者が『男系男子』に限られている以上、皇統の安定は将来において唯一の男系男子となる悠仁さまのご存在にかかっています。


陛下と雅子さまは、未来の皇室にとって悠仁さまの健全なご成長を重要な問題として捉えていらっしゃるようにお見受けします。さらに、両陛下と接するお時間が短いことは、悠仁さまの帝王教育にとって、好ましいことではないのです」


皇室は古来、皇位継承者だけに特別な教育を施してきたが、どのような内容なのか。前出の小田部さんは次のように続ける。


「明治時代には『帝王学』として、天皇や側近、学者らと語らい、皇位継承者は全人格的に指導されながら、“天皇としての学び”を身に付けていました。戦後は『象徴学』とも呼ばれるようになり、そのあり方も時代とともに変化してきました。


こうした帝王教育は、歴代天皇の事績やなさりようから、現実の政治経済や科学技術、芸術といった幅広い教養まで、簡単には言語化できないさまざまな判断や対応を伝承していくものです。


陛下のお傍にいることで伝わることも少なくないでしょうし、現在のような直々のお声がけがなされない状況が続けば、悠仁さまが将来即位された際に、さまざまな場面で対応に苦労される状況が生まれる懸念があるのです」


悠仁さまが御所を訪ねられる機会は、お誕生日や新年のご挨拶などに限られ、多くはない。悠仁さまの帝王教育は、秋篠宮ご夫妻がいっさいを担われているが――。


「秋篠宮ご夫妻は、悠仁さまが日本各地の歴史や風土に接する機会を増やすことを大切になさってきました。また、上皇ご夫妻ともなるべくともに過ごされる時間を作ることに努められています。


ただ、秋篠宮さまは“天皇となる教育を受けていないとおっしゃった”という報道があるほか、2022年のお誕生日に際しての記者会見で、悠仁さまの皇位継承者としての教育方針について明言を避けられるということがありました。悠仁さまの帝王教育に秋篠宮さまも悩まれているような現状に、両陛下も危機感を募らせていらっしゃるのではないでしょうか」(皇室担当記者)


こうした危機に、雅子さまは陛下に“頂上会議の復活”を進言されているというのだ。


「平成の御代には、上皇さまと天皇陛下、秋篠宮さまが月に一度程度集まられ、皇室の課題などを話し合われる“頂上会議”が、美智子さまの発案で2012年から2019年4月まで行われていました。


令和となってから行われておりませんでしたが、雅子さまは陛下と秋篠宮さま、悠仁さまお三方が御所に集われる“頂上会議”の復活を提言されているようです。陛下も悠仁さまの帝王教育に加わられることは、皇室の未来にとって有意義であることは間違いないでしょう」(前出・皇室担当記者)


雅子さまのご提言が実を結び、令和の“頂上会議”が実現すれば、皇室の伝統と未来は守られる――。




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