やっほ~♪ 鍋之助さ~ん、画を借りちゃいましたよ~
上の画は、鍋之助さんの作品で、本多忠勝が娘・小松姫です。すごい迫力
大多喜お城祭りがもうすぐです。9月26日(土)本多忠勝侯一行による武者行列には全国どこからでも参加者を募集しているので、昨年の経験者・久我原殿を真似て、申し込みました。
申し込み(9月9日必着) コチラ
姫に応募したからには、身も心も本多忠勝侯に捧げるために、大多喜城の姫を学びたい! 本多忠勝侯のお話は結構聞きますが、本多忠勝侯の妻というと、ちょっと知られていません そんなモヤモヤを解決してくださったのは、我等が殿☆久我原さんです。 殿、ありがとう。
「ジャンヌさん、ちょっと調べて、詳しいことは分かりませんでしたが、正室の他に側室が一人いたらしいです。
正室の名前は於久(おひさ)で阿知和右衛門玄銕という人の娘です。1569年10月、家康の媒酌により婚姻しました。忠政、忠朝の生母です。
側室の名前は乙女(おとめ)で、正室より先に嫁いできています。
松平家家臣・松下弥一の娘で、幼くして父を無くし、忠勝が幼年時代に孫子の兵法を習いに通ったとされる妙源寺に預けられていたらしいです。1566年、忠勝が青年騎馬隊隊長として約3万6千石と岡崎城黒御門内に侍屋敷を拝領すると同時に、母・小夜と共に転入し、実質的な夫婦となりました。忠勝との間には、小松の他に3人の娘をもうけたそうです。
桑名移封の際は、正室・於久は大多喜城主となった次男・忠朝の許に残り、乙女だけを桑名に連れて行ったそうです。
正室よりも側室の来歴が詳しいというのは良くあることですが、乙女だけを桑名に連れて行くところが、実は殿様は乙女さんの方が好きだったのかもしれませんね。また、一つネタが出来ました。これは忠勝の臨終のシーンに使えそうです。」(by 久我原)
ネット上でも上位に浮上してきたとの噂の久我原さんの作品。小説家は多かれ少なかれ嘘つきですが・・・(*o☆)\バキッ! 、久我原さんの小説もフィクションですから~☆ぎゃはは・・・!!(^Q^)/^ あしからず
鍋之助さんの戦国画 http://sengoku-gallery.com/ ブックマークにもあります
本多忠勝の娘・小松姫 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%9D%BE%E5%A7%AB
本多忠勝ファミリー http://www.geocities.co.jp/Berkeley-Labo/1234/t01/t0110.html
ただかつ君のブログ http://blog.goo.ne.jp/otakikankou
大多喜お城祭りには、いすみ鉄道で☆ (ぽにょぽにょさん撮影8/29)
列車の窓から「日本の原風景」をお楽しみいただけます。
あなたの駅からの列車時刻表 http://www.ekikara.jp/top.htm