アイ!サラマッポ in バギオ

フィリピン人介護者のケアを受けながらの、フィリピンでのインディペンデント・リヴィング…、心の赴くまま、ここに記します。

人と人とをつなげる「音楽の力」

2009-04-29 11:08:31 | 音楽

 日本は今日からゴールデン・ウィークですね。フィリピンは二週間前にホーリー・ウィークが終わったばかり…。今の時期にあるのは5月1日のMay Day(メーデー)くらいです。が、この日本のGW期間には、例年たくさんのオジサマ方がフィリピンを訪れます。

 さて、そんなことはさておき、先週、日本からCDとDVDが届きました。「うたぽすと」が贈ってくれたものです。もちろん、彼らのオリジナル曲が入っており、ここしばらく、その音楽に浸っていました。『Goodbye fellows』や『Rain』など、英語の歌詞の曲は、ウチの専従介護者二人も一緒に歌ってくれています。音楽に国境はありませんね…。

 http://www.youtube.com/watch?v=HkNZUvDqR-o&feature=channel
YouTube うたぽすと『Rain-雨に唄えば』(日本語ヴァージョン)

 ダバオ在住の、いつも親しくさせていただいている友人「GINTE2」のダバシューさんも、先月、日本に一時帰国された際に「うたぽすと」に会っていろいろとアドバイスを下さいました。今は、ダバオでGINTE2の三枚目となるアルバム制作に取り組まれていますが、日本滞在中には及川恒平さんとペーパーランドのライヴも持たれました。

 そして、その及川恒平さん、小室等大御所、こむろゆいさんと「おけいさん」こと四角佳子さんの「六文銭’09」のアルバム『おとのば』は、つい一週間前にフォーライフから発売されたばかりです。↓

 http://www.forlife.co.jp/rokumonsen09/index.html

「おけいさん」の「猫」さんとの金沢でのライヴも、いよいよ明後日(5月1日)です!

 さらに、私がフィリピンに来た当初から十年来の古い友人で、フォークシンガーの「ジェス・サンティアゴ-Jess Santiago」さんは、小室等さんが今から20年以上も前に日本で開催された「アジアフォークソング音楽祭」に、フィリピンから唯一招待されたシンガーだった、という不思議なご縁もありました。

 もっと驚いたのは、東京多摩市で私の自立生活に関わってくれ、以来十数年、ずっと親交のある友人「サトシ」が、何とその「アジアフォークソング音楽祭」のお手伝いをしていたと知った時…!そして彼は「ジェス」のことも覚えていたのでした。

 音楽によってつながっていく人の輪…。
そしてその輪の中にいる人たちを心豊かにさせてくれる音楽の力…。
心地よいものは心地よいのです。

 音楽こそが、自身の哲学的概念「意志-Will」を表象する最も近い形であり、きわめて重要な芸術だと絶賛した哲学者「ショーペンハウアー」は、二十歳の時の著書『意志と表象としての世界』第五十二節「音楽について」の中で、次のように書いています。
「音楽は、他のあらゆる芸術とは異なる別格のものである。音楽は、世界に存在している何らかのイデアの模倣や再現とは認められない。それでも音楽は偉大できわめて見事な芸術であり、人間の奥深いところに(直接)力強く働きかける。そして音楽は、普遍言語として、実に現象界自体の明瞭さをも超越するかのように、全面的にまた奥深く解釈されるのである。」

「イデア」…
「あらゆる現象は見せかけの夢幻的存在でしかなく、イデアのみが本質的なのである。永遠の形相たるイデアを認識するには、人は個体であることをやめ、ただひたすら直観し、意志を脱した純粋な認識主観であらねばならない。イデアを認識する方法は芸術であり、天才の業である。…」

 
(ギリシア神話「デュオニュソス神」-陶酔、音楽…を司る)


マニラ湾のサンセットとバンブーオルガン…半年ぶりのマニラで。

2009-04-23 10:16:38 | フィリピン-マニラ

 先週末、大切な私用があり、半年ぶりにマニラへ行ってきました。

 が、サマーシーズン(盛夏)最中のマニラは、やはり暑かった…。週末にも関わらず、マカティ市に向かうエドサ大通りの渋滞には辟易しました。無事に約束を終えて、午後8時頃ホテルに入った時は、39度近い体温でしたが、これは体温調節が利きにくい頸椎損傷者特有の症状で、エアコンをかけてタオルで冷やしてもらうとすぐに平熱に戻りました。でも、やっぱりマニラの暑さは、自分の体には厳しいものであることを実感しました。標高1,500mのバギオから下りて行ったので、なおさらそう感じたのでしょう。

