アイ!サラマッポ in バギオ

フィリピン人介護者のケアを受けながらの、フィリピンでのインディペンデント・リヴィング…、心の赴くまま、ここに記します。

バギオ市100年祭イヴ-Centennial Eve of Baguio City!

2009-08-31 19:09:09 | フィリピン-バギオ

<写真> マルコス・ハイウェイから望むレンガエン湾(南シナ海)の夕日。
 写真奥の方はパンガシナン州です。(今年1月17日撮影)

 明日は「The Day of Baguio City」、今年は「バギオ市100周年記念の日・The 100th Anniversary of Baguio City」という特別なです。
 明日は、朝早くから、パレードがメイン・ストリートを凱旋します。


(バーンハム公園の花火-今年2月のフラワー・フェスティバル…ネットより)

 先日、ジェンさんがバギオ市に戻ってきてお手伝いをしてくれています。明日からのバギオ市100年祭のイベントを楽しんだ後、一緒にマニラへ行きます。


民主党大勝・圧勝!日本の政治が大きく変わるスタートです!

2009-08-31 12:03:08 | その他

 昨日行われた第45回衆議院選挙で、日本の政治に新たな歴史が刻まれました。「政権交代」を訴えて選挙戦を戦ってきた民主党が、全480議席中「308議席」を獲得し、大勝利を収めました。

 
自由民主党は、わずか119議席にとどまり、1955年の結党以来54年間続いた第1党の座を初めて明け渡す結果となりました。しかし「一つの政党が、これだけの長い期間第1党であり続けた」というその事実も、世界に目を向けてもあまり例のない「日本らしい」政治状況だったのでしょう。自民党の幹部からも、敗因の一つとして、菅選対副委員長の「ぬるま湯」に浸かりすぎたとか、石破農水相の「党内の甘い体質」という発言などからも伺えるように、長期政権の、長く続きすぎた故の末期的症状を、自らも感じられていたようでした。
 「祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
  
娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
  
おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。…
自民党の歴史的大敗…、すぐに思い浮かんだのは『平家物語』(冒頭)の一節でした。

 民主党の鳩山由紀夫代表は、大勢が判明した深夜の記者会見で、まず国民の勇気に感謝の意を表し、国民が今の政治について抱いている「怒り」が、「民主党に対する期待感に結びついた」と発言。今後の政権運営に当たっても「数におごることなく、国民の声が届く政治を目指したい。」と語られました。
 そして、やはり昨日付けで以下『国民のさらなる勝利に向けて』という題目で決意を示されています。↓

 
http://www.dpj.or.jp/news/?num=16941

「本日が、国民のさらなる勝利に向けたたたかいの初日となること、民主党は、そのたたかいでの勝利を目指して、これから険しく長い旅路を歩まなければならないことを胸に刻み、これからの一日一日に全力をつくします。」(鳩山由紀夫氏)

 前回2005年の衆議院選挙から1449日…。民主党の歴史的な大逆転でした。ご健闘をお祈りします!


日本への一時帰国に向けて-ボランティアをして下さる方募集します(金沢で)。

2009-08-28 15:40:51 | フィリピン-障がい者の「自立生活」

<写真> バギオ市100年祭のパレード(9月1日朝)を控えた今日のセッション・ロード…。
 大通りの中央分離帯に100年祭の「のぼり(ちょうちょ)」が見えます。戦前、このメイン・ストリートの半分近くのお店のオーナーは、日本人だったそうです。(午前中、街へ買い物に出たマリアさん撮影)

<下の写真> そのセッション大通りを上りきった所にあるショッピング・モール「SM City Baguio」…。
 私が、車いすで行ける唯一のモールです。ここにもお祝いの横断幕が…。左手前に見えるのは「
FX」と呼ばれる、バギオ市ではポピュラーなタクシーです(ディーゼル車)。料金は、一般的な普通車のタクシー(ガソリン車)と同じとのことです。
 

