アイ!サラマッポ in バギオ

フィリピン人介護者のケアを受けながらの、フィリピンでのインディペンデント・リヴィング…、心の赴くまま、ここに記します。

フラワー・フェスティバルは最高潮

2009-02-28 18:37:24 | フィリピン-バギオ

 今日のバギオは朝から雲ひとつない青空が広がりました。
 今月1日から始まったバギオ市のフラワー・フェスティバル(Panagbenga)も残すところ一週間。今日と明日のパレードがピークです。今日は、ストリート・パレード-Grand Street Paradeでした。
<写真> 6人の小学生が並んで演奏しているの鉄琴です。

 今月は、1日に外出してからは、床ずれ治療のため、近場の短時間の散歩以外はずっと家で過ごしていましたが、状態もかなりよくなり、パレードの出発地点の少し手前の場所で、二時間余り雰囲気を楽しんできました。衣装のテーマは「花(サンフラワー)と蝶」?頭の先からつま先まで、付けられるところに付けられるものは付ける、といった感じの、花の街にふさわしいカラフルなコーディネートです。

 
(美しい蝶の後ろののぼりには「PANAGBENGA」の文字が…。)

 
(小学校低学年のかわいい衣装とダンス)

 
(パレード出発地点の少し手前で…。)

 
(やっぱりメインはサンフラワー)

 
右奥の二人のおばさん、同じポーズで何だか恥ずかしそう…。イゴロット民族衣装、逞しい男子のふんどし姿に…。きっと外部からの観光客ですね。^0^;)

 パレードの後は、アスレティック・ボール競技場を舞台に、パレードに参加した各学校のパーフォーマンスのコンテストが行われました。それはテレビのライヴ中継で見ましたが、どの学校もユニークで素晴らしい創作パーフォーマンスでした。
(テレビの映像と音声は、いつも思うけどローカル…でちょっと残念。)

 さて、明日から3月かあ…。明日はフロート・パレード-Grand Float Parade、花で飾られた豪華な山車がメインストリートを凱旋します。


ピープルパワー革命(平和的人民革命)記念日

2009-02-25 21:18:37 | フィリピン-マニラ

 今から23年前、1986年の今日、フィリピンのマニラで、二十一年間続いたマルコス大統領独裁政権を退陣に追い込んだ「ピープルパワー革命」(エドサ革命)と呼ばれる無血の人民革命が起きました。
 83年に空港で暗殺された、当時のマルコス大統領の政敵だったベニグノ・アキノ元上院議員の夫人で、非暴力・非服従による反マルコス運動を展開していた「コラソン・アキノ」氏が、エドサに集結した人々が見守る中、大統領選挙での勝利を宣言し就任式を決行しました。同日、やはり官邸で就任式を行うも、国軍等身内の寝返りが相次ぎ、アメリカにも見限られたマルコスはハワイへと亡命せざるを得なかったのでした。
 私は、マラカニアン宮殿が一般に公開されていた96年2月に一度宮殿内を見てきましたが、イメルダ夫人のキラキラとした豪華なドレスや装飾品、靴などが多数陳列されていました。そして、寝室の超キングサイズのベッドのわきには、いざという時に脱出するためのトンネル(逃げ道)が作られていたのを覚えています。

 以下は、2001年1月20日に、やはり汚職でエストラーダ大統領がその座を追われ、エドサに人民の結集した力を得て、アロヨ副大統領が新大統領となった「ピープル・パワー2」の時の、私の著書の記述です。
「そんなことを心配しながら、SMの中の両替所を通りかかった時、その電光掲示の通貨交換レートに異変が起きていることに気づいた。急激な円安ペソ高、日本円が暴落した?そして、何か大変なことが起きたのでは、と不吉な予感がした。政変だ!賭博による詐欺汚職疑惑で弾劾裁判にかけられていた、元映画俳優のエストラーダ大統領への抗議デモや集会が大規模なものに発展し、エドサ(
Edsa)に人々が集まり始めたという。エドサは、一九八六年にマルコス大統領退陣を訴えて市民が集まった場所で、今回も数十万人が集結する事態となった。閣僚や国軍、国家警察なども一転して大統領への支持を撤回した。そこには、カトリック教指導者の力が大きく働いたようだが、当時すでに普及していた携帯電話も大きな力を果たした。『エドサに集まろう!』という呼びかけが、メールで人から人へと流されたのだ。
 
