アイ!サラマッポ in バギオ

フィリピン人介護者のケアを受けながらの、フィリピンでのインディペンデント・リヴィング…、心の赴くまま、ここに記します。

「サラマッポ!-Salamat po!」 (感謝)

2008-12-31 08:08:08 | フィリピン-バギオ

 これが今年最後の記事になります。

 ブログを始めて二か月、見ていただいた方、コメントを書いていただいた方…ありがとうございました。「サラマッポ(Salamat po!)!」
 いつまで続けられるか分かりませんが、来年もよろしく!

 この一年間を振り返ると、二度にわたる床ずれ(7月と11月)、虫との闘い、一か月に及んだ風邪(8月)…等、健康管理の面ではやや落ち度があった年だと思います。
 
フィリピンでは、虫さされには要注意です。地球温暖化で日本でも見られるようになった「熱帯シマカ」や「ヒトスジシマカ」によるデング熱やマラリヤ…。私は、ラス・ピニャスでは大きな赤アリにさされ、バギオに移ってからも、多分ゴキブリ?に太ももをくわれ(12月初め)、一晩40度の熱が出ました。
 
厄介な床ずれは、見つけてすぐに初期治療をしましたが、どちらもやはり治癒までに約一か月半はかかりました。でも、それも完治し、健康面ではほぼ良好の状態で年を越せそうです。

 また、純粋に個人的な出来事だけを振り返ると、今年は、まず、本『アイ!サラマッポ~フィリピン人介護者と生きて~』を出版できたこと(8月)が何よりでした。日比間のFTA(自由貿易協定)によるフィリピン人看護師・介護士の受け入れがマスコミでも騒がれ始めて書き始めたこの手記は、三年越しで、去年の11月に脱稿したものです。私の人生で、一つの区切りとなった気がします。

 次に、マニラからバギオへ移住したこと(10月)も、一つの節目でした。
 
切り花農家で平和に暮らしていた祖父が太平洋戦争へと駆り出され、このバギオ近郊で命を落としたこと、自分なりにその供養をすることが、これまでさんざん心配をかけてきた家族、親せきへのせめてもの償いだと思いました。切り花の畑をお世話していた祖父が、この花と緑に囲まれた美しい街バギオで眠っているのは、皮肉とともに、不思議な因縁を感じます。私の体調も、マニラにいた頃よりずっとよくなりました。おかげ様です。

 三番目に、11月、ブログ『アイ!サラマッポ in バギオ』を開設したことでしょうか。これも、私の自己満足的な要素が強い内容ですが、閲覧していただいている方々、いただいたコメントにも励まされています。

 9月には、介護者の一人が誤って電動車椅子を充電するのに、変圧器にではなく、直接こちらの220Vのコンセントに差し込んでしまい、「パン、パーン」と二度の爆竹のような音がし、内蔵されている充電器が焼けてしまった、という、ここ10年間で初めての苦いアクシデントもありました。不幸中の幸いで、メイン・コントローラーは焼けなかったので、今は、シールドバッテリー(ドライ)も充電できる、こちらで手に入れた充電器を一時的に使っています。

 さて、今回の写真は、先日出かけた、バギオ市の「Mines View」という観光スポットからの眺望です。階段が多く、そしてこの時期、何より観光客が多くて私はそのスポットまで行けません。これは介護者撮影。ここからの初日の出を想像しながら「来年はよい年となりますように…。」

 ここバギオ市のグリーン・バレイでも、新年へのカウントダウン打ち上げ花火や爆竹の数が増してきました。今日大晦日の夜は、「紅白」の後「ゆく年くる年」を見てから年越しそばを食べ、時差1時間のフィリピンの二度目の新年カウントダウンを見届けた後、ベッドに移ろうと思います。

 今年も、直接私の生活に関わってくれたフィリピン人の介護者をはじめ、日本の家族、友人…多くの方々の支えがあってこそ、無事に一年を乗り切ることができました。本当にありがとうございました。

 皆さま、どうぞよいお年をお迎えください!