 8月も残すところわずか3日間!9月1日は、いよいよバギオ市100歳の日です。100年祭実行委員会のホーム・ページ(Calendar & Activitiesをクリックして
下さい。)にも、関連のお祝いイベントがぎっしり書かれています。↓
 http://www.baguiocentennial.com/
(カウント・ダウン…今時点であと3日8時間19分09秒^^;)

 9月3日の日比国際平和演劇祭『ケノン・ロードを共に建設しよう!~ケノン・ロード:世界平和と調和への道~』を、こちらの各マスコミも取り上げているようですが、こちらの最大手のABS-CBNバギオ放送局の「モーニング・ショー」にも、プロデューサーのさせさん、ディレクターの吉田さんや俳優の皆さんも生出演されるそうです(2日の朝)。
 3日のバギオ・コンベンション・センターでの初演、ぜひ多くの人に見ていただきたいものですね。

 
私自身は、この「バギオ市100年祭」一連の行事の後、専従介護者のマリアさんに同行してもらい、マニラ経由で一旦日本に帰国しようと思います。この6年間、よく働いてくれた相棒の電動車いす君のリニュー(更新)もしなければなりません(本当に、よく持ち堪えてくれました^^;…Ay! Salamat po!)。
 帰国に向けて、少しずつ準備をし始めようと思います。
 
日本では、秋の味覚や紅葉(気が早い?)を楽しみ、ゆっくりお風呂に浸かってしばらくのんびりしたいと思います。家族や友人との再会が楽しみです。約1年2か月ぶりの帰省…です。
 
流行の兆しがみられる新型インフルエンザの予防には、十分気をつけたいと思います。
※ このブログも、9月5日以降休止となります。

 
金沢の実家ではインターネットに接続できないので、伝言等がありましたら、このブログの「メッセージ欄」に、来週末9月5日頃までにお願いします。メッセージ欄へのメールは、ブログには反映されませんのでお気軽にお送りください。
 それから、金沢滞在中に、ボランティアで関わっていただける方を、この場を借りて募集いたします。また、パート・タイム(有償ボランティア・1日3時間程度)で関わっていただける方も募集します。経験の有無は問いません。関心のある方は、やはりこのブログの「メッセージ欄」からメールをお送りください。詳細は、メールにて…。(ただし、9月5日までにお願いします。)

 金沢市でも、改定後の障害者自立支援法による在宅介護支援は受けられますが、サービスを受けるためには、毎年、新年度の前(2月)にその申請をしなければならず、年度途中で申請しても認可されるまでに多少時間がかかります。「全身性障害者」へのヘルパー派遣時間は、金沢市では「最大一日6時間」までとなっています。

 
さて、いよいよ明後日30日は衆議院選挙、「政権選択」の重要な選挙…。みなさん、投票に行きましょう!(私は、もう郵便による代理投票をすませました。)


『ケノン・ロード』への道-日比国際平和演劇祭まであと1週間!

2009-08-27 09:03:55 | フィリピン-バギオ

<写真> ケノン・ロード(今年3月末に撮影)

 GAMAL SHIMAN KENNON 「ケノン・ロードを共に建設しよう」

 副題: Kennon Road to Global Peace and Unity

 (ケノン・ロード:世界平和と調和への道)

 - By Japan Philippine International Theater Art Festival Committee -

 http://homepage3.nifty.com/japitac/index.htm(日比国際平和演劇祭実行委員会HP)

 9月3日は、バギオ・コンベンション・センターにて、午後2時からと午後7時からの2回、公演されます。
(オリジナル脚本による初演です。)
  
 (招待状のポスター)

 8月中旬には…、
「Tシャツ」もでき上がり、…↓
 
日比国際平和演劇祭 Tシャツ 出来ました。

「ポスター」もでき上がり…、↓
 
ポスターのデザイン完了 - 日比国際平和演劇祭 9月3日

「チケット」もでき上がり…、↓
 
JAPITAC 日比国際平和演劇祭 三部構成 チケット販売開始  

 
いよいよ一週間後に迫った「日比国際平和演劇祭」(9月3日)、楽しみです。
 プロデューサーのさせたもつさん、ディレクターの吉田智久さん、舞台俳優の皆さん、関係者の方々、お疲れ様です。いよいよ本番ですね。

