アイ!サラマッポ in バギオ

フィリピン人介護者のケアを受けながらの、フィリピンでのインディペンデント・リヴィング…、心の赴くまま、ここに記します。

ジョン-John Lennonの命日に…。

2008-12-08 20:06:45 | 音楽

 今日は、ジョン・レノンの命日です。28年前(1980)の今日、ニューヨークのジョンの住まい「ダコタ・アパートメント」の前で、一人の熱狂的なファンの凶弾に倒れ亡くなりました。享年40歳。ただ、今でも暗殺説も…。

 95年9月、ニューヨークへ行く機会がありましたが、フリータイムに真っ先に訪ねたのが、セントラルパークの「ストロベリー・フィールズ」と、その「ダコタ・アパートメント」でした…。

 今夜は、日本武道館で「ドリーム・パワー ジョン・レノン スーパーライヴ」に、ジョンを敬愛する日本のアーティストが結集します。

 ビートルズ-Beatlesが解散する前年の69年3月にジブラルタルで挙式したジョンとヨーコ・オノ。新婚旅行先で「ベッド・イン(Bed-in)」という前衛パフォーマンスで「反戦・平和」を訴え始めて40年目の年です。

Imagine Live - John Lennon - 72

 

 そして、こんなメロディが流れて来る季節です。

A Very Merry Christmas. And a Happy New Year.

  Let’s hope it’s a good one without any fear…

Happy ChristmasWar is over(John Lennon) 

John Lennon Happy Xmas (War is Over)


 今日はまた、その一方で、奇しくもパール・ハーバー(真珠湾)奇襲により、太平洋戦争が勃発した日でもあります。ここフィリピンのバギオ(ジョンヘイ旧米軍基地)にも旧日本軍の戦闘機が現れ、空爆が始まった日でもあるそうです。今から67年前(1941)の今日の出来事です。

<写真> 2002年1月 バギオで戦死した祖父の足跡を巡る旅でした。

パンガシナン州レンガエンは、旧日本軍が海路でフィリピンに入った所ですが、そのレンガエンの町中に、ゼロ戦など旧日本軍の戦争遺留品が整然と陳列された公園があることに違和感を覚えたものです。当時の専従介護者ラニー(右)、テスと。


ラス・ピニャス市のバンブー・オルガン

2008-12-07 18:58:08 | 音楽

 フィリピンで聴きに行ったクラシックの演奏会は、この十年間で二度目です。一度目は、2001年2月の「バンブーオルガン音楽祭」でした。

以前住んでいたラス・ピニャス市内には、世界最古で、現存する唯一の竹製のパイプオルガン(Bamboo Organ)を備えた、通称「バンブーオルガン教会」(セント・ジョセフ教会)があります。毎年二月に、やはり弦楽オケを招いての音楽祭があり、オルガン協奏曲などが演奏されます。石のブロックと竹で造られた教会内に、実に柔らかで荘厳な音色が響きます。その竹のパイプで作られたオルガンは、トーンも正確で、二百年もの間ずっと大切に保護されてきたのです。  

<写真> バンブーオルガン教会の竹で作られたパイプオルガン
    (2001年2月撮影)


バギオ国際音楽祭2008「♪ハーレルヤッ…」

2008-12-07 17:50:13 | フィリピン-バギオ

 昨夜は、3日から四晩にわたる、バギオ大聖堂での「バギオ国際音楽祭2008」の最終日でヘンデルのオラトリオ『メサイヤ』が演奏されました!

 これは、キリストの生涯を楽曲にしたもので、このクリスマスの時期、『第九』とともに世界各地で演奏されますが、バギオにオーケストラ(弦楽だけでも)がやって来るのはめずらしいことのようです。(小澤征爾さんが浦上天主堂でマーラーを振るくらいすごい!?)