<写真> アロハ・ホテルから望むマニラ湾の夕日

 日曜日は、マカティ市での用事の前に、約1年ぶりにラス・ピニャス市のバンブーオルガン教会に立ち寄りました。幸いなことに、ちょうど日曜日の礼拝の最中で、またオルガニストもいて、そのバンブーオルガン(竹製のパイプオルガン)の柔らかで厳かな音が、教会内に響き渡っていました。

 

 http://blog.goo.ne.jp/isshin3_ph/d/20081207

(バンブーオルガン教会の、以前の記事)

  
(ミサが終わった時の教壇、教会内の様子です。)

   

(そして、今回、3階から撮影できたバンブーオルガンです。写真右下に見えるバンブーオルガンは2階にあります。)

 http://www.youtube.com/watch?v=uv2y_goeYxE&NR=1

(バンブーオルガンの柔らかな音色)


フィリピン人看護師・介護福祉士候補者が日本へ

2009-04-17 10:24:51 | フィリピン人看護師・介護士(Caregiver)

 今朝のまにら新聞の記事によると、「日比間の経済連携協定(EPA)に基づくフィリピン人看護師・介護福祉士候補者の日本派遣に関し、フィリピン側送り出し機関となる労働雇用省海外雇用局(POEA)は16日、日本の医療施設との調整を経て絞り込まれた看護師・介護福祉士候補者の派遣人数が計298人で、5月10日に日本へ出発する予定だと明らかにした。」そうです。

  やはり、日本サイドの受入れ機関、施設等が、当初の予定よりかなり減っているのでしょう…。


外国人看護師・介護士の受入れの前途は…。

2009-04-16 16:21:37 | フィリピン人看護師・介護士(Caregiver)

 今朝のNHKニュース「おはよう日本」によると、今年度のインドネシア人看護師と介護福祉士候補者の受入れ希望機関、施設が当初の予想より大幅に減少し、現在までに受入れ可能人数は260人程度だそうです。EPA(経済連携協定)の合意では、「2年間で1千人受入れる」ということでしたから、日本国内で唯一の仲介機関「国際厚生事業団」は、昨年8月に来日した208人に続いて、今回は約790人を選抜する予定だったそうです。…が、現実的にかなり厳しい数字となりつつあるようです。

 日本の特養老人ホームなどで、インドネシア人介護士を受入れるのに逆風が吹き始めた背景には、日本語教育等にかかる経費などのほか、やはり現場ですぐに介護に当たってもらう上で、いろいろな困難や問題点が見えてきたから、ということもきっとあるのでしょう。
 しかし、予想されたこととはいえ、やはり、昨年の世界的金融危機のあおりで職を失った非正規労働者や派遣社員、そして正社員だった人たちで、介護職に就くことを選んだ人たちが増えたという状況の変化が大きく影響しているようです。これは、自分自身の経験から感じることですが、介護に関しては、たとえ自国で介護(ケアギヴァー)の課程を終えてはいるが、社会通念や習慣、言葉の壁がある外国人よりも、たとえ介護の経験がなくとも、やる気さえあればそうした求職中の日本人の方が、よりスムーズに現場に入っていけるように思います。

 その一方で、ではEPAによる国と国との合意事項はどうなるのだろう、という懸念は誰しもが持つことでしょう。相手国に、今の日本の経済事情を分かってもらい、受入れ人数を減らすのでしょうか?そして、景気が上向きになり、また介護の人手が足りなくなった時、「介護士が必要ですから日本に来てください。」と言えるのでしょうか?