 
 - 国際平和演劇祭チケット(上)とバギオ・カントリー・クラブのディナー券 -

(以前の関連記事)

 日比国際平和演劇祭(9月3日)まであと100日!…by JAPITAC (5月25日)

 ベンゲット道路(ケノン・ロード) (昨年12月18日)

 バギオ-Baguioとダバオ-Davao (昨年11月26日)


謹啓 山花郁夫先生(東京都第22区)…応援しています!

2009-08-25 09:08:30 | その他

<写真> 5年前の今日8月25日(2004年)、ミンダナオ島ダバオ市を訪問された民主党の前衆議院議員(当選2回)で、故山花貞夫氏のご子息「山花郁夫氏」(調布市)。ご専門は、子ども政策や医療・介護といった社会福祉の分野から、人権、環境問題、地方分権、公務員制度、憲法問題まで多岐にわたっています。
 
向かって右は、日本フィリピンボランティア協会(JPVA)会長の「網代正孝氏」です。
(ダバオ・コンベンション・センターにて「山花郁夫先生歓迎パーティ」)

  
<写真> 故山花貞夫氏と…。1995年11月27日-東京新宿厚生年金会館にて。

 言わずと知れた元日本社会党委員長で、書記長も歴任、1993年の細川護熙(もりひろ)内閣の時、国務大臣の要職を務められました。民主・リベラル勢力の結集にご尽力され、現在の民主党の土台を築かれました。
1999年7月、心不全のため急逝されました。享年63歳。)
 生前、フィリピンのミンダナオ島ダバオ市を、日本の国会議員として初めて訪問され、現地のフィリピン日系人会の視察や、森林保全のための植林もされたと伺っています(日本フィリピンボランティア協会・JPVAの活動)。

 山花郁夫氏は、今回の衆議院選挙で再起をかけて東京都第22区(調布市・三鷹市・稲城市・狛江市)から、民主党公認候補として立候補されます(民主党東京都第22区総支部長)。↓

 http://blog.livedoor.jp/yamahana190/
(山花郁夫先生の活動日誌)

 
鳩山幹事長、山花東京22区総支部長と「国民の生活が第一」の政治実現を訴える(2008/10/11)

「祈当選!圧倒的なご勝利を心からお祈り致しております。」


「義」と「愛」-現代の「天地人」は…。天下分け目の衆議院選まであと一週間!

2009-08-23 11:31:08 | その他

<写真> 「ローカルパーティー東京市民21」(新宿厚生年金会館・19951127日)

 今朝、NHKワールドで衆議院選特集の党首討論『党首に問う』を見ました。千代田放送会館に、現在の日本の9人のリーダーが顔をそろえ、熱い討論が…(中には時代錯誤のおかしな発言をするリーダー?もいましたが…)。衆議院選挙までいよいよあと一週間。NHKが行った最近の世論調査を見ても、その関心の高さが伺われます。
 
8月7~9日NHK世論調査では、「必ず投票に行く」と答えた人が67%、「行くつもり」と答えた人と合わせて90%でした。また「民主中心連立政権」を期待する人が30%だったのに対し「自民中心の連立…」は19%にとどまりました。総理としてふさわしいのは「鳩山氏」32%に対して、「麻生氏」は15%でした。支持する政党も「民主党」が29.0%で「自民党」を3ポイント上回りました。
 その1週間後8月14~16日の同じ世論調査でも結果はほぼ同じでしたが、「必ず投票に行く」が71%、「行くつもり」の20%を加えて91%の人が…(すごい数字)!「(衆選に)関心がある」と答えた人も同じく91%(「非常に…」は51%)でした。かなり高い投票率が期待されます。
 
