天皇の宮中祭祀 だれのために祈っているのか
4/4(木) 7:35配信
4/4(木) 7:35配信
毎日新聞
大嘗祭の「悠紀殿の儀」で、帳殿に進まれる十二単姿の皇后陛下(現在の上皇后美智子さま)=皇居・東御苑の大嘗宮で1990年11月22日、代表撮影
天皇の宮中祭祀(さいし)は、なにをしているのか、なんのためにしているのか、わかりにくいところもあります。
【写真】「衛門参役者」がともすかがり火のなかで行われる「主基殿の儀」
東京大学大学院総合文化研究科教授の山口輝臣さんに聞きました。【聞き手・須藤孝】
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――宮中祭祀は縁遠く感じます。
山口氏 宮内庁が一部を映像で公開するなど、より開かれたものにしようという動きは以前からあります。ただ、天皇がどのような考え方で、なんのために祭祀をしているのかはなかなかわかりませんでした。最終的には天皇本人が言わない限りわからないことだからです。
そのことを明らかにしたのが、2016年に当時の天皇陛下(現在の上皇さま)がビデオメッセージで明らかにした退位についてのおことばです。
おことばは、天皇の務めとして大切にしてきたものとして二つをあげています。一つは国民の安寧と幸せを祈ることです。宮中祭祀を指していると思います。
もう一つは、人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことです。例として日本各地への旅をあげ、天皇の象徴的行為としています。「平成流」といわれるものと、ほぼ重なります。
おことばでは、この二つに密接な関係があると述べています。
――天皇自身が宮中祭祀についての考えを明らかにした、ということでしょうか。
◆天皇の告白だと思います。「平成流」と祈りは別々のものではなかったということです。
宮中祭祀は回数も多く、時間も早かったり、遅かったりします。寒いことも暑いこともありますし、準備も大変です。なぜ宮中祭祀をするのか、自分にとってどういうものかということをはっきり国民に伝えたのだと思います。象徴天皇のなかに宮中祭祀を位置づけ直す作業と言っていいと思います。
――宮中祭祀がどういう位置づけなのかはこれまでよくわかりませんでした。
◆戦後の宮中祭祀は、戦前と異なり、明確に法的根拠と言えるものはありません。だからこそ天皇個人の意向を反映させやすいとも言えますし、あるいは最終的には天皇自身が判断するしかない領域だといえるかもしれません。規定がないことをおことばによって補ったとも言えます。
天皇みずからが宮中祭祀の意味について表明したことは、今後のあり方にたがをはめた面があります。この形を次世代に継承したい思いもあったのではないでしょうか。しかもおことばは国民に支持されましたから、象徴天皇のなかに宮中祭祀が位置を確保したと言えます。
――保守派の一部には、天皇は祈るだけでよいという意見もあります。
◆一見、戦前回帰の考え方のようにみえますが、そうではありません。戦前の天皇は統治者であり、元帥でもありました。そのなかであえて宮中祭祀が一番重要だという人は多くありませんでした。
むしろ戦後になって出てきた、「武ではない文としての天皇の本質」というような考え方から、戦前も戦後も共通しているものは何かとなった時に、宮中祭祀が浮かび上がってきたということです。実は戦後的な発想です。
上皇さまは、これまでの天皇とは大きく違うやり方で、国民との距離を詰めました。威厳のある天皇であってほしいと考える保守派の一部には「平成流」は何か違うという感覚があるのかもしれません。
――「平成流」であれ、宮中祭祀であれ、天皇が社会に影響を与えることをどう考えるべきでしょうか。
◆憲法に規定がある以上、天皇の政治や社会に対する影響力がゼロになる想定は現実的ではありません。かといって何をしてもいいということではありませんから、そうしたことを含めて議論することが憲法の想定しているところです。最終的に決めるのは、主権者の国民であることに変わりはありません。
ただし、宮中祭祀をやめることはできないでしょう。天皇にもそれなりの自由があります。宮中祭祀は私的行為として天皇が選択している立て付けですから、制限は難しいでしょう。
宮中祭祀については、事柄の性質上、どうしても天皇のイニシアチブが強くなりますが、国民がどう考えるかはまた別の問題です。要するに天皇からボールが投げられたということではないでしょうか。せっかくボールを投げてくれたのですから、もう少しみんなで考えましょうということだと思います。
おことばが明解なわりには、祈りの側面に着目した人があまりいないのは不思議なことだと思っています。それだけすごい変化球だったのではないでしょうか。(政治プレミア)