 フィリピンからも、すでに選抜された4百数十人の看護師と介護福祉士候補生が、もう2週間もすれば日本に派遣されます。私が、こちらの新聞で「FTA(貿易自由協定)による、その看護と介護の人材受入れ」の記事を初めて見たのは2003年の初めでした。少なくともそれから6年間!その間ずっと協議を重ね、様々な課題を乗り越えて合意に至り、ようやくこぎつけた感のあるフィリピン人看護師と介護士(ケアギヴァー)の受入れ…。一体この先、どうなっていくのか、不安を感じます。でも、日本国内の今の事情を考えると、その「2年間で1千人」という外国人受入れの人数枠も、減らさざるを得ないのか、と複雑な思いです。

 カリフォルニア州ロサンゼルス市は、深刻な財政危機により、教育予算を大幅に削減、近々5千人!の教職員を解雇するそうです。本当に、大変な事態です。


久しぶりのSM(Shoe Mart)バギオで…。

2009-04-14 15:51:55 | フィリピン-バギオ

 12日のイースター・サンデー(復活祭)も終わり、昨日からフィリピン全体が平常の生活に戻りました。

 私用もあって、昨日はみんなで外出。私自身は、本当に久しぶりに、約3か月ぶりにSM(ショッピングモール)へ行き、買い物と散髪をしてきました。写真は、以前にも紹介したその3階からの眺めです。来来軒で食事をし、ちょっと、いつも使っている無線モデムSmart Broのシグナルをチェックすると最大で「300400kbph」!動画もスムーズに見ることができました。やはりシグナルの状態が良ければ、なかなかの優れものです。
 そして、もう一つ発見したのはS&Bの「ねりからし」(チューブ・約150円)。ねりわさびはいつも売っていましたが…。この喜びは、日本国外に住む人なら分かるはず…。ラッキー!

 

 そして、SMへ行ったのは、北ルソン日本人会(JANL)の賛助会員で、戦前のバギオ生まれでフォトグラファーの古屋英之助さんの個展も見たかったからです。バギオ市制100周年の今年、バギオ市内で見かける「1」から「100」までの番号をモチーフにした写真+「101」の番号(未来への扉)の写真が最後に一枚…。その百数十枚の写真に、バギオ市の長い歴史(発展と苦難の…)を感じました。↓

 http://janl.exblog.jp/8150892/

 SMバギオに行く前に、新聞で知った、市内の借家を見に行きました。勾配の多いバギオの、多くの家の造りは、私が電動車椅子で生活するにはかなり厳しいものがあります。新聞広告の借家は、入口までの階段が急で2階建て、一見して無理だと思いました。が、そこには他にもビレッジやサブディビジョンなど住宅地があり、何件も借家や売り家がありました。中で、多少古めで2階建てですが、こう配のため、上の階も下の階もスムーズに入れそうな家を見つけたのです。門の「House for Rent(借家)の看板にあった携帯電話にかけると、大家さんは、夕方家の中を見せてくれるというのです。「何人で住むか?」と聞かれ、「3人」と答えたら「月の家賃が五千ペソ(約1万1千円)」と言われ、これは安い!と夕方5時に会う約束をしました。ところが、その時刻にその借家に戻って、携帯で連絡を取りながらしばらく待ちましたが、結局会えず仕舞い…。その後、携帯に電話があり「1万5千ペソだと…。」3倍になった訳ですが、どうも一人頭「5千ペソ」ということのようでした。ちょっとがっかり…。
 ただ、その辺り一帯には、例の「わらび(日本と同じ)」がたくさん生えていたのです。もう葉が大きくなっているのもありましたが、中には数十センチもある立派な食べ頃のわらびもあり、介護者二人に運転手も夢中になって採ってくれました。友人のMさんご夫妻にもおすそ分け…「エーッ、どこで見つけたの?」と感激されました。 

 そして、そこでまた「グアバ・Guava」の可憐な花を見つけました。小さな実も付いています。このグアバの葉っぱを煮沸した煮汁は、切り傷等によく効きます。
 

 私も、ロウコウ(床ずれ)の状態を見ながら、このグアバの葉の煮汁で消毒、そして熟したココヤシの実の中の、白い果肉を削って傷口に当てたりしています。昔、高校の「生物」で「浸透圧により細胞が…」といったようなことを習った記憶がよみがえり、「理にかなっているかも…。」とも思えます。
 

 おかげ様で、傷の状態も徐々に良くなってきています。

 今週末は、半年ぶりにマニラへ出かけてくる予定です。


バタアン・死の行進-Bataan Death March

2009-04-09 13:02:15 | フィリピン-バギオ

 今日4月9日は聖木曜日、明日の聖金曜日(Good Friday・受難日)とともに祝日で、12日の復活祭(イースター・Easter Sunday)まで4連休です。ここグリーン・バレーも、昨日あたりから急に人が増え、にぎやかになってきました。今日から4日間、すぐ近くのクラブ・ハウスでもミサが捧げられます。