 See you!!!


フィリピンの英雄「ホセ・リサール博士」の日

2008-12-30 12:31:24 | フィリピン-バギオ

 今日12月30日は、フィリピンの国民的な英雄「ホセ・リサール博士」の日(Dr. Jose Rizal’s Day)です。
 112年前の今日、現在のマニラのリサール公園で処刑されたのです。安らかなお眠りをお祈りいたします…。

<写真> バギオ市バーンハム公園前のホセ・リサール博士像

 少し近づいて…

「フィリピン救国の英雄、ホセ・リサール博士(Dr. Jose Rizal)は、医学、哲学、文学、人類学に農学と、多岐の分野にわたって教養を身につけた天才的知識人で、言語も二十二ヶ国語に通じたとされる。強圧的なスペイン支配と、フィリピン人の従順過ぎる無気力さを嘆き、著書を通して訴え続けた民族自立の叫びは、フィリピン国内にとどまらず二〇世紀初頭のアジア各国のナショナリズム運動を呼び起こし、毛沢東やホーチミンにも影響を与えた。広大な芝生が広がるその公園の中央には、リサールの記念像が高くそびえている。そこは、一八九六年一二月三〇日に彼がスペインにより処刑された場所で、碑の下にはリサールの遺骨が納められ、儀仗兵が二十四時間体制で警備に当たっている。それからちょうど百年、フィリピン最大の英雄のお墓を前にして、介護者の二人がお祈りを捧げる横で、私も静かに祈った。歴史上、時代に先んじ過ぎた先駆者には、時として悲惨な結末が訪れることがあるが、彼の場合もそうだったのだろう。しかし、彼の死後、フィリピンはただちに独立運動に立ち上がり、わずか一年半でスペインからの事実上の独立を果たしたのだ。」
(拙著『アイ!サラマッポ~フィリピン人介護者と生きて~』上巻より抜粋)

 10年前のクリスマスに、私がマニラでじたばたしていた時、マカティ市のコーヒーショップで出会った、初めてのフィリピン人の友人のご先祖様です。

 東京の日比谷公園にも、「ホセ・リサール博士像」があります。

 http://www2.tbb.t-com.ne.jp/atc/Philippines/history/jose_rizal.html

(ホセ・リサール博士の歴史と功績)

 

<写真> マニラのリサール公園(リサール博士が処刑された場所)
 手前に見えるのは、「ホワイト・エンジェル-白い天使」の可憐な花です。


UFOは北京へ???

2008-12-28 18:12:58 | その他

 これは今年の余談ですが、6~7月に、日本に同行してくれた介護者サラさんと金沢に帰省した時のことです。実家に戻って一週間後、あまりにきれいな夕日に、彼女に頼んで二階から夕日を三枚撮ってもらいました。

 その一枚に、何と「UFO」らしきものが写っていたのです。

 友人に、どうしたものかと相談したところ、読売金沢支局が記事にしてくれ、その後、中山秀征さんの『ラジカルっ』や、みのもんたさんの『思いっきりイイ!テレビ』のUFO特集でも取り上げられました。

 オリンピックの年は、地球人の英知と身体能力を確かめにエイリアンがやって来るのか、世界各地で多くのUFO目撃情報があるとのことです。Copy rightの関係でちょっとだけお見せしますネ…(^^;)。

<写真> 金沢でフィリピン人介護者サラさんが撮影したUFO(夕日の中)-サイズは小さくしてありますが「オリジナル写真」です。

 インベーダーゲームに出てくるような、「新しいタイプのUFOではないか…。」という専門家の方の話です。拡大してみると…。

 

 ちなみに、私はUFOに関心はありませんでしたし、映像を合成する技術もありません。
 そして、読売の記者の方が来て、3枚撮った夕日を見せようとしたら、何と、デジカメのメモリーカードのデータがすべて消去されていたのです!
(UFOの映っていた一枚は、コンピューターに取り入れてありました。)
 その後、友人等、いろんな人に見せたら「オオーッ!」「ええーっ!」「あらーっ!」とビックリ仰天するタイプと、「ハハハハ…」と、極めて冷静に受け止めるタイプ、大きく二つのタイプに分かれるようでした。あなたはどっち?