最高裁が満場一致で大統領の空席を宣告した後、アロヨ副大統領が十四代フィリピン共和国大統領であることを宣誓した。一九八六年、流血を見ることなく人々の力の結集により政権交代を果たした『ピープル・パワー』(People Power)の再来として、世に『ピープル・パワー2』と呼ばれる平和的人民革命だった。日本では革命が起きた歴史はないし、私自身そうした不安定な政情の中で、『平和的』ではあったにせよ、『革命』と呼ばれる騒ぎの中に身を置くのは、当然初めてのことだった。これから先、どうなって行くのだろう、と不安を感じながらも、家族には「街中は落ち着いているから大丈夫。」と伝えた。『一九八六年』を経験している中年層の人たちは、『騒ぎはそれほど長くは続かないだろう。』と落ち着き払っていた。事実、その後大きな混乱はなく、人々の生活もすぐに平常に近い状態に戻った。」

(拙著『アイ!サラマッポ~フィリピン人介護者と生きて~』下巻より抜粋)

 どちらの「ピープル・パワー革命」でも、汚職によって追い込まれた大統領に代わって、女性の大統領が誕生したのですね。
「ピ-プル・パワー2」の時は、ジョン・レノンのGive peace a chance』『Power to the people』を人々が合唱していました。

<写真> ピープルパワーで人々が集結した場所「エドサ-Edsa」の聖母マリア像(後光が・・・2001年11月9日撮影)


ミツバチもおおらかに…。

2009-02-24 21:08:05 | フィリピン-バギオ

 今年初めての記事の表紙は、バギオ市のシンボルのサン・フラワー(ひまわりの一種)でした。

 http://blog.goo.ne.jp/isshin3_ph/d/20090103

  そこに一緒に写ってくれた同じ種類の小さなミツバチが、今度は大きな「ダリア」の花と一緒に写ってくれました。先日、バーンハム・パークへ行ったマリアさんが撮った写真ですが、カメラを向けて近づいても動じない南国のミツバチ、おおらかですね。

 昨日は、ジェンさんが、サンシャイン・パークを散歩していて、こんな写真が撮れました。サルビアの花壇の奥、文字通り「サンシャイン」、木漏れ日が差し込んでいます。

 


これが私の通信手段 in バギオ

2009-02-22 15:38:16 | フィリピン-バギオ

 今、私がバギオで使っている通信手段のすべてです。ノートパソコンに古ーいタイプの携帯電話、そしてそれらを使うためのプリペイド・カードPrepaid cardsです。右上が300ペソ(約6百円)の携帯電話用カード、右下がインターネット接続用の100ペソ(約2百円・5時間)のカードで、300ペソのカード(15時間)や、マンスリープランもあります。どちらもSmart(スマート)という大手通信会社のものです。
 
携帯電話は、国内通話だと1分8ペソ(約16円)で、日本にかけると1分21ペソ(約42円)です。
 インターネットは、下の写真のような小さなモデムをUSBにつなぐだけの無線によるものです。

  

(写真)Smart Bro モデム-窓際にさかさまにつってある。

 30分ごとに10ペソで、100ペソのカードで約5時間使えます(割は悪いが、ネットを多く使わない人にとってはよいかも)。これが、シグナル状況やネットの込み具合によって、ウチのコンドミニアムなどではかなりスピードが遅くなります。製品情報では「最大2Mbps」ということですが、今の部屋ではうまくつながっても最大15kbps~30kbps!であることが最近分かり、ショック!アンビリーバブルなスピードでしょ?メール1通送るのにも時間がかかります(^^;)。以前は、リヴィングの窓際で使っていたのでまだましでしたが…。ここしばらく、床ずれ治療のためベッドの上で過ごすことが多い(寝禅^^)ので、部屋で使ってみるとそんな状態です。携帯も「圏外」ですから、納得できる気もしますが…。
 シグナルの状態さえよければ、このモデムによるネット接続は、どこでも使え、とても便利で身軽なのですが…。
 フィリピンにも日本のNTTから技術提供されたADSL同様の、電話回線を使っての「DSL」という高速ネット接続もあり、マニラではそれを使っていましたが、自分の経験では、そこのカスタマーサービスがひどくて(大企業の驕りのような印象でした)、新たにそのP○○○の電話回線を敷く気にもなれません。(Smartも、そのSister companyなのですが…。)
 先週は特に、インターネットの接続があまりよくなくストレスがたまりました。近々日本に一度帰ろうかと、床ずれとにらめっこしながらの中途半端な日々…。小さいけどしつこい今の床ずれが完治した後、このネット接続をどうにかしたいと思います。トホホッ…。