 そして、今日はまた「Araw ng Kagitingan-勇者の日」という祝日でもあります。今年は、たまたま祝日が重なり、大統領令により「勇者の日」の祝日は、6日(月)に振り替えられました。
 実は、この「祝日」は、日本ととても深いつながりがあります。今から67年前の1942年4月9日、太平洋戦争中、旧日本軍がルソン島中部のバタアン半島のコレヒドール要塞を占領、そこに立てこもっていたアメリカ・フィリピン軍部隊(当初はマッカーサーが指揮)が、旧日本軍に降伏しました。その直後から始まった「死の行進-Death March」(Martsa ng Kamatayan sa Bataanと呼ばれる捕虜の過酷な条件下での移動中、多くの儀歳者が出たのです。当初は、トラックで捕虜を移送するでしたが、計画がうまく行かず、予想を超える7万6千人(8万6千人とも)もの米比軍の捕虜を移送するのに、半数以上の捕虜がのべ88kmもの道のりを、真夏の酷暑の中、徒歩で移動するしかなかったのでした。そして、約7千~1万人もの捕虜・兵士が、マラリヤやデング熱、赤痢などの病気、飢えや疲労…のために移動中に命を落とし、その後も多くの死者を出したと言われます。

 
 
この出来事は「バタアン・デー」(Bataan Day)、戦争の悲惨さを象徴するものとして人々の記憶にとどめられていましたが、約20年前に、その時の被害者を含むすべての兵士たちの英雄的な行為を記念する日「勇者の日」として祝日に制定されたとのことです。

<表紙の写真> バタアン・メモリアルの碑


「ご恩送り」-お釈迦様生誕の日に…。

2009-04-08 12:16:55 | 音楽

 今日4月8日は「花祭」…仏教の教祖であるお釈迦様生誕の日とされています。「花祭」と呼ばれるのは、お釈迦様が誕生された時、誕生地であるルンビニー園に花が咲き乱れていたことによるそうです。

 私は、約二十年前に、不慮の事故で頚髄を損傷し、四肢まひの体になってからずっと、親不孝を重ね、家族や周囲の人たちに対しても心配や迷惑ばかりかけてきました。そうしたやりきれない思いをぬぐい切れずに過ごしていた時、ふと「ご恩送り」という言葉に出会いました。そして、その意味を知った時、それまで張りつめていた気持ちが、多少和らいだ気がしたことを覚えています。…

 感謝の言葉を表すのに、よく「おかげ様で…」という言葉が使われます。お陰様の「お陰」とは他人から受ける恩恵や利益を意味し、古くは神仏などの陰でその庇護を受ける意味として使われていました。それは、「御影」が神霊、御霊、さらに亡くなった人の姿を意味することにも通じる、とのことのようです。人から受ける恩恵や利益、そして親切といったものも本当にありがたいものです。「親孝行、したい時に親は無し。」という言葉は本当ですね…。したいと思う時にはもうできない、会いたいと思う時にはもう会えない…不条理な世の中だと思います。
 
しかし、親から受けたご恩を(親に)返したいと思うと、死別した後などそれがかなわない場合などには苦しく感じるのですが、自分が日常生活の中で出会ういろいろな場面で、周囲に対して「ご恩送り」(受けたご恩を周囲に送ること)ができるとすれば、それはそれですばらしいことだと思います。恩返しがしたい…というのは、その相手の善意に応えようとする言わば「1対1」の関係ですが、自分が受けた善意、親切を、周囲の第三者に送ろうという考え方では「1対不特定多数(限定されない)」という関係の上に成り立ち、今からすぐにでも実行に移すことができます。
 
こうした「ご恩送り」の考え方、善意の連鎖やご恩送りの輪が、もっともっと広がっていくといいなあと思います。

 そして、そうした考え方は“Pay it forward”という言葉で外国にもあったのです。
“Pay it forward or paying it forward refers to repaying the good deeds one has received by doing good things for other unrelated people.” 

 http://www.payitforwardfoundation.org/

 私は、ふだん、介護者に愚痴や不平をこぼすことも少なくありません。が、「介護者、親切にしたい、お返しをしたい時には介護者は海外…。」以前の専従介護者への感謝の気持ちを、今の介護者にも「ご恩送り」という考え方で接することを心掛けたいと思っています。