 私自身は、今でも、これはUFOだと信じていますし、宇宙人の存在を信じるようになりました。「私は、地球人の一員であると同時に、宇宙人の一員でもあるのだと…。」


Merry Christmas!

2008-12-25 20:12:25 | フィリピン-バギオ

Merry Christmas!

Maligayang Pasko po sa inyong lahat!(タガログ語)

May the Christmas and the coming year hold many joys for you…

good health good friends, happiness…

Merry Christmas!

皆様のご健康とご多幸をお祈りします。

 写真は、ここグリーン・バレイ・ビレッジのクリスマス・ツリー。
奥に見える白い建物が小生の住むコンドミニアムです。

 夜になると…こんな感じ。
 

 実は、今住んでいるグリーン・バレイのコンドミニアムは4棟ビルが連なっているのですが、小生はその1階のユニットを借りています。その4つの棟に、68のユニットがあるのですが、ほとんどお金持ちのセカンドハウスとしてしか使われていないようで、クリスマスの前まではたった7つのユニットしか使われていませんでした。「クリスマスにはいっぱいになる…」と聞いていたのですが、それでも十数軒のユニットしか使われていないようです。もったいない話です…。
 クリスマスの花火も、午前零時を過ぎてから、時々小さな打ち上げ花火の音が聴こえてきただけでした。(寒いからね…^^;)
 平穏なホーリー・サイレントナイトでした…。

 クリスマスに思い出されるシーンの一つに、ミンダナオ島ダバオ・オリエンタル地方の孤児院「ハウス・オブ・ジョイ」のクリスマスがあります。

 これは2004年12月のクリスマス…。ハウス・オブ・ジョイでは、カシンカシン奨学制度で近所の子供たちも支援していて、この日は多くの子供たちが集まっていました。
 右上に、聖母マリア像が見えます。
 今年のハウス・オブ・ジョイのクリスマスパーティの様子はこちらで…(動画も見られます。)

http://houseofjoynikki.blogspot.com/2008/12/blog-post_21.html

 

 この写真は、マリア様と幼きイエス様を描いた刺繍(クロスステッチ)で、フィリピンに来た当初、介護者からいただいたものです。


レモン湯!?

2008-12-23 15:08:22 | フィリピン-障がい者の「自立生活」

 今日は、約一週間ぶりにバスタブで入浴させてもらいました。

 冬至から二日遅れの、「ゆず湯」ならぬ「レモン湯」です。レモン湯といっても、先日市場で仕入れた大きなレモンの厚い皮を切ってお湯に入れてみたのです。気持ちだけ「ゆず湯」…風邪などひきませんように…。
  入浴は週に一度から二度、あとは清拭ですませています。体温調節が利きにくい体で、汗はほとんどかきません。かくのは冷や汗です(^^;)。

<写真> ポリエステルのバスタブにフレームをつけて、フレームの下に15cmくらいのスペースを作ることで、移動式リフト(日本から)を使って入浴できるようにしてあります。フレームにはキャスターも付けました(溶接)。
 
左下に見えるのはルーム・ヒーター。バスタブは部屋に置きっ放しです。

 
マニラにいた頃も同じペースの入浴でしたが、完全に水風呂でした。今のコンド・ユニットは、パナソニック製のウォーター・ヒーター(電気温水器)が備えられていて、温度調節を最大にすれば、ちょうど40℃余りの熱いお湯が出ます。日本人にはちょうど良いその湯加減も、フィリピン人の介護者にとっては「やけど、しない?」と感じるほどの熱さなのでしょう。
 