 さて、現在開催中のバギオ・フラワー・フェスティバル-Panagbengaも後二週間…佳境に入っていきます。今週末の「Grand Street Parede」(土)と、「Grand Float Parede」(日)という花やフルーツで飾られた山車が凱旋するパレードで最高潮に達するようです。が、去年のパレードを先日テレビでチラッと見たところ、ものすごい観衆!セッション大通りでは「場所取り」でもしない限りちょっと「生」で観るのは無理そう…。Hmmm…テレビ中継で観ることにしますか…。
 先週14日にはバーンハム公園の池で「Fluvial Parede」という池上での、花で飾り付けされたボートのパレード(コンテスト)が…。パレードの連続ですね。今日は、介護者のマリアさん、イベントを見に朝からカメラを持っていそいそと出かけていきました。
 街の中央、人々の憩いの場であるバーンハム公園は、実に様々な花が咲き誇っていて、まさに「花園」といった感じのようです。


フィリピン人看護師と介護福祉士候補者の最終選考

2009-02-21 23:55:57 | フィリピン人看護師・介護士(Caregiver)

 今週は、19日に、フィリピン人看護師と介護福祉士候補者の受け入れに関して、日本サイドの唯一の仲介機関である「国際厚生事業団-JICWELSによる、フィリピン人応募者の面接、選考がミンダナオ島ダバオを皮切りに始まった。」というニュースがありました。7千人を超える応募者があったようですが、要件を満たした536名から最終的に450名に絞られるそうです。5月の入国予定に向けて着々と準備が進められているようです。
 ちなみに、今私の生活に関わっている看護課程卒(未資格)のジェンさんは、今回の「介護福祉士候補者」の応募には間に合いませんでした。それとは別に、TESDAのケアギヴァー認定審査を、3月7日に受ける予定だそうです。本当は先週14日の予定でしたが、本人の準備不足で3週間伸びたようです。残念…。
 外国からの看護師・介護福祉士候補者受入れは、インドネシアに続いてフィリピンは二か国目となりますが、今回は募集人員の看護師・介護福祉士候補者、ほぼ枠いっぱいの計450名が選ばれる運びとなるでしょうが、一方の日本での受け入れ機関がまだ足りていないようです。
 今、ベトナムとの経済連携協定-JVEPAの中でも「ベトナム人看護師・介護福祉士候補者」の日本受入れが組み込まれていますが、受入れる日本サイドの受容能力-Capacityは大丈夫だろうか?と心配になります。

 また18日には、外国人看護師・介護福祉士候補者受入れと関連するニュースがもう一つありました。
外国人介護職員らの日本語習得を支援する『すみだ日本語教育支援の会』が、介護福祉士の外国人向け試験問題では、漢字にふり仮名をつけたり、『右下肢』など難しい専門用語を『右足』と置き換えたりするなどの対策を講じるよう厚生労働省に要請した。」とのことです。これは、日本人と結婚するなどして永住権を得た外国人で、介護施設等に就職した後、より高く安定した収入が見込める介護福祉士の資格を目指す際、ネックとなる漢字や専門用語への配慮を要望したものですが、当然、外国からの候補者にも適応できるだろうと思います。
 
そうした、日本語教育を支援する団体、今現在インドネシア人研修者を受け入れている介護施設等、「現場」からの声にこそ真実味があるような気がします。

<写真> 白いハイビスカス(ダバオにて撮影)