 バギオへ来られたばかりの友人ご夫妻、介護者ジェニーと運転手のレオとで聴きに行きました。30分遅れで始まった『メサイヤ』、久しぶりに耳にする生の弦の柔らかな音色が、大聖堂の高い天井に、残響とともに響き渡りました。30人ほどの編成の弦楽オケは、マニラのサント・トーマス大学から、指揮者は多分ヨーロッパから招き、合唱団は地元バギオの大学やクラブの皆さんでした。当日までずい分練習を重ねてこられたのでしょう。想像以上の素晴らしい出来に聴き入ってしまいました。以前、金沢のアマチュアオケでベース(コントラ・バス)を弾いていた小生、ベースの方に目をやりながら、遠い昔を思い出していました。

『♪ハレルヤ』コーラスは、演奏が終わった後、アンコールのような形でもう一度演奏され、その時に聴衆のほとんどが立ち上がって一緒に歌いました。

 バギオ市百周年のプレ・イベントとして、バギオ大聖堂で、初めての国際音楽祭が開催されたそうです。ちなみに私の席はB席で二百ペソ(約四百円)でした。

<写真> 昨日、リハーサル中に許可を得て撮影。

 コンサート後、大聖堂の上には半月がポッカリと…。

放射冷却で「さむーっ…」。帰宅はちょうど10時でした。

 

おっと、こんな写真が…!(^0^;)

25年前の私です…(真ん中)。R. Wagner『ニュルンベルグの…』


13年前の今日(1995年12月3日)…初めてフィリピンにやって来ました。

2008-12-03 18:57:14 | フィリピン-マニラ

 今日、「12月3日」は小生にとって忘れられない日です。

 13年前(1995年)の今日、初めてフィリピンに来て、ルセナ市にあるグリーンライフ研究所『日本人障害者の家』に二か月余り滞在しました。一昨年の5月に腎盂癌のため亡くなられた、代表の「ヒロさん」こと故向坊弘道氏には大変お世話になりました。

 その初めてフィリピンに滞在した時の印象が良く、今に至っているのだと思います。何が良かったか?大きな3つの理由は…。

  気候…12月~2月の乾季で、またそれほど暑くもないベストシーズンの期間でした。

  フィリピン人介護者のケア…親身になって、住み込みで関わってくれました。Tender Loving Care(TLC)という言葉に象徴されます。

  物価の安さ…介護者のお給料も含めて、年金でも生活できる可能性大と思いました。

 

 しかし、実際にフィリピンに住み始めると、日本では考えられないようなことが次々に身に降りかかってきました。よくぞ今日まで…とつくづく思います。

 十年前に、単身マニラに来て自立生活を始めた頃は、いろいろと痛い目にも遭いましたが、それも、自分自身の無知、甘さによるところが大きかったように思います。

 十年経った今でも、日本でないことのリスクをある程度意識しながら暮らしています。

<写真>「東洋の真珠」といわれるマニラ湾の夕日(96年1月撮影)


金沢-Kanazawaとマニラ-Manila 高山右近

2008-12-02 18:34:23 | フィリピン-マニラ

 フィリピンでよく知られている日本人の一人に「高山右近」がいます。

 金沢は、高山右近が家康のキリシタン禁令により日本を追放され、マニラに渡るまでの二十六年間という半生近くを加賀前田家のもとで過ごしたという縁の深い所で、金沢カトリック教会の礼拝堂正面の美しいステンドグラスには、右近が細川ガラシヤと一緒に描かれています。

 日本人フィリピン移民百周年の2003年には、日比共同事業のオペラ『高山右近』が、右近生誕四百五十周年の年に合わせて、フィリピンのマニラとダバオでも披露されました。それに先立ち、日本国内各地で上演され、右近ゆかりの地である金沢でも上演されました。二幕から成るそのオペラの第二幕『平和への道剣か愛か』では、家康のキリスト教追放令により1614年に日本を追われた右近が、長い厳しい船旅の末マニラに着いて以降、熱病に侵されて死に至るまでが熱く演じられました。その亡くなるまでのわずか四十日余りという短い時間に、多くのフィリピン人から歓迎され、「偉大なキリストの騎士」としていかに多くのことを成し得たか、が伝わってくる素晴らしいオペラでした。

「日本からマニラへ追放された者たちに言い遺す。♪剣を取るものはみな、やがて剣によって滅びん!」・・・戦国の乱世を生き抜き、異国フィリピンで客死した右近のその言葉が、その美しいメロディと共に心に深く刻まれました。

<写真> マニラ、パコ駅近くの「高山右近像」

 

 先日も、インドのムンバイで日本人を含む多くの死傷者を出した同時テロ事件が起きてしまいました。戦争やテロ…という武力では何も解決できず、悲惨さ以外の何物も生み出すことができないことを、人類はいつになったら学ぶのでしょう…。