アイ!サラマッポ in バギオ

フィリピン人介護者のケアを受けながらの、フィリピンでのインディペンデント・リヴィング…、心の赴くまま、ここに記します。

「アイ!サラマッポ in バギオ」(最終号)

2009-09-04 21:23:45 | フィリピン-障がい者の「自立生活」

<写真> マニラ湾の夕日 in 1996
 拝啓
 私事で恐縮ですが、バギオ市100年祭の記念行事も終わり、明日の朝バギオを発って、来週マニラ経由で日本に帰る予定です。
 
が、ここへきて日本での新型インフルエンザの状況が大変気がかりです。上位頸髄損傷(C4)の私は、肺活量が1,400C.C.しかないのですが、このたちの悪い新型ウイルスは、肺にまで侵入して肺炎を併発する恐れがあるのがこれまでとは違う特徴だそうです。
 
数日前に、厚労省が発表した試算によると、今年中に「2,555万人」が、つまり日本国民全体の5人に1人が感染する可能性も…。ピーク時になるだろう9月下旬から10月上旬にかけては、一日で最大約7万6千人の感染者が出るだろうと予想しています。まさに一大事です。
 また、日本がこういった状況の中、日本同行に関して、介護者に対してもこちらから無理を言えるはずもありません。まだ、介護者のビザには半月ほど猶予があり、もうしばらく状況を見た上で最終判断することになるかもしれません…。
 
皆さんも、くれぐれもお気をつけ下さい。

 さて、昨年11月に開設したこのブログ『アイ!サラマッポ in バギオ』ですが、今日で一旦筆を(割り箸)をおくことにします。書いた記事の数は「165」でした。初トライのブログ…、今日まで308日間、ありがとうございました。
「Ay! Salamat po! - アイ!サラマッポ!」(感謝)

♪信じられぬと嘆くよりも 人を信じて傷つく方がいい
 求めないで優しさなんか 臆病者の言いわけだから…
 さよならだけではさびしすぎるから 愛するあなたへ「サラマッポ!」(海援隊『贈る言葉』)


 お別れに、私が選んだ3曲です。↓

 http://www.youtube.com/watch?v=Ctwpiq7Zz08
(うたぽすと『Gooddbye Fellows』…駆け出しの二人です。応援して下さいね。)
 http://www.youtube.com/watch?v=qSw05db92BI
(河島英五『時代おくれ』…故河島英五さんが37歳の時のピアノの弾き語りです。)

 http://www.youtube.com/watch?v=zKJY6tn-iuo&feature=related
(吉田拓郎『また逢おうぜ あばよ』@つま恋
in 1985…85年つま恋コンサートのラスト・ソング。あの拓郎さんが泣いていたそうです。秘密ですが…。)

 では、また、どこかでお会いしましょう!See you!
(ナーンチャッテ、またここに戻ってきたりして…^^;)
 皆様、どうぞお元気で!               敬具

 
               2009年9月4日 いっしん


バギオ市100周年特集-9月3日が「フィリピン日本友好の日」(バギオ)に…。

2009-09-03 21:03:55 | フィリピン-バギオ

 一昨日9月1日の「バギオ市100周年記念日」の朝は、すっきりと晴れわたり、青空の下、祝賀パレードが8時少し前にスタート。100本のフィリピン国旗と100本の100年祭フラッグを先頭に、バギオ市の各バランガイ(自治体)、各団体や学校が次々に行進しました。が、やはりこの土地独特の山岳民族「イゴロット-Igorots」(コーディリエラン-Cordilleran)の衣装に音楽、ダンスがひと際目を引きました。大きな山車もいくつか出て、花園バギオをアピールしていました。日系人・日本人コミュニティは、浴衣等を身に着けて39番目に登場しました。
 