・・・余談ですが、介護者によると、14日の記事のブーゲンビリアは白とピンクの花(葉っぱ)が混じっているので、「Mr. & Mrs. Bougainvillea」(ミスター&ミセス…)と呼ぶそうです。バレンタインにはピッタリだったようです(^^/)。


フィリピンのバレンタイン・デー St. Valentine's Day

2009-02-14 11:58:02 | フィリピン-バギオ

(写真)白とピンクの花(葉っぱ)が混じっている「Mr. & Mrs. Bougainvillea」(ミスター&ミセス・ブーゲンビリア)

 日本では、バレンタイン・デーに女性から男性にチョコレートを贈ることが多いですが、ホワイト・デーの男性からのお返しも含めて、それは日本独自のスタイルのようです。

 男女の愛の誓いの日とされるそのバレンタイン・デーの起源は、ローマ帝国時代にまでさかのぼるとのことです。クラウディウス2世という皇帝が、兵士の士気の低下を理由に、兵士の婚姻を禁止しましたが、キリスト教司祭バレンタインは秘密で兵士を結婚させました。そのことが皇帝に知られて捕えられ、処刑されたのが269年の2月14日だったことに起因して、後にSt.Valentine’s Dayとなったということです。

 フィリピンでも、花やケーキにチョコレート、カード(手紙)が贈られたりしますが、それはもっぱら「男性から女性へ」で、ホワイト・デーはありません。花はやはり赤いバラが多く、バラの値段も跳ね上がります。また、この日に赤いTシャツや洋服を着て一人でいる人は「パートナー(恋人)募集中」というサインだそうです(^^)。
 私は、この日、いつもお世話になっている介護者や親しい友人等にもチョコやケーキにTシャツなどのギフトを贈ったりしますが、今年は外出がままならず、お金を渡して好きなものを買ってもらうことにしました。
「日本では、この日は女性から男性にチョコレートでアプローチする…。」とフィリピンの人に言うと、男性は「それはいい!」と言い、女性も「ただ待ってるのより、意中の人に想いを伝えられるのはベター…。」と言ったりします。フィリピンでは、「女性が男性に思いを告げるなんて…」(恥ずかしくてできない)という女性が多い(多かった?)ようです。

<写真> 白とピンクが混じったブーゲンビリア-Bougainvilleaの花
        (お気に入りの一枚)
       10年前、マニラに来て初めて借りた家の垣根にこの花が…。


   
 このブーゲンビリアの「花」は、真ん中の3つの小さな白い花で、白やピンクなど花びらのように見えるのは、花を取り囲んでいる、色づいた「葉っぱ」です。


Oh!オーガニック野菜!!

2009-02-12 12:38:05 | フィリピン-バギオ

 先日、バギオ在住のソノコさん宅で昼食をごちそうになったのですが、その時いただいたコロッケやトン汁、ホウレン草のおひたしにサラダ…のおいしいこと!そして、ソノコさんは、「Latop」というオーガニックの無農薬・有機野菜(Organic vegetable)の直売店を教えてくれたのでした。(写真)
 毎週水・土曜日の朝に開店するそのお店へ、昨日、介護者に行ってもらい、何種類かの野菜を仕入れて来てもらいました。欧米人の客もいたというそのお店に着いたのは9時半頃で、お目当ての野菜は売り切れたものもあり、評判も良いようです。そのグループの野菜作りを指導されているのはフィリピン人の方だそうですが、一度農園を見学してみたいものです。

 ダバオ時代、時々鍼(はり)治療をしてもらっていたベジタリアンのフィリピン人の友人が、時々長さ30cmほどのふっといバナナ(一度では食べきれないほどの)を持って来てくれましたが、それもオーガニックで、近年日本人の指導のもとで規模が大きくなってきたと言っていたのを思い出しました。食の安全性が世界中で問われる中、ブームですね。

 今日は、そのオーガニック野菜でクリームシチューを作ってみました。シチューのルウは、先日マニラのマキさんからいただいたものです。バギオでも、SM City Bagiuoという2年前にできたSM(Shoe Mart)チェーンのバギオ店のスーパーマーケットで多少は手に入りますが、やはりマニラの日本食材店にはかないません。七味唐辛子やラー油、鰹節や麻婆豆腐の素etcと一緒に…。私は、ちょうどシーズンのイチゴや高原野菜等をお返しに…。
 久しぶりに口にするたっぷりの野菜とチキンのクリームシチュー、皆さんのおかげでとても美味しくいただきました。

