今年初めて見る雪をちらちら眺めながら年の瀬の新潟遠征。
お供に指名したのはこれ。
日々是修行 現代人のための仏教100話 (ちくま新書) | |
佐々木閑 | |
筑摩書房 |
別のわたしが頭上から笑う。
「その頭にその書、オマエどう見てもそっちの人にしか見えんぞ」
それは一言で言えば「修行」である。誠実に勤め励むことに人生の価値を見いだす。それが仏教の本義である。
間違うこともある、失敗することもある。だが、間違ったら直せばよいし、失敗したらやり直せばよい。ともかく、日々の努力なくしては何も始まらない。そうやって日々、迷い考えながら正しい方向を求めて努力していく。そこに仏教が目指す生き方がある。仏教は、私のぐるぐる回りの人生にも、「それでもいいのだ」と太鼓判を押してくれる。(Kindle版位置No.225)
今回の遠征先は村上市。
そういえば・・・
仙台在住のころ、こんなルートで新潟に来たことがある。
当時在籍していた会社の連日連夜ほぼ休日なしの業務に疲れ果てていたわたしは、とある幹部からミスを叱責され問い詰められ、「そんなにエラそうにゆうんやったらオマエがやれや」と逆ギレし、ひとり向かった先はなぜか新潟(たぶん日本海を目指した)。
「もう戻れんわな」と覚悟を決め、とりあえずあの人にだけは謝っておこうと、新潟駅前の公衆電話から直属の上司に連絡した。
「すいませんでした」と謝るわたしに、
彼が返した言葉は、
「金はあるか?」
予想もしない反応に返す言葉もなく、「はい」とだけ答え、受話器を置いたあと泣いた。
1983年、33年前の夏である。
ことほど左様、色んな人に助けられてきた「ぐるぐる回りの人生」。
気がつけば、ひとりで大きくなったような顔をして生きている。
バカは死ななきゃ治らない。いや、たぶん死んでも治らない。
となれば、
「間違うこともある、失敗することもある。だが、間違ったら直せばよいし、失敗したらやり直せばよい。ともかく、日々の努力なくしては何も始まらない。そうやって日々、迷い考えながら正しい方向を求めて努力していく。」
これしかないのだわ(たぶん)。
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