 
でも、バスタブにたっぷりお湯を張ると体が浮力でずり落ちてしまうため、お湯は15cmくらいの深さしか張りません。そして、手おけを使って頭や顔からお湯をかけてもらう、という訳です。シャワーベッドを使うより、手おけの方が安全で楽です。

「日本せきずい基金」のビデオ・ライブラリーには、4年前にミンダナオ島ダバオ市での生活の様子を収めたDVD、ビデオがあります。どうやって入浴するのか、その様子もチラッと映っています(誰も見たくないよね…笑)。
 ダバオ市(人口120~130万人・マニラに次ぐフィリピン第2の都市)も本当に住みやすい良い所です。


クリスマス・キャロル

2008-12-21 15:58:22 | フィリピン-バギオ

 フィリピン特有の「シンバン・ガビーSimbang Gabi」というクリスマスのミサが始まった今週初め頃から、ここグリーン・バレーでも、近所の子供たちが毎晩クリスマス・キャロルを歌いにやって来るようになりました。

Joy to the world The Lord has come…(諸人こぞりて)

Jingle bells jingle bells jingle all the way…(ジングルベル)

I wish you a merry Christmas…And a happy new year…

 中には手作りの楽器でドンジャカやりながら歌を歌うグループも…。
 クリスマス・ソングを歌って近所を回る子供たちに、家々は「一人に1ペソ(約2円)」の硬貨を渡します。私は、キャンディや小さなスナック菓子を添えて手渡します。お年玉の習慣がないフィリピンでは、クリスマスはお小遣いの稼ぎ時とも言えます(^^)。
 そして、「♪Thank you…thank you…Ang babait ninyo(ご親切に) Thank you…」とお礼を言って次の家へと向かっていきます。

 クリスマス・ソングと言えば、ずっと親しくさせていただいている、ダバオ在住、ダバシューさんの「GINTE2」(ギンテツー銀河鉄道2)の『12月の鐘-Merry Christmas』…名曲です!癒されます。

http://www.myspace.com/ginte2

 そして、やはりそのmyspace.comで、楽しい「うたぽすと」の曲も試聴できます!

http://profile.myspace.com/utapost


ベンゲット道路(ケノン・ロード)

2008-12-18 16:17:08 | フィリピン-バギオ

 先日、マルコス・ハイウェイのほかに、南部からバギオ市へ通じるもう一つのハイウェイ「ベンゲット道路(ケノン・ロード)」を見学に行ってきました。

 以前、このブログに書いたように、日本人を含め多くの犠牲者を出して建設された道路だけに、身の引き締まる思いでした。百年以上も前の、当時世界でも難しいとされた厳しい工事の様子が想像できる、険しいハイウェイでした。

 写真は、途中のビュー・スポットから撮ったベンゲット道路。

 感覚としては、ちょうど石川県白山麓から、白峰、鶴来へと抜ける感じで、つり橋や滝もいくつか見られました。手取り川を思い出させるエド川を隣に見ながら、ケノン州入り口のゲートにたどり着きました。

<写真> 「またベンゲットにどうぞ」というゲート(裏側)

 昨日は季節風の影響で、バギオ市の最低気温は10.8℃だったそうです。


Peace be with you...

2008-12-16 12:38:16 | フィリピン-バギオ

 クリスマスまで「9日」となった今日から、クリスマスまでの9日間、フィリピンでは各地のカトリック教会で「Simbang Gabi-シンバン・ガビ」(タガログ語)というミサが続けられます。

 早朝4時頃からのミサに9日間続けて参列すると、願い事がかなうとされています。イエス・キリスト生誕をお祝いする、フィリピンでは一年中で最も大きな行事で、この時期は、にぎやかで華やかなお祝いの中にも、国中が厳かな祈りに包まれます。

 カトリック教のミサでは、ミサの終わりに「Peace be with you.」と神父様の呼びかけの後に、参列者がお互いに「Peace be with you.」とあいさつを交わします。直訳すれば「平和があなたと共にありますように」という意味でしょうか。