 表紙の写真は「うたぽすと」が送ってくれた、今年の桜の花です。
「幸あれと 陽光こぼれる 桜花」
 音楽の持つ不思議な力によって人の心を癒したり、勇気づけたり…。これもまた、音楽による「ご恩送り」ですね、きっと…。

 うたぽすと

(「うたぽすと」ホームペ-ジ)

 グリコ:うたぽすと 09/02/20@mona records

(うたぽすと『グリコ』のライヴ映像 By YouTube)


フィリピンのホーリー・ウィーク(聖週間)

2009-04-05 16:58:22 | フィリピン-バギオ

  今日からホーリー・ウィーク、キリスト教徒が9割を占めるフィリピンでは、クリスマスに次ぐ大きな年中行事です。
 ホーリー・ウィーク(聖週間・Holy week)は、パッション・ウィーク(Passion week)とも呼ばれますが、ここでの「passion」は「受難」という意味です。このホーリー・ウィークも、キリストの復活祭(イースター・サンデー)が基準にされており、その復活祭までの1週間がそれに当たります。復活祭は、春分の日以降、初めての満月の次にくる日曜日ですから、復活祭の日とホーリー・ウィークは、毎年異なる日となる訳です。
 キリストが十字架に架けられ、午後3時に息を引き取ったのが「13日の金曜日」で、その死後3日目に蘇ったとされるのが「復活祭・Easter Sunday」です。その1週間前に、キリストがエルサレムに入ったので、ホーリー・ウィーク初日の日曜日は「Passion Sunday」(受難の主日)と呼ばれます。その際、歓迎の証として、勝利や喜びを意味する「Palm」(シュロ・ヤシ)の葉を道に敷いたことから「Palm Sunday」(シュロの日曜日)とも言われる日です。

<今年2009年のホーリー・ウィーク>
5日(日)Passion Sunday(受難の主日)キリストがエルサレムに入る。
6日(月)Holy Monday(聖月曜日)神殿に入る。
7日(火)Holy Tuesday(聖火曜日)論争の日。
8日(水)Holy Wednesday(聖水曜日)香油の日。
9日(木)Maundy Thursday(洗足木曜日)最後の晩餐。食事の前に、キリスト自らが12人の弟子たちの足を洗い、模範を示した。
10日(金)Good Friday(グッド・フライデー)十字架に架けられて息を引き取るが、その死を通して救いが万人に与えられた、という意味で「Good…」ということらしい。
11日(土)Black Saturday(ブラック・サタデー)
12日(日)Easter Sunday(復活祭-イースター・サンデー)
(木曜日と金曜日は祝日です。)

 フィリピンでは、このホーリー・ウィークの初日、パーム・サンデーには「Palaspas(パラスパス)」というココヤシの葉で作った飾り物が教会で売られ、家々に祈りを込めて飾られます。
 
 
そして、キリストが息を引き取った金曜日とよく土曜日は肉料理は避け、ギナタアン(タガログ語・Ginataan)という精進料理?を食べる習慣があります。ビサヤ語では、ベニグニット(Benignit)と言われます。(写真)
 

 また、マニラ北部パンパンガ州のサン・フェルナンドでは、志願者が実際に十字架に磔(はりつけ)にされる苦行が、多くの観光客を呼ぶ奇祭として有名です。キリストの受難を疑似体験しようと、生身の人間が、大きな釘を手足に打たれて磔にされるのですよ…。
 

 家々でも、キリストの受難を追体験しようと、受難の詩「パッション」が朗読されたりもします。
 この時期に里帰りする人々は多く、普段にぎやかな首都圏中心部のビジネス街などはひっそりと静まり返ります。

  以下、初めて経験したホーリー・ウィーク(1999年3月末)
「ちょうどキリスト教のホーリー・ウィークに入って、動きが取りにくくなったこともあり、ケソン市へ移ったのは正解だった。介護スケジュールは、シンシアとマリー、二人の介護者で交互に組んだ。(中略)
 ケソン市で、マリーに紹介された安めのホテルへ入り、そこを拠点に一日に二度、朝と夕方の多少涼しい時間帯には外出して借家を探した。四月二日の金曜日、大通りを行く数千人を超える大行列を目にした。何かのストライキでは、と心配する私に、日本語の達者なシンシアが、カトリックの慣習やホーリー・ウィークについて説明してくれた。その行列は、キリストの復活祭の二日前の金曜日、十字架にかけられたキリストの死を悼んで祈りを捧げる行進(プロセッション)で、各地で行われるのだそうだ。プロセッションは、教会を出発した後、決められたコースを一周してまた教会に戻るというので、シンシア、娘と三人で近くの教会へ向かった。キリストや聖母マリアと聖人の肖像が、ちょうど日本のお祭りの山車のように人々に引かれて戻ってきた。美しい花々が捧げられている聖母マリアの聖像の涙を、シンシアが私の持っていた花柄のタオルで拭いてくれた。そのタオルは、もうすっかり色あせてしまったが、八年経った今でも大切に使っている。
 ホーリー・ウィークが明けた五日の月曜日からは、国全体がまた普段どおりの日常生活に戻った。」
拙著『アイ!サラマッポ~フィリピン人介護者と生きて~』上巻より抜粋)


