『日々是修行 現代人のための仏教100話』(佐々木閑)の第五話に『瞑想と自転車は似ている』という話がある。
読むなり「ああ、これやこれ」と感激した。周りの人が自転車にスイスイ乗っているのを見て、自分も乗ってみようとすると、当然のことながら最初はうまくいかない。という誰しもが体験しただろうあの時を思い起こしながら読んでほしい。
日々是修行 現代人のための仏教100話 (ちくま新書) | |
佐々木閑 | |
筑摩書房 |
そして、ころんですりむいて泣いたりする。「どう考えても、車輪ふたつで倒れずにまっすぐ走れるはずがない」とくじけそうになる。しかし同じ動作を何度も繰り返すうちに、なんとなくコツがつかめてくる。そして、一瞬だが、すうーっと走れる瞬間が訪れる。
「あ、乗れた」と思うのだが、すぐにまた倒れる。だが、その一瞬の記憶は鮮明だ。その、心浮き立つような瞬間をもう一度味わいたくて、練習に一層力が入る。
すると、その「すうーっと走る」経験がごく自然に続くようになる。ついには、倒れることなく、走りたい時にいくらでも走れるようになる。走りたければ走り、やめたければやめる。こうして人は、自転車という道具を、自分の身体の一部のようにしていく。新たな能力の獲得である。
修行者が瞑想に入って精神を集中させていく過程は、これとそっくりだ。
(Kindle版位置No.274~281)
「修行者がうんぬん」というくだりがどうなのか、さすがに門外漢のわたしにはわからない。しかし、「一瞬だが、すうーっと走れる瞬間が訪れる」という体感と「その、心浮き立つような瞬間をもう一度味わいたくて」という気持ちは、今でも鮮明に残っている。ささやかな、本当にささやかな成功体験だ。人はこうやって、ささやかな成功体験を自分の身体に入れ、新たな能力を獲得し、その繰り返しが成長につながるという、普遍的かつ本質的な喩えである。
「ああ、これやこれ。ある時期からのワシの人生、結局こういうことやったんや」
一瞬だが、すうーっと走れる瞬間
↓
「あ、乗れた」と思うのだが、すぐにまた倒れる。
↓
その、心浮き立つような瞬間をもう一度味わいたくて、練習
↓
「すうーっと走る」経験がごく自然に続くようになる
もちろん、そうそう上手くいく場合ばかりであろうはずもなく、挫折してしまうことも往々にしてあるのだが、そんなことはなかったことにして上手くいった体験だけを身体感覚として蓄え、「やればできる」と自分に思い込ませる。そうやってステップアップしながら今に至っている。
「よし、これいただき!」
羽田発新潟行きの機中、そう決めたわたしは、当日のプレゼンテーションでさっそく使わせてもらった。もちろん、いかにも自分自身のオリジナルであるかのような顔をしてである。
だが、所詮は付け焼き刃。
いまひとつ消化不良のアウトプット。
反応もイマイチだったような気がする。
ということで4日経った今日の「子ども太鼓教室」。またまた使わせてもらった。もちろん、今日も自分自身のオリジナルであるかのような顔をしてである。
だが、またしても消化不良のアウトプットは、イマイチ説得力に欠けたようだ。
しかし、めげずに使っていこうと思う。
そのうち、こなれて来る。
たぶんそうだ。
いや、きっとそうだ。
なんとなればこれは、れっきとしたパクリではあるけれど、わたし自身の体感に違いないから。
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