今回は「政権選択選挙」と言われ、これまでの自公連立政権から、民主党中心の政権に「交代」するかどうか、いわば天下分け目の決戦です。日本のこれから先4年間のかじ取り役を、どちらに委ねるか、という大変大切な選挙です。前回の郵政民営化の是非を問い「小泉劇場」と言われた4年前の選挙では、小選挙区にエントリーされた自民党の候補者が足りなくなるほどで「小泉チルドレン」と呼ばれた新人議員まで当選した自民大勝でした。それが、衆議院の議決優位という憲法の条項に従い、強行採決が繰り返されることになったのでした。
 
今日の討論を見ても、現在の与党側と、野党側の党首の主張には、根本的な考え方、理念の違いがはっきりと表れていました。「まず暮らしをよくして景気を…。」という内需重視の経済政策を主張する民主党などの野党側…「生活再建なくして景気の回復は望めない」と。また、小泉構造改革以降生じた格差を是正し、「弱肉強食から切磋琢磨」の社会へ。税金の無駄使いや天下り人事をなくし、予算編成の際など、官僚中心の政治から、もっと国民の声に耳を傾ける政治へ(立法府がより主導権を取り戻し、「官」から「政」へと正常化されること)という民主党側の主張です。
 民主党代表の鳩山由紀夫氏、以前、私が東京でお会いして以来ずっと一貫して訴えられているのは、
「一人ひとりが大切にされる(個人の)の自立と共生によって成り立つ友愛社会」
です。政治家として…という以前に一人の人間としての「誠実さ」を感じます。
 私は、「どなたを信じられ続けられるか」で判断し、一票を投じたいと思います。

 謹啓 鳩山由紀夫先生 (6月15日の記事)

 「友愛社会」の夜明け (6月16日の記事)

 今年のNHK大河ドラマ『天地人』も、昨年の『篤姫』に続いて大変な人気です。戦国武将ブームにも、この閉塞状況に陥ったかのような現在の日本社会で、風穴を開けてくれる快男児の到来が待ち望まれているかのようです。
『天地人』の主人公「直江兼続」、上杉景勝の参謀として、豊臣秀吉を魅了し、徳川家康に畏怖されたこの戦国武将のことは全く知りませんでした。国利国略を求めて戦(いくさ)が繰り返された戦国時代において、「義」と「愛」を貫き続けた兼続の生き方が、現代の乱世に生きる人たちの共感を呼ぶのでしょう。
 
原作の火坂雅志さんが、ずっと温めてきた歴史小説の大作。今年の新潟県長岡市の花火大会は、47万人の賑わいだったそうです。妻夫木聡さんは「はまり役」ですね。「愛」の兜(かぶと)をかぶり、上杉への忠誠を尽くし「信義」を貫いた理想のリーダー像です!

 http://www9.nhk.or.jp/taiga/story/index.html (今晩のあらすじ)

 今日の『天地人』第34回「さらば、越後」…。兼続は、秀吉の命で出羽米沢に移り30万石を預かる城主となりますが、厳しい財政状況の中でもリストラはせず、財政再建に取り組みます。家臣や領民を見捨てずに行った数々の地域振興策の試みはやがて実を結び、歳入を50万石まで伸ばしたそうです。
 現在の日本では、「義」を捨てて「利」を追求する(利益優先の)あまり、様々な不正や格差を生み、社会的弱者からお金を巻き上げるといった詐欺事件も横行しています。地獄に落ちなくても、現世で十分地獄絵が見られるかのようなすさんだ世の中です。こんな世の中にだれがしたのでしょう?

『天地人』も関ヶ原の合戦間近ですが、一週間後の衆議院選挙はまさに「天下分け目の決戦」」となるのです。

 民主300議席超す勢い…衆院選情勢調査 (8月21日・読売)

 政権選択への熱い夏が…! (8月4日の記事)


ダバオの「カダヤワン・Kadayawan」と「RP‐JAPAN」フェスティバル!

