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「廊下で道を譲る優しさを持つ」 愛子さまが学習院卒業後「日本赤十字社」に就職した理由

2024年03月30日 08時05分42秒 | 皇室のこと

「廊下で道を譲る優しさを持つ」 愛子さまが学習院卒業後「日本赤十字社」に就職した理由(デイリー新潮) - Yahoo!ニュース 




「廊下で道を譲る優しさを持つ」 愛子さまが学習院卒業後「日本赤十字社」に就職した理由
3/21(木) 6:10配信


デイリー新潮
愛子さま


 この4月から愛子さまは「新社会人」としての生活をスタートされることとなる。進路に関しては、小室眞子らと同様、大学院にご進学されるとの見方もあったが、卒業即就職ということになった。なぜ愛子さまはそのような選択をなさったのか。また、卒業までどのような学生生活を送られたのか。愛子さまと同じ学習院女子中・高等科、学習院大学の卒業生で、『学習院女子と皇室』(新潮社)の著作がある昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員の藤澤志穂子さんが、OBらの話もまじえて解説する。聞こえてくるのは、茶目っ気も持ちつつ聡明で控え目なプリンセスの評判であった――。以下、ご卒業を祝しての藤澤さんの特別寄稿である。


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 天皇ご一家の敬宮愛子さまが学習院大学文学部日本語日本文学科を3月20日にご卒業された。4月からは日本赤十字社に嘱託職員として勤務される傍ら、ご公務を本格化される。愛子さまの進路については、小室眞子さんのように大学院へのご進学もしくは留学されることが大方の予想だったろう。そこで就職の道を選ばれたことには、学習院関係者のみならず国民も驚いた。


 だがよく考えれば「愛子さまらしい、地に足の着いた選択だった」と私は考える。その理由を、愛子さまと同じ学習院女子中・高等科、そして学習院大学の卒業生で、曾祖父から4代の学習院出身、『学習院女子と皇室』を書いた立場からひもとくと、母である皇后・雅子さま、叔母である黒田清子さん(紀宮清子さま)、近しい親戚である三笠宮彬子さまの、大学ご卒業後の進路を参考にされたのではないか、と思う。


雅子さまと黒田清子さんもすぐにご就職
 まずお母さまの雅子さまは、大学ご卒業後の外務省ご就職であった。米ハーバード大学をご卒業後、帰国され東京大学法学部に編入、在学中に外交官試験に合格された。愛子さまとはやや異なるご経歴ではあるが、大学院に進むことがスタンダード、というお考えではないだろう。


 そして黒田清子さんも、同じく大学卒業後に就職している。清子さんは愛子さまと同じ学習院大学文学部国文学科(現日本語日本文学科)卒業後、山階鳥類研究所に非常勤職員として勤務された。この研究所は旧皇族で元侯爵の山階芳麿が戦前に自邸内に創設した標本館が母体で、皇室との縁が深く、現在は秋篠宮殿下が総裁を務めている。そうしたご縁あっての就職であったろう。


 清子さんは勤務の傍ら多くの公務をこなされた。「皇室の行く末を想う気持ちは、最初から運命づけられているお兄様方よりも、皇室の外に出ることが前提としてお育ちになったという、異なる立場において大変お強い」(学習院教員OB)との評がある。内親王時代から降嫁した今に至るまで、現在の上皇・上皇后陛下そしてお兄様の天皇ご一家をお支えしたいお気持ちは強いはずだ。


日本赤十字社と皇室との縁
 愛子さまのご勤務先の日本赤十字社は、伝統的に皇室・皇族との縁が深く、名誉総裁が雅子さま、名誉副総裁が秋篠宮紀子さま、常陸宮華子さま、三笠宮百合子さまと信子さま、高円宮久子さまと複数の女性皇族が務められている。皇室・皇族ゆかりの組織へのご就職は黒田清子さんの前例もある。清子さんのように、ご公務の傍ら天皇・皇后両陛下をお支えし、上皇・上皇后陛下のおそばに寄り添いたい、と考えられるのは、ごく自然な成り行きだったのではないか。


 なお学習院女子中・高等科の卒業生の場合、結婚後も実家に寄り添う女性たちの比率は、一般より高いように私は感じている。スープの冷めない距離に住み実家と行き来し、子供たちの面倒を見てもらうケースに加え、子供たちが独立した後は実家に戻り、父母と自分たち夫婦との二世帯住宅を建てて住み替える、高齢になった親の介護をする、といった話を、50代を過ぎた最近になってよく聞くようになった。


 両親を支え、祖父母を支えるといった、家族を思いやる心は、華族女学校時代以来の学習院の教えでもある。


「そんな心が卒業生には自然に備わっており、愛子さまも同じ」


 そんな評価を卒業生から聞くこともある。


三笠宮彬子さまのご活躍
 いっぽう愛子さまの「大学院へ進まない」という選択を意外に思った国民も多かっただろう。小室眞子さん(秋篠宮眞子内親王)は国際基督教大学卒業後に英レスター大学大学院に留学し、博物館学の修士号を取得した。愛子さまの場合、国内のみならず、海外の大学院へ進まれるという選択肢もあり得たはずだ。なぜそうされなかったのか。


 推測でしかないが、おそらくは三笠宮彬子さまのご活躍ぶりを参考にされてのご判断ではなかったか。


 彬子さまは学習院大学文学部史学科をご卒業後、英オックスフォード大に留学され、日本美術史を専攻、博士号を取得された。女性皇族として初、海外の大学からの博士号取得も皇族として初である。現在は京都産業大学の日本文化研究所の特別教授として、研究を続けながら学生指導をされている。