 

 少し早目の、13日の金曜日の翌日のバレンタインデー・メニューで、Double dutch chocolateのケーキも…(^^)。

 

 手前に撮影用においたのは、こちらのホウレン草とチェリートマトです。ホウレン草は日本の大きな葉っぱのものと比べると小ぶりですが、バギオでは、他とは違い、いつでもホウレン草が手に入ります。ちょうど、ダバオでマグロのかたまり(kg単位で)がどこででも手に入ったように…。ちなみに、マニラにいた頃は、しかるべき所へ探しに行かないとホウレン草もマグロも手に入りませんでした。このバナナはオーガニックではありません(十数本で約80円)。

 フィリピンで生活していてたまらなく恋しくなるのはやはり日本の味。ソノコさん宅でいただいたおにぎり、湿らないようにと別に用意されてあった焼き海苔を巻いてガブっ!!「ああ、おにぎりや おにぎりや」(^^)。手作りの納豆までいただきました。サラマッポ!

 ダバオ時代も、友人から「こっちにないものは作る!」と、アジの干物や佃煮etc.をいただいたことがありました。作り方を教わった紅ショウガ等、今でも重宝しています。

 それでも、ないものはない、作れないものは諦めるしかありません。それも、日本へ帰る楽しみの一つとしてとっておくのです(^^;)。


障害者自立支援法改正へ

2009-02-11 15:51:08 | フィリピン-障がい者の「自立生活」

 3年前、障害者を支援する法律が「支援費制度」から「自立支援法」に変わり、2006年4月より施行されました。これによって、障害者が介護や福祉のサービスを受ける際、そのかかった費用の1割を障害者本人が負担することとなったのですが、それが見直されることになったというニュースが今朝流れました。昨日10日、与党の障害者自立支援に関するプロジェクトチームの実務者会議で、障害者の自己負担額は、所得や家計の負担能力に応じて定められる「応能負担」に改めることで合意され、来年度中にも実施される見込みです。

 私は、日本に滞在中は、市の在宅支援サービスを受け、介護福祉士やヘルパーさんのお世話になります。福祉の道を選ばれた方々だけに、心あたたかい、また日本人らしい気くばりのあるきめ細やかなケアを感じることができます。しかし、要介護者が必要とし、介護者も「してあげたい…」と思うことの多くが日本の福祉の現場では規制されているという一面もあります。
「医療行為」に該当するケアは当然受けられず、また全国規模でヘルパー派遣事業を展開する大きな会社・事業所ほど、きめ細かいマニュアルが作られていて、そこに記されていない範ちゅうのケアや依頼事については、「これって、やってもいいのかしら?」と、要介護者を前にして、その場にいるヘルパーさんが悩む、判断しかねる、といった場面が浮かびます。
 
確かに、免許や資格等によって介護の内容を制限したり、他のヘルパー派遣事業所との整合性、またヘルパー間のサービス内容の公平さを保つために、一定のルールを設けたりすることも必要なことは理解できます。しかし、管理や規制も、度を過ぎると、実際に福祉の現場で介護に当たる人たちの主体性が損なわれて行きかねないような気がします。

 フィリピンでの私の生活に関わってくれている専従介護者には、雇用関係の上でケアを受けているわけですが、そこに日本の制度の中にあるような制約はありません。お互いの了解なり合意なりがあれば、私が必要とするケアのほとんどは、自然な形で提供してもらえます。
 
例えば、今私を悩ませ、ベッドに縛りつけている厄介な「床ずれ」の治療も、毎日洗浄とガーゼ交換が必要ですが、日本では当然のことのように医療行為で禁じられています。
 
それに、自治体ごとに大きな開きのある「ヘルパー派遣時間数」ですが、金沢市では「最大で一日6時間」ですから、それ以外の18時間は自分でどうにかするか、一人で過ごすしかなくなるわけです。

 そんなことを思うと、仮に今、日本へ帰ったとしても、これまでフィリピンで10年間やってきたような私の生活は一瞬にして崩れ去ってしまうのでしょう。

<写真> ハイビスカス-Gumamela(きれいに撮れてるネ…。)


Nissin ラーメン バギオ風?

