散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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狛犬補遺 ~ only 阿型の戦利品

2014-09-15 11:36:58 | 日記
2014年9月15日(月)

勝沼さんより:
MRIあれこれ/聖火台は誰が造ったか
http://blog.goo.ne.jp/ishimarium/e/fe46283df79722a2450252379e56683a
に対して

【靖国神社の狛犬】
 「狛犬かがみ」によれば靖国神社の狛犬は護国(型)と作者が分類したタイプで、当時の時代背景を表して威厳や威圧感にあふれたものだったと記憶していて調べてみたら。。。 なんと三対ある靖国神社の狛犬の一対は日清戦争の時に清国から持ち込んだものだとか! 石丸先生の記憶どおりのようです。
 日本にまた護国の狛犬があふれないことを願うばかり。。。 

***

 結句はまったく同感。と同時に・・・

【勝沼さんに確認】
 コメントありがとうございます。
 確認ですが、清国から持ち込んだ(戦利品として奪取した?)狛犬が、大鳥居前の「両阿型」のものと考えてよいのでしょうか?」

 超・多忙の勝沼さんなので未だ返信がないが、そう理解してたぶん良いのだろう。
 やはり「阿吽」に対する忠義だては本邦固有のものなのだ。
 いつ始まった?誰が、どんな理由で始めた?

 文化の見える標徴として、かなり重要なもののように思われる。

よだかの星

2014-09-15 11:01:49 | 日記
2014年8月14日(日)
 『ダーウィンが来た』が、ヨタカの子育てを扱っている。
 その姿を初めて見て、賢治の文章を心になぞった。

 よだかは、実にみにくい鳥です。
 顔は、ところどころ、味噌をつけたようにまだらで、くちばしは、ひらたくて、耳までさけています。
 足は、まるでよぼよぼで、一間とも歩けません。
 ほかの鳥は、もう、よだかの顔を見ただけでも、いやになってしまうというぐあいでした。

 初めて読んだ時、涙が止まらなかった。今でも読めば泣いてしまうが、だから読みたくないとは思わない。心の中で読み返さずにいられない。
 賢治だ。
 ところがこの名作を、家内も次男も読んだことがないというので、少なからず驚いた。彼らの落ち度というわけではない。僕は小学校か中学校の国語教科書に載っていたから読み、彼らは教科書で見た覚えがないという、それだけの違いである。そこで例によって焼夷弾的飛躍(丸山真男の用語)をするが、『よだかの星』が中学校卒業までに目に触れない国語教科書なんて、存在意義があるかというのだ。
 国語の教科書が、実はけっこう楽しみだった。そこでどれほど多くのものに出会ったか分からない。
 芥川も井伏も、魯迅もヘッセも、小川未明も井上靖も、憶良も蕪村も、最初はぜんぶ教科書で知ったのだ。

 もう3年ほども外来に通っている女性が、十代から二十代に「悪いことはぜんぶ」やって、警察に捕まらなかったのが不思議という女一代記も後半に入り、教科書で読んだあれこれの文章を思い出しては心慰むというのである。勉強はまるでできなかったし、図書館へ行くようなガラでもなければ、本を買ってもらえる家庭でもなかった。しかし国語の教科書だけは楽しみで、年度初めに配布されるとお話はみなすぐに読んでしまい、何度も繰り返して読んだのだと。
 その思い出す話が、年は10歳以上離れているのに妙に共通していたりする。
 『屋根の上のサワン』だったと思うが、やりとりの合間に同じタイミングで同じ話を連想し、ひどく嬉しかった瞬間があった。彼女にとって、これらの物語はいまを支える現実の力である。僕もそうだ。

 小細工は要らない。読むに値するものを、スペースが許すだけ載せて示す。それだけで国語の教科書は不可換の貴重な役割を果たしている。
 

トルコの選択

2014-09-15 10:44:50 | 日記
2014年9月14日(日)

 「トルコ、米の基地使用拒否 ~ 対『イスラム国』空爆拠点」
(朝刊6面)

 「いったい誰が、高潔な心から戦争をするだろう?元首たちが戦争をするのは、必要だからであり、それ以外では絶対にない。」
(『現代史を支配する病人たち』)

 トルコの指導者たちは、必要とリスクを慎重に考量である。自身イスラムの一員であるだけに、考量すべき要因の数も複雑さも尋常ではないはずだ。前にも書いたけれど、常にロシア/ソ連の圧力の西の正面に立たされてきた国でもある。
 きわめて親日的なこの国の指導者たちと、閣僚・高官級の定期的な交流でももったらいいのに。きっと学ぶことが多いはずだ。

読書メモ 035(?) ~ 『現代史を支配する病人たち』(ちくま文庫)