 研究者の道を究めるのは、生半可なことではできない。一般論として、修士号を取得した程度では入り口に過ぎず、その後に時間をかけて博士論文をまとめ、博士号を取得して初めて研究者の卵となれる。


 彬子さまは、ご自身に歴史という学問の面白さを最初に教えて下さったのが祖父の三笠宮崇仁殿下だったと、学習院女子中・高等科の同窓会である常磐会の会報誌「ふかみどり」(2020年発行の第35号)で書かれている。その影響で研究の道を究めようとされているのだろう。


 彬子さまは「真摯に指導するということがどんなに大変であるかがわかり」「自分が面白いと思っていることを学生たちに共有し、学ぶことは面白いと思ってもらえるような種を彼らの心に蒔くことならば、私にもできるかもしれないと思った」とも綴られている。


 報道によれば愛子さまは、学習院大学の卒業論文を「中世の和歌」をテーマに執筆されたという。もう少し、勉強したい、というお気持ちもおありだったかもしれない。だが研究の道を究めるのは厳しい。


 真摯に研究に取り組まれる彬子さまの姿は素晴らしい。しかし、「同じようにはできない」と考えられたのではないだろうか。彬子さまは女王殿下、愛子さまは天皇家の内親王とお立場が違い、公務の質も違い量も多くなっていく可能性が高い。そんなお立場の違いも踏まえてのことだったろう。

廊下で道を譲る優しさを持つ
 ここで愛子さまの微笑ましい「素顔」についても少し触れておこう。


 小学生(学習院初等科)時代を知る学習院OB・OGの間では「ごくごく“普通の女の子”でいらした」との声が多い。同級生たちと、ちょっとしたいたずらをして、先生に叱られる、といった“茶目っ気”もおありでいらしたらしい。


 学習院女子中・高等科では美化委員会に所属。校内の清掃を指揮する委員の集まりで、かつて在学した黒田清子さんも所属していた。思春期で、掃除をさぼりがちな女子生徒たちに協力を依頼する立場であり、場合によっては率先して自ら清掃に手を動かす。奉仕の心がなければできないだろう。


 女子部在学中の愛子さまのご様子については「廊下の通行で、他の生徒たちに進んで道を譲るような優しい方だった」「国語や古文がお得意でいらした」「受験勉強をなされば、東京大学にも進学できるレベルの学力をお持ちでいらした」との声がある。


 こうした愛子さまのご様子は、私自身が女子部在学中に拝見した、二年下の黒田清子さんの姿と重なりあう。「皇族」であることは感じさせず、決して派手さはなく、他人に尽くす振る舞いが自然に備わっている、とでもいうべきか。


「茶目っ気あるいたずらっ子」の愛子さまは、学習院女子部で「大人の女性」になられたのだと私は思う。


 女子部卒業生が集まると、よく話題になるのが「私たちは、出るところに出れば、きちんと振る舞うことができる」という自負心だ。女子部で躾(しつけ)を受けた賜物だと私自身も今になって感謝している。


 例えば入学当初は言うのが恥ずかしかった挨拶ことば「ごきげんよう」を、授業の始まりと終わりなど日々、繰り返し口にし、自然に言えるだけの美しい日本語の言葉遣い、お辞儀の角度とTPO(学習院以外の方には、「ごきげんよう」は奇異に思われるので使わない等、微妙な心遣いまで)などなど。皇族・皇室の方々が身近におられ、ごく自然にそうした方々と接する機会があることも大きかったようにも思う。

昭憲皇太后、貞明皇后の下賜の「御歌」の教え
 こうした教育の基礎は歴代皇后から下賜された「御歌」の中にある。学習院女子部の事実上の校歌は、昭憲皇太后(明治天皇の妃)の「金剛石・水は器」。勉学に励み、切磋琢磨しよき友と学べという内容で、入学式で歌われる。


 貞明皇后(大正天皇の后)の「月の桂」は卒業式で歌われる「御歌」で、鍛錬すれば高根の花も、月にある桂の木にも手が届く、身の行いを正し、家も守り、国に尽くせといった教えが込められている。下賜された当時は、皇后・皇太后が頻繁に学習院に行啓しており、御前でこの御歌を当時の生徒たちが歌ったこともあったろう。


 その唯一無二の経験と教えは、現代の学習院女子部にも特別な歴史と文化として伝わっている。卒業生はほぼ例外なく今でもこれらの御歌を口ずさむことができるし、知らず知らずのうちに心の支えになっている。女子中等科に入った早々、生徒たちはこれらの御歌の意味を学び、唄い方を練習する。それが自分自身の血となり肉となり大人の女性に育ててくれる。愛子さまも同じであったろう。初等科時代の愛子さまを知る卒業生が、ご立派との評価が高かった愛子さまの会見を見て「自分にも娘ができたら学習院女子に進学させたい」とも語っている。


 先述した常磐会会報誌「ふかみどり」は5年に一度の刊行で、近年の号では三笠宮彬子さまが教鞭を執られる大学でのご様子を、高円宮承子さまは日本ユニセフ協会の嘱託職員として働く日々を綴られている。次号36号は来年2025(令和7)年の刊行予定だ。愛子さまには是非、日本赤十字社でのお仕事ぶりを率直にご寄稿されてほしいと願っている。


藤澤志穂子(フジサワ・シホコ)
昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員。学習院大学法学部卒、早稲田大学大学院文学研究科演劇専攻修士課程中退。1992年産経新聞社入社、経済本部、米コロンビア・ビジネススクール客員研究員を経て2019年退社。著書に『出世と肩書』『釣りキチ三平の夢 矢口高雄外伝』『学習院女子と皇室』。


デイリー新潮編集部













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