2009-02-07 11:20:03 | フィリピン-バギオ

  フィリピンにも、マニラ南部のラグーナ州という所に多くの日本企業の工場がありますが、日清食品もその一つです。

 カップヌードル(1個約30円)もありますが、私がよく買って食べるのは「Chicken Classic Flavor」(昔ながらのチキン味?)という袋のインスタントラーメンです。写真は、先日スーパーで買った1箱72袋入りの、そのラーメンです。ちなみに1袋約13円、1箱で900円余りです。ボリゥムはやや少なめですが、これが介護者のおやつ代わりにもなって、なかなか好評です。
 そして、私の周囲では、ラーメンの麺をわざわざくだいて作り、スプーンで食べる人もいましたが、スーパーで袋のラーメンを買うとよく、すでに麺がくだけていたりします。きっと陳列の際に、ギュッと押し込むのでくだけるのでしょう(笑)。それで「箱ごと」買うのです。
 これに、バギオのいろいろな野菜を炒めて乗っけたり、溶き卵を落としたりして食べるとけっこうイケます。料理好きなマリアさん(介護者の一人)には、時々焼き豚を作ってもらい、立派な(?)チャーシューメンが出来上がります。

   

 いろんな野菜や卵…をトッピングして麺類を食べるのは、こちらの人にとってはかなり驚きのようです。マリアさんは、前回実家で、家族にいろんな○○ラーメンを作ろうとすると、「何をするのか?」と驚かれた後、食べてもらうと納得されたようです。
 ここバギオの新鮮な野菜を炒めてトッピングするバギオ風ラーメンは、野菜をあまり食べないフィリピンの人にも良いと思うのですが…。

「子供たちも寄ってきて、『どうしたの?』とタガログ語で声をかけてくる。『事故でここをケガしたんだよ。』と首の辺りを示し、めずらしそうに電動車椅子に見入る子供たちの前で動いて見せる。『Ang Galen!』(ワー、すごーい!)と、初めはごわごわとしていた子供たちの表情が和らいだ。そうやって仲良くなった子供たちには『Isshin』(イッシン)と呼んでもらうことにした。Nissin(日清食品)はフィリピンでも有名なので、『僕は、ニッシンの弟で、イッシンっていうんだよ。』と言うと、すぐに名前を覚えてもらえた。イッシンは中学校以来の私のニックネームだが、それがフィリピンでこんなふうに使えるとは・・・。もちろん、後でそれが冗談であることも伝えた。近所のフィリピン人や子供たちとの、そうした何気ない、ごく自然なふれあいや交流がとても楽しかった。」

(拙著『アイ!サラマッポ~フィリピン人介護者と生きて~』上巻より抜粋)


『スーパーマン』-クリストファー・リーヴ

2009-02-06 11:55:03 | せいずい損傷

「私の姿を見て、『見ろよ。クリストファー・リーヴみたいだ・・・。』と言う声もたまに耳に入った。
 
クリストファー・リーヴ(Christopher Reeve)は、映画『スーパーマン』(Superman)の元主演男優で、九六年五月、乗馬中にハードルを越えようとした際に落馬して頸髄(C2)を傷めた。奇跡的に命は救われたが、四肢麻痺の体となり、以後二〇〇四年一〇月に亡くなるまで呼吸器をつけながら生きた。『頸髄損傷』(High Cervical Spinal Cord Injury)という名称を世界に知らしめた人であったろう。まだまだ未知の部分が多いせきずい損傷の分野の研究推進基金を設立し、自らその神経の回復の可能性を追い求めた人であった。受傷前は映画の中で、そして受傷して以降も、人々に勇気と希望を与え続けたクリストファーは、フィリピンにおいても有名だった。『クリストファーみたいだ・・・。』と言われるのは、自分がスーパーマンになったようで悪い気がしなかった。

(拙著『アイ!サラマッポ~フィリピン人介護者と生きて~』下巻より抜粋)