散日拾遺

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かな文字入力と筆ペンと

2021-11-04 09:46:49 | 日記
2021年11月4日(木)
 前回短く更新したのが10月11日、忙しさにかまけている間に3週間以上経ち、その間にスワローズが優勝し、国政選挙が行われ、いくつかの殺人事件が起き、コリン・パウエル、坪井直、白土三平、柳家小三治が亡くなった。
 前回はローマ字入力していたが今はかな文字入力なので、これもこの間に起きた私的な変化である。かな文字入力は過去数年間に何度か試み、根気が続かず止めてしまった。この10月中旬、スケジュール管理の失敗で5日間に3つの講演・収録を入れてしまい、異なる畑の違う話を並行して準備せねばならなくなった。自業自得…
 そんな次第でほとんど正気を失っていたある日ある時、突然左手がかな文字入力の動きに走った。ある単語を勝手にかな文字で、不思議に正しく入力したのである。脳の働きが謎だというのはたとえばこういうことで、その後の作業を少しも楽にするものではなく、むしろ邪魔になるだけのことだった。
 かな文字入力の利点として、マスターしてしまえば入力が非常に速くなることが挙げられる。たぶん事実だろうが当方には無縁の話、キーボードの4段全てにわたって8本の指を走らせねばならず、ミスタッチの起きる機会が格段に増す。ローマ字入力でも人一倍ミスが多いのに、かなでブラインドタッチをマスターする頃には、とっくに人生が終わってしまう。
 それでも一度ならず挑戦するのは、できないことができるようになってみたいといういつもの虫が、新しい外国語を囓る時と同じく騒ぐせいだが、もう一理由がある。事務屋さんでもなし、速く打つことに興味はないが、静かに打てたら嬉しいと思う。けたたましくキーをこづき回し、変換確定ごとにEnter をこれでもかとひっぱたく某氏は極端として、気づけば自分も随分と騒々しい作文風景である。本来こういうものではないはずだ。

 筆記用具についての平行現象があり、この期に及んで筆の魅力に目覚めつつある。高尚な話ではない、ペンと筆は筆記用具の二大巨頭だが、その作りと思想が互いに全く異なっている。古くは粘土板を削る作業に淵源をもち、堅い先端で刻むことに由来するのがペンというもので、究極の進化形(あるいは退化形)がボールペンである。筆記具を掌に握りしめ、親指を突っ立てて書き殴る姿は世も末の嘆かわしさだが、筆圧で押しつける式の筆記具を使うには、実は理にかなっている。対する筆は柔らかさの集合体である毛先を紙に当て、そこから流れ出る有色の液体の輪郭を記すものだから、力をこめるよりも制御することが秘訣になる。万年筆や水性ペンは両者の中間ということになろうか。
 くどくど書くには実際的な理由がある。精神科の診療にマジメに取り組んだ場合、一日に書く文字数は相当のものになる。新米の頃はボールペンを使っていたが、これでは腱鞘炎を起こさずにはすまないと気づいた。入局翌年から水性ペンに切り替え、当時まだ少なかった選択肢が次第に広がるのを見つつ今日に至っている。今は Pentel の Energel シリーズで、これに限らず最近のゲルインキボールペンは随分よくなった。何しろできるだけ筆圧をかけずに書くよう努めるうち、ふと筆の思想に思い当たったという次第。カルテそのものを筆ペンは、残念ながら無理な相談だけれど。

 『白い巨塔』の原作末尾近く、意を決した里見医師が仕事机から硯を取り出し、墨を擦って辞表を認める姿がある。まことに奥ゆかしく、墨を擦りつつ文案を練るのも本来の姿ながら、この手間がスピード至上の現代における決定的な難点。昨晩放映の『ドクターX』では海老名センセイが筆ペンで怪しげな辞表を書いていたっけな。
 この筆ペンというのが大変な発明で、最近は水彩絵の具にも応用されている。数社のものを使い比べ、これまた Pentel が断然よいことを実感した。(同社に縁故はない。念のため)
 ネット情報によれば、大方のものがポリブチレン テレフタレート(PBT)を素材とするのに対して、唯一 Pentel はナイロンを使い、手間のかかる tapering 加工の工夫で「イタチの毛に近い」使用感を実現したとのこと。日本の技術者の力と根性ににあらためて脱帽する。

 子どもの頃、習字を嫌って逃げ回っていた報いで、折角の筆ペンもミミズの這い跡を記すばかりだが、せめて書の教える心の鎮まりをパソコン操作でも忘れずにおきたい。かな文字入力ではキーを叩く回数がほぼ半減する利点を、人は「速さ」に結びつけるところ、こちらは騒音の低減に活かしたいのである。今どきの棋士らの石の置き方に似て、熱きは内に秘め置かん。そのためにも、ああもう少しミスタイプを減らさんとなぁ…
 ところで昨夜のエンケン海老名センセイ、筆ペンを鉛筆みたいに斜めに握ってませんでした?筆は紙面に垂直にあて、垂直を維持するのが基本ナリと昭和育ちの子どもの心得。
 時代劇でもひどい持ち方をよく見るが、そこへ行くと立派なのが韓流の俳優たちである。『トンイ』でハン・ヒョジュが見事な筆使いをしていて感心したが、その後も基本に沿った運筆姿勢をくり返し見ている。漢字使用を止めた彼の国では、書は当方以上に過去のものになっているだろうに、この点の考証はきちんとしたものだ。

競わんか かかることこそ 競いたし

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