2009-08-21 13:32:33 | フィリピン-ダバオ

 さて、今日は一転してお祭りの話題です。
 カバーの写真は、バギオ市のフラワー・フェスティバル-Panagbengaではありませんよ。これは、ミンダナオ島ダバオ市の「カダヤワン-Kadayawan」という収穫祭でのパレードの一こまです。二年連続優勝したNCCCモールの山車…「た、たっ、高い!」(2006年)。
 
ここバギオ市と、距離ににして約1200km以上も南に位置するダバオ市とのつながりについては、以前もチラッと書いたことがあります。↓
 バギオ-Baguioとダバオ-Davao (クリックして下さい。昨年1126日の記事)

 ダバオ市は行政区域の面積世界一を誇るフィリピン第2の都市で、やはり3月16日の市制記念日「Araw ng DabawThe Day of Davao」には大きなパレードを含むイベントが開催されます。↓
 
そして、今は、このカダヤワン・フェスティバルが開催中で、あさっての日曜日の午前中には、色とりどりの果物や花で飾られた山車が、多額の賞金と栄誉を競ってメイン・ストリートを数時間凱旋します。↓

 http://www.kadayawan.com/ (第24回カダヤワン祭・24th Kadayawan Festival

 http://www.dailymotion.com/video/xa4eee_kadayawan-festival-2009-teaser-the_travel
(カダヤワン祭のプロモーション・ビデオ)

 以下、ダバオ在住時(2003~2007)に撮った写真から…。
 
(満面の笑みで…2004年のカダヤワン祭)
 
(SMダバオの山車の前でにっこり!…2005年第20回目のカダヤワン祭)
 
(国鳥フィリピン・イーグルも熱気で…優勝したNCCCモール・2005年)
 
(おっと、これは大きなドリアンだぁ!…2006年カダヤワン祭)

  バギオ市で2月に開催されるフラワー・フェスティバルととてもよく似ています。↓

 バギオは花盛り・人だかり-フラワーフェスティバル (3月2日の記事)

 ちなみに、バギオ市の人口は、ダバオ市の約5分の1の約25万人です。どちらも少数民族が多く、民族衣装もオリエンタルでユニーク、独自の文化が受け継がれてされています。
 
そして、ダバオ市では、このカダヤワン・フェスティバルの後、すぐに「RP-JAPANフェスティバル」がフィリピン日系人会(PNJK)や日本フィリピンボランティア協会(JPVA)、日本人会などの関係諸団体の協力で、毎年盛大に開催されます。会場は、PNJKインターナショナル・スクール、ミンダナオ国際大学の構内です。以下の写真は、2006年8月末のRP-JAPANフェスティバルです。「RP」は「Republic of The Philippines」(正式な国名)の略です。↓
 
Oh!陣頭指揮をとっているのはダバシューさんじゃあーりませんか!)
 
(お神輿ワッショイ…ミンダナオ国際大学・MKD男子学生)
 
(民族ダンスもMKDの学生が中心)

 今年も、さぞ盛大なものとなることでしょう。「行きたいなぁ…^^;。」


インドネシア人介護奮闘記「ボクがそばにいますから」(NHK)を見て。

2009-08-20 18:05:15 | フィリピン人看護師・介護士(Caregiver)

 昨日19日の午前中、NHKワールドで、「ボクがそばにいますから~インドネシア人介護奮闘記~」という25分間のドキュメンタリー番組を見ました。
 
日本とインドネシア間で結ばれたEPA(日尼経済連携協定)により、昨年の8月に来日したインドネシア人男性「チェチェップさん」と「ヘンリーさん」の介護現場での奮闘ぶりが映し出されていました。
 
その時に来日したインドネシア人の介護福祉士候補者の約100人が、1年経った現在、24都府県51の受け入れ施設で研修(仕事)をしながら、日本語と、3年後の介護福祉士国家試験に向けての勉強をしています。
 