「新緑の風に吹かれておけいさん」…5/1金沢でライヴ!

2009-04-01 20:24:03 | 音楽

「うそーっ!」…いいえ、うそではありません!

 http://www.geocities.jp/usk_1487/schedule.html

(ソロライヴ、「六文銭’2009」として西日本へのライヴツアー、そしてあの「猫」さんとの北陸ライヴツアーのスケジュールです。)

「おけいさん」こと四角佳子さんは、小生にとっては、中学校の時からのあこがれ的存在でした。(ちなみに、小生よりちょっとだけお姉さん…。^^
「おけいさん」は、日本フォーク界の牽引車として、音楽シーンに多大な影響を残したあの「六文銭」のメンバーでした。ずっと昔、小生の出発(たびだち)の日に、親友が歌ってくれた『春の風が吹いていたら』も忘れられません…。そして、近年は「まるで六文銭のように」として、「小室等」さんと「及川恒平」さんともライヴ活動を続けられていましたが、今年から「こむろゆい」さんも加わり、「六文銭’2009」としてライヴ活動中です。豊かな個性と個声の持ち主4人が、どんな素晴らしいハーモニーを聴かせて、魅せてくれるのか、想像しただけでワクワクします。数年前、モーニング娘「阿倍なつみ」さんとの『母と娘のデュエット・ソング』なども話題になりました。
「六文銭’2009」の西の方へのライヴツアーの後が「猫」さんとの金沢・福井ツアー!今日からちょうど1ヶ月後の5月1日、会場は金沢市内の近江町市場隣りの「メロメロポッチ」…ぜひぜひお出かけ下さい。近江町の魚も飛び起きるかも…(^^)。
「猫」さんも、ラジオの深夜放送で何度も流れていた曲を、カセットテープに録音し、よく聞いていたものです。「♪ねえ、君…。何を話してるーの?だからさ 聞き取れないよー…。」の『地下鉄に乗って』、「♪ゆっきでしたー」の『雪』に、『各駅停車』…。ぞくっとします。

 当時は、というより、フォークの人たちは当然のごとくテレビには出ず、ライヴハウスや野外でのコンサートが中心で、まだ中学生だった自分は、遠出してコンサートを見に行く勇気も甲斐性もなく、もっぱらラジオから流れてくるフォークの曲をカセットテープに録音するしかないのでした。でも、むしろそのほうが、純粋に曲を楽しめたのかもしれません。どんな経歴で、どんな容姿なんだろう…などと雑誌で見ながらステージを想像し…。我が家にステレオなるものが入ってからはレコードなるものを、お小遣いで少しずつ買い集め…。当時、シングル盤で5百円くらいだっけ?A面とB面に1曲ずつだったけど、それがとても貴重で、初めてのレコードに針を下ろす瞬間のトキメキは、今も…とは言いませんが、ときめいたのは確かです。LPは、2千円くらいしたよね!?(ちなみに、小生も大の拓郎さんファンです。)
 今は何でもネットですぐに…。どっちがいいのかなあ…?

 さてさて、小生くらいの世代のフォーク好きにとっては、まさに「夢」のようなシーンが金沢でも…。あと1か月で…。
 
しかしながら、大変残念ながら、小生は、今回の金沢ライヴを見に、聴きに行くのは…無理です。そのことを知った約3週間前から、心は揺れっぱなしでしたが、今日、このブログの記事をアップして、きっぱりと「諦めることにします」。

…とはいえ、今日はApril Fool’s Dayやねぇ…(^^;)。
「いやいや、やっぱり無理…」と、自分を慰めることにします…。