雨季の最中ということもあり、沿道の観客は、2月末のフラワーフェスティバルのパレードと比べても、思ったより少ないようでした。
 
(バギオ市100周年祝賀パレード-1日朝のテレビ中継)
 9月1日は「The Baguio Day」(市祭)で、パレードは毎年あります。

 そして、今日9月3日。64年前に、旧日本軍フィリピン総司令官山下奉文陸軍大将が、ここバギオ市で「降伏文書」に署名した日です。これまで「山下将軍降伏の日」と呼ばれ、事実上フィリピンにおける対日戦勝の日である訳ですが、今年のバギオ市100年祭を契機に、その名称が「比日友好の日」(バギオ)と改められることになるそうです。
 そんな意義深い日に、バギオ・コンベンション・センターで、『ケノン・ロード』(演劇・ミュージカル)が公演されました。その副題にも「世界平和と調和への道」とあるように、国や人種の違いを認め合い、共存を模索する中で、バギオ市がより繁栄し、より平和な共生社会へ向かっていくように、との願いが込められて企画されたものでした。忌わしい過去を乗り越えて…。
 会場は劇場ではありませんから、音響から照明の舞台作り、セッティングetc.に、スタッフの方々はさぞ苦労されたことでしょう。バギオ市の大学生、市民も加わっての、3ステージにわたる熱演でした。日比国際平和演劇祭実行委員会(JAPITAC)の皆様、お疲れ様でした。
 また、この演劇祭を通して知り合ったという、日本人の男優と劇に参加したバギオの女性が、めでたく結婚する運びとなったことも劇の最後に発表され、驚きました。(劇のシナリオではなく、本当なのですよね…。)「9月3日」の象徴的な出来事でした。お幸せに!

(関連記事)
 9月3日が「フィリピン・日本友好の日」(in バギオ)に! (7月24日)

 戦争の記憶と心の傷跡-フィリピンにおける太平洋戦争 (3月29日)

 

※ このブログのカテゴリー「バギオ」の記事も今日で「101」…バギオの未来がより明るく豊かなものとなることを祈ります。

 

 
(いつもながら、たくましいイゴロット族・Igorotsの、ふんどしのようなバハッグ姿の男子学生。)

  
(祝日でにぎわいを見せる憩いの場「バーンハム公園」で、ジェンさん、マリアさんと…。奥にホセ・リサール公園、その向こうにバギオ市庁舎-1日お昼過ぎ)
 
 
(公園の真ん中にあるバーンハム池-この直後、大粒の雨が…。)

 
(夜のバギオ市100周年祝賀パーティーで挨拶するバウティスタ市長-1日夜@バギオ・カントリー)
 予定では、7時半に始まるはずのフルコースのディナー…。(わずか)30分遅れで始まったものの10時を過ぎても終わらず…。いつも食べ慣れないもの?を口にしたせいか、途中で私のお腹が痛み出し…。デザートと、遅れて一緒に出てきたメイン・ディッシュを介護者が食べ終わってすぐに家路へと…。

 
お腹をこわしてしまった私は、昨日は家でのんびり過ごしました。そして、介護者の二人が近くでまたワラビをゲッツ!ここグリーン・バレーで初めてワラビを見つけて以来、ここ半年間ずっと…!(不思議…。)
 
(9月に入っても見事なワラビ-蕨が!新聞の広告もセンテニアル…。)


(追記・2011年8月)

この記事内の、山下奉文将軍がバギオで降伏文書に署名した「9月3日」(1945)を、2009年のバギオ市制100年祭を契機に、バギオにおける『比日友好の日(Filipino - Japanese Friendship Day)』に…、という話でしたが、その後いろいろな経緯で、バギオ市においても『日比友好の日・7月3日』に落ち着いようです。

 

バギオ市100周年おめでとう!Happy Centennial of Baguio City!

2009-09-01 00:00:00 | フィリピン-バギオ

Happy 100th Anniversary (Centennial) of Baguio City!

祝バギオ市制100周年!おめでとうございます!

 今日は、朝8時からお祝いのパレード(The Centennial Parade of Baguio City)が街中のメイン・ストリートを凱旋します。コンベンション・センターを出発、セッション・ロードを通りアスレチック・ボールまで。
 大変な人出、混雑が予想され、私は家で、テレビの中継でパレードを見ることにしました。

 http://www.youtube.com/watch?v=7X_mga5iWH4&hl=ja
(写真で見るバギオ市100年の歴史…これはすごい!)

 
(バギオ市眺望-8月28日ショッピング・モールSMバギオ3階より)
 私の大好きなスポットの一つです。

 今夜は、由緒あるバギオ・カントリー・クラブでのお祝いディナー・パーティに出席させていただきます。

※ このブログ「アイ!サラマッポ in バギオ」のカテゴリー「バギオ」の記事も、無事に100号達成です。
「サラマッポ!」