23歳の二人が働いているのは、佐賀県多久市の特別養護老人ホームで、入所しているお年寄りは80人、その平均年齢が86歳で認知症の方が多いとのことでした。でも、当然ながら一人ひとり症状が違いますから、ケアの仕方、接し方も違ってくるでしょう。
 
お年寄りとのコミュニケーションは、日本人でも難しいでしょうが、体が不自由で認知症がある場合など、彼らにとってはまさに手探りの、困惑の日々だと思います。日々の勤務交代の際の申し送りも「ハヤスギテ、ワカリマセン…。」と。
 
現場では「寝させてください。」と「起こしてください。」を繰り返すお年寄りに、「一体どうしたらよいのだろう…?」とぼう然と思い悩むチェチェップさん。「できることなら、言われるようにしてあげたいけど…。」そこに付きっきりでいられる訳もありません。
「インドネシアには、お年寄りのためのこのような施設はない…。」と言います。認知症のお年寄り自体がほとんどいない、ということですから、慣れない異国での初めて経験する介護は、さぞ大変なことでしょう。そうした事情は、イスラム教徒(インドネシア)とキリスト教徒(フィリピン)という違いはあっても、国内事情はフィリピンと似通っています。
 
家族を養うために、自分の将来のためにと、意を決して応募した彼らでしょうが、母国の家族、祖父母のそばにいて孝行ができない、というジレンマを抱えながら、目の前の、彼らを必要としているお年寄りたちに、「不安を取り除いてあげたい、家族のつもりで接したい…。」とあたたかく接しようとする純真な二人です。二人とも、お給料の半分以上はインドネシアの家族に送金しているそうです。
 
施設側としても、渡航費と滞在費を負担し、13万円の月給を支払う上に、日本語や、一度きりのチャンスである3年後の国家試験にパスしてもらうために、できるだけのサポートをしているようでした。でも、施設側にしても、お年寄りの生命を預かっているのですから、二人に早く仕事に慣れてほしいと期待する半面、不安を抱えながらの見切り発車だったのでしょう。その一方で、お年寄りとの接し方を見て、「忘れていた何かを教えられる」と言う日本人スタッフの言葉も耳に残りました。
 
チェチェップさんが、「ボクのなまえ、おぼえましたか?」と何度も伝えようとした挙句、「ケチャップでいいですよ。」と笑うと、お年寄りが「ああ、チェチェップ!」と…。(^^
 
そして一言、「ボクがここにいますから、安心してくださいね。」

 さて、こんな美談の後で何ですが、こちらは、ジェンさんの抜けた後、8月に入って2人の介護の応募者にO...On the Job Training-見習い期間の介護の練習)を提供してきましたが、その2人ともそれぞれに思ってもみなかった(ここではありがち…)出来事が起き、専従介護者と日本人の友人とも相談の上、O...をそれぞれ中断しました。ジェンさんの存在の大きさを改めて感じています。
 でも、まだまだ余裕、余裕…(^^;)。


戦没者遺骨の収集活動と慰霊の碑-故「シスター海野」のご功績(バギオ市)

2009-08-18 20:45:08 | フィリピン-バギオ

 15日の終戦の日、戦没者の慰霊のお祈りに行ってきました。
 
まず、バギオ市内の戦没者追悼碑のある日本庭園で、当地で戦死した祖父のお墓参り、戦争による多くの犠牲者の方のご冥福をお祈りしてきました。(カバーの写真…ここは、フィリピンの中でも、最もよく整備された慰霊碑のある墓地公園の一つだそうです。)
「JANL」(北ルソン日本人会)の山田さんご夫妻、「アボン」(日系人会館)のジュライさん、日本からの訪問者大久保さん(大学院生)、そして介護者のマリアさんとともに、線香とろうそくを立ててお参りをしました。右端は、この日本庭園のお世話をされているレカルドさん。↓
 