2014-09-15 09:33:07 | 日記
2014年9月14日(日)
 サボりすぎていて、通し番号が本当かどうかわからない。文庫で400ページほどあるものだが、100ページあたりで嫌気がさしてきた。二人のフランス人の書いたもので、切り口は面白いが表現が乱雑粗雑で考証も荒い。
 たとえば下記、

 「(アメリカ)海軍は彼に船脚の軽い哨戒艇PT109を委ね、ケネディは太平洋に乗り出していった。この軍艦は、1943年、メラネシアのソロモン群島沖で魚雷を受けて沈没する。(P.88)
 PT109は哨戒艇ではなく魚雷艇だ。沈没したのは魚雷を受けたからではなく、深夜の海上で日本の駆逐艦「天霧」と衝突し、船体が木っ端みじんに砕けたためである。

 「1948年、世界一周の途上、ケネディは太平洋の沖縄島にある米軍病院に応急入院している。」(P.90)
 沖縄諸島は南西諸島から台湾に至る弧状の列島群の一部で、太平洋と東シナ海の境界を画する位置にあるから間違いとはいえないが、「太平洋の沖縄島」ではハワイやグアム島と同列で、適切な表現とはとても言えない。

 本筋には関係ない些末なことと言えば言えるが、この種の書き物の価値はディテイルがどこまでしっかりしているかに、大いに依存する。とりわけこの本のテーマが、ディテイルの果たす歴史的役割に関わっているとすれば。

***

 それでも良いところはあるもので、たとえばアメリカ人の書き手が決して逃れることのできない political correctness ~ 欺瞞的な自己正当化といったほうが早いか ~ を毛ほども気にしていないのは、痛快ではある。
 
 「彼らにとってルーズヴェルトはどこまでも高潔な大統領なのであり、アメリカを第二次大戦に参戦させたのは、ヨーロッパをドイツの支配から救い出すためだったと言うのだ。ご立派な文句だが、これを信じるのはよっぽどバカである。いったい誰が、高潔な心から戦争をするだろう?元首たちが戦争をするのは、必要だからであり、それ以外では絶対にない。」
(P.48)

 well said! ただし、その「必要性」に日本の真珠湾攻撃によって太平洋の米軍が危機に瀕したことを挙げているのは、これまた杜撰な時間軸の混乱だ。ルーズベルトが周到に参戦を計画し、その口実を求めて執拗に日本を挑発にかかったのは、真珠湾よりずっと前のことだ。
 まあいいや、ヤルタ会談前後のルーズベルトの老耄ぶりのひどさと、それがいかにチャーチルを失望させスターリンを喜ばせたか、それが詳しく書かれているだけでこの本は十分としておく。 
 ついでに言えば、大戦末期のソ連軍の非道をスターリンとばかり結びつけてきたが、実際にはルーズヴェルトがそれをスターリンに「要請」したことを、読んでいて思い出した。

 「五日目はヤルタ会談の最も重要な日だった。この木曜日に、ソ連はすでに憔悴した日本に宣戦布告(?)することを受託したのである。無駄にアメリカ兵の命を失わせないために、ルーズヴェルトは、ぜひとも日本本土の爆撃を強化しようとしていた。彼の望んでいたことは、シベリアのカムチャッカ(?)に基地を置いて、そこからアメリカの軍用機を飛び立たせること、時機が到来したら、ソヴェト軍が日本本土を壊滅し、獲物の分け前にあずかることだった。その代りとして、スターリンの宿願である、ソ連のアジア進出の野心を満足させる用意がルーズヴェルトにはできていた。この交渉は、会議の始まる30分前、チャーチルを呼ばずに、ルーズヴェルトの執務室で密かに成立していたのである。」
(P.41)

 これもひどいな。ヤルタ会談は1945年2月で、米軍は既にサイパン島などに爆撃基地を完成させ、3月には東京・大阪・名古屋などすべて壊滅するのだから、この時点でソ連にカムチャッカの基地の相談などするはずがない。ただ、米軍のリスクを軽減するためにソ連軍の参戦を求めたのは、事実とされている。それは米英の国益から考えても愚劣のきわみだった。
 明晰老獪なチャーチルは、さだめし地団太踏んだことだろう。
 「チャーチルは叫んだ、『老いぼれの病人め!』実際には、チャーチルの方が8歳年長だったのだ。」
(P.39)
 

***

 見直せば見直すほど、記載の誤りが続々と出てきてしまう。誰がどういう病気だったかに限ってリストにしておこうと思ったが、著者らの医学理解の程度にも疑問があり、その点でも怪しいのでやめておく。
 「必然的な」歴史の流れが、時の指導者の病気というような偶発事に悲劇的に攪乱されることがある、それを知っておけば十分だ。