 私自身は、その9日間ずっと教会に通い続けることはできませんが、家で静かに祈りを捧げたいと思います。

Peace be with you…

<写真> グリーン・バレイ、家の近くの聖母マリア像


市場-バギオ市民の台所「パレンケ」

2008-12-12 17:58:03 | フィリピン-バギオ

 先日、初めてバギオ市民の台所「パレンケ-Palengke(タガログ語)」(市場-Public Market)に行ってきました。

<写真> 右側に山積みのストロベリー(天井からつり下がっているのは、そのイチゴ用のバスケット)

 クリスマスが近いこともあって、たくさんの買い物客でにぎわっていましたが、まだそれほど混雑しておらず、一周りしてきました。

 野菜、果物、魚介類、肉類、花屋、雑貨屋…ここに来れば何でもそろいそうです。バギオならではのお土産屋さんも多く見られました。

 そして、やはりひと際目を引いたのは、シーズンに入ったイチゴでした。粒の大きさによって値段は違いますが、並で1㎏100ペソ(約200円)と、ちょうど一か月前にストロベリーファームへ行った時の半額で、甘みも増していました。

 ちょうど金沢の「近江町市場」のような雰囲気で、アーケードの下にぎっしりと威勢の良いお店が軒を連ねていました。バギオ市の人口は金沢市の約三分の二、市場の広さもちょうど三分の二くらいだと思います。

 そういえば、ダバオ市の有名な「バンケロハン市場-Bankerohan」では、ダントツで果物と魚介類が豊富でした。果物ではドリアンにポメロ、魚介類では何と言ってもマグロ…。

 (ダバオ)

 年の瀬を迎え、これから、どこの市場も活気であふれて行くことでしょう。


障害者の日-The Day of Disabled Persons

2008-12-09 20:52:15 | フィリピン-障がい者の「自立生活」

 今日12月9日は「障害者の日」です。…と思っていたら、2004年の障害者基本法改正で、12月3日から9日までを「障害者週間」とすることで「障害者の日」という記述は条文から消えたようです。

 ちなみに、12月3日は「国際障害者デー」(International Day of Disabled Persons)です。

1975年の今日、国連総会で「障害者の権利に関する決議」が採択されたことにちなんで、その五年後に日本で設けられた、まだ歴史の浅い記念日です。

 

「ある新聞の社説によると、その障害者運動の源流はナチスへの抵抗運動にまでさかのぼるという。地下新聞を配って、アウシュビッツ強制収容所へ送られたデンマークのハンク・ミケルセンという若い記者がいた。奇跡的に生還した後に、厚生省の役人となって訪ねた知的障害者の施設の雰囲気が、彼のいた強制収容所とあまりにも似ていて、さらに施設側の考え方も強制収容所と近いということに気づいた彼は愕然とする。

 一般社会から「隔離」された特殊な社会、日常とかけ離れた、精神的にも身体的にもノーマルではない生活。同じくアウシュビッツに収容されたことのあるヴィクトル・フランクル(Viktor Frankl)は、著書『夜と霧』の中で、「死と隣り合わせの、絶望すら感じないような精神状態の中でも、人間はどこまでも人間であった。」と書いている。その「アウシュビッツの強制収容所」と、「知的障害者の入所施設」が似通っていた!そのことが、障害者の人権について考える原点だったと知り、背筋の寒くなる思いがした。」

-拙著『アイ!サラマッポ』(上巻)より抜粋-

 

 バギオはすっかり乾季に入ったようでよいお天気が続いています。朝夕は、放射冷却現象で外はかなり冷え込みます(16~18℃)。が、コンド・ユニット(家)の中は20℃を下回ることはありません。シャワールームには温水器があり、熱いお湯も出て快適です。

 

<写真> 晴天下、サンフラワー(ひまわりの一種?)とススキが共生。

     前庭には、何とツツジとハイビスカスが共生しています。