 
その後、山田さんご夫妻から、以前(1970年代)、バギオ周辺で、修道尼の「シスター海野(うんの)」が、戦没者(旧日本兵)の遺骨を捜し集めて荼毘(だび)にふし、建てられたという共同墓地(慰霊の碑)があると聞き、そこへも行ってお参りしてきました。バギオ市から少し北のベンゲット州、州庁舎からさらに十数分車を走らせた「アラパン-Alapang」という所にそれはありました。↓
 

 
シスター海野は、還暦を迎え教職を退かれた後、1972年からずっと、当時極めて厳しい境遇に置かれていた日系人の支援活動と、戦没者の遺骨収集活動に寄与され、二十年前に亡くなられるまでここバギオ市で活動を続けられました。シスターと行動を共にされていた、ジュライさんという日系二世の方にお話を伺うことができました。ジュライさんのお話では、遺骨が収集された場所の一つには、レンガエン湾岸のサン・フェルンド市からバギオ市に上っていく「ナギリアン・ロード・Naguilian Road」(ナギリアン道路)という戦地周辺も含まれていて、亡くなった祖母から聞いていた話と重なります。
 
もちろん、そのお墓(共同墓地)に、当地で命を落とした祖父の遺骨が納められているというかどうかを確かめるのは、ほぼ無理でしょう。ただ、たとえわずかでも可能性があるように思えたのです。…↓
 
(慰霊の碑-戦没者共同墓地の裏側です。)

 そして今日、もう一度その場所に戻って、改めてお参りさせていただきました。園芸農家の一農民であった祖父が、すでに日本の敗戦が濃厚だった時期に、紙切れ一枚で激戦地フィリピンへと招集され、バギオが陥落する二日前の1945年4月23日に「戦死」したという通知が祖母のもとに届いたそうです。届けられたのは、その「通知」だけでした。その後、苦労して私の父を含む子供たちを育て、六十二年間を戦争未亡人として過ごし、二年前に生涯を全うした祖母が生まれた日でした。↓
 
(吹いていた風が止み、ろうそくの火がまっすぐに…。)

「一粒の麦が地に落ちて、死ねば多くの実を結ぶ」という聖書の言葉を大切にされ「Do good, be good」といつも口にされていたという故シスター海野のこと、遺骨収集活動の様子を少しでもお聞きしようと、その日の午後は「アボン」で寺岡さん、ジュライさんにもお話を伺えました。写真もたくさん残されていましたが、とてもショッキングなものばかりで、戦争とはいかに悲惨で犠牲が計り知れないものであるか、人々が憎しみ合うこと以外の何物も残さないものであるか、と胸が締めつけられる思いでした。

  
『バギオの虹~シスター海野とフィリピン日系人の一〇〇年』(鴨野守著)


 その太平洋戦争で、それまでに積み重ねられた日本人コミュニティ(戦前、約千二百人もの日本人がいたということです。)、自然に囲まれた美しい街並みが粉々に破壊されたバギオ市…。あと二週間で「バギオ市100年祭」(9月1日)を迎えます。
「アボン」では、9月3日の日比国際平和演劇祭で『ケノン・ロード』初演の舞台に立たれる俳優さんの皆さん、ディレクターの吉田さんともお会いできました。その名称が「山下奉文将軍降伏の日」から「比日友好の日(バギオ)」と改められることになった「9月3日」、この平和演劇祭を契機に、バギオ市における日比友好の新しい歴史的な1ページが開かれるのです。

 http://homepage3.nifty.com/japitac/index.htm

(日比国際平和演劇祭)

(以前の関連記事↓)
 
http://blog.goo.ne.jp/isshin3_ph/e/185f996ed368d753bc90701d2cfb9993#comment-list
(昨年11月1日)

 http://blog.goo.ne.jp/isshin3_ph/d/20090329 (3月29日)

 http://blog.goo.ne.jp/isshin3_ph/e/ee1ad8dabfe0a1c59e44b8a98cec2d86#comment-list (5月25日)

 http://blog.goo.ne.jp/isshin3_ph/d/20090724 (7月24日)

  etc.により、記事のアップが遅れてしまいました。