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夏目漱石を読むという虚栄 1440

2021-02-15 23:08:39 | 評論

   夏目漱石を読むという虚栄

1000 イタ過ぎる「傷ましい先生」

1400 ありもしない「意味」を捧げて

1440 忖度ごっこ

1441 昭和のいる

 

へえへえ、わかった、わかった。昭和のいるの口癖。そして、吉本のスタイル。

 

<一体、吉本隆明って、どこが偉いんだろう。吉本が戦後最大の思想家だって、本当だろうか。本当かもしれない。本当だとすれば、吉本がその住人の一人である戦後思想界がどの程度のものであるか、逆にはっきり見えてくるだろう。

大思想家の条件は、第一に、常人にはよく分からないことを書くことであるらしい。花田清輝もそうだし、小林秀雄もそうだ。よく分からないことを書けば、読者は必死になって読んでくれる。そして、俺をこれだけ必死にさせるのだから大思想家だと思ってくれる。読んでいる途中で挫折することもあるだろうが、結果は同じである。さすがに大思想家だ、俺には読み通せないと思ってくれる。

(呉智英『吉本隆明という「共同幻想」』)>

 

タイトルは〈「吉本隆明」は大思想家だ「という「共同幻想」」〉などの略。

『日本衆愚社会』(呉智英)では「吉本語」の「日本語訳」が試みられている。翻訳可能なら、支障はなかろう。

 

<吉本隆明の『共同幻想論』(1968)によって現代日本思想界に定着した概念。

(『ブリタニカ国際大百科事典』「共同幻想」)>

 

「共同幻想」と〈付和雷同〉の区別は可能か。区別は不要か。

 

<斎藤緑雨を気取った、ひどく屈折した文体が指し示しているのは、小林秀雄、江藤淳、吉本隆明のことである。由良君美はこの3人を、方法論を欠いた印象批評の輩として嫌っていた。

(四方田犬彦『先生とわたし』)>

 

私は「この3人」を〈慢語三兄弟〉と呼ぶ。何四天王と合わせて〈売れてらセブン〉だ。

「方法論」は昭和の流行語で、多くの場合、〈方法〉のことだった。

 

<歴史的あるいは心理学的な方法によって、科学的、実証主義的な批評基準の確立を目指すテーヌ、ブリュンチエール、ブールジェらに対して、ゴンクール兄弟やルナンの流れをくむA.フランスやJ.ルメートルらは、芸術の世界における客観主義は疑似科学にすぎぬとし、批評家の任務は鋭敏で幅広い感性に刻みつけられた印象の忠実な記録にあると主張した。

(『ブリタニカ国際大百科事典』「印象批評」)>

 

私は、こういう専門的な話をしているのではない。普通の読み方について考えている。

 

1000 イタ過ぎる「傷ましい先生」

1400 ありもしない「意味」を捧げて

1440 忖度ごっこ

1442 野口さん

 

忖度は日本の惨めな悪習だ。自分の考えを他人の考えと混同して威張る。

 

<で、それから、もう一つは、今言われた日本近代文学の『こゝろ』論の歴史みたいなもので、最も浅薄と思われてることが深い意味があるような解釈として、この小説が読まれていったという歴史があり、それはことによると、今日われわれが読んでいる現代小説にも、これに似た、虚構の散文の論理として成立していないものを、われわれがあまりに多くのことを考え過ぎて読んでやっているということにもつながりませんか。例えば、誰の小説でもいいわけなんだけれども、ことによると、『こゝろ』はそれよりも出来としては惨めなのかもしれない。

(「〔鼎談〕『こゝろ』のかたち」における蓮實重彦の発言*)>

 

「われわれ」は「あまりに多くのことを考え過ぎて読んで」やらなければならないような日本社会に生きている。とにかく、〈目上の人の発信した情報には「深い意味」(下三十)がある〉と思ってやらなければならないのだ。

 

<戦前、インテリ青年必読の書だった、西田幾多郎の哲学書は「絶対矛盾的自己同一」といったような難解語句が満載されているところから、いかにも深遠なような気がしてありがたがった人が多い。私たちの旧制高校時代には、ベストセラーの筆頭は河上肇の『第二貧乏物語』であった。そしてこれは、小学校へもろくにいかなかったような日傭い労務者を含めた勤労階級を読者に予想したものであるにもかかわらず、これまたはなはだしく難しい本だった。戦後では、埴谷(はにや)雄(ゆ)高(たか)氏が難解ホークスの異名をとっている(東京新聞昭和50年2月4日)。鶴見俊輔氏によると「進歩的学者の書くものは腹ごたえがしない」という人がまだかなりいるという。しかし、教室でわかりいい講義をしていた教授に「もっと難しい講義をしてくれ」とたのむ学生はだんだんへっていくようで(平井昌夫『言葉の教室』Ⅱ)、結構である。

(金田一春彦『日本人の言語表現』)>

 

この本で、金田一は『枕草子』の次の文を批判している。

 

<少し日たけぬれば、萩(はぎ)などのいと重(おも)げなりつるに、露の落つるに枝のうち動きて、人も手触(ふ)れぬに、ふとかみざまへあがりたる、「いとをかし」「いみじうをかし」といひたること、人のここちにはつゆをかしからじと思ふこそまたをかしけれ。

(清少納言『枕草子』「九月(ながつき)ばかり夜一夜(ひとよ)降り明かしたる雨の」)>

 

ククク……。野口さんだね。『ちびまる子ちゃん』(さくらももこ)の、あの暗い少女。

〈だよね。そういうの、「をかし」って、私もよく思うもん。友達になろうよ〉と言われたら、ナゴンはどうしたろう。ククク……。

 

*「漱石研究」第6号所収。

 

1000 イタ過ぎる「傷ましい先生」

1400 ありもしない「意味」を捧げて

1440 忖度ごっこ

1443 井戸茶碗

 

「純日本風の家屋」(谷崎潤一郎『陰翳礼讃』)など、ありえない。「純」と「風」は矛盾するからだ。〈独創かつ模倣〉はナンセンス。朝鮮の「日常雑器」(『日本歴史大事典』「井戸茶碗」)などを〈純東洋風〉と勘違いするのが「純日本風」の倭人の習性らしい。

 

<日本人は(ママ)、昔から「行間(ぎょうかん)を読む」などという感覚があった。そして人の気持ちは”以心伝心(いしんでんしん)”で伝わるものだと思っている部分がある。心の細かいヒダの部分は「いわなくても察しなさい」ということである。

こうしたニュアンスは、欧米人には理解しがたいものである。彼らは奥ゆかしさとか心の機微というようなものには価値を置かないのである。強烈な色彩の油絵を好む欧米人と、墨絵のような淡(あわ)くほのかな濃淡(のうたん)の絵を好む日本人の違いである。

この根底のひとつには、宗教の違い、そしてその宗教を受け入れた体質的な違いが影響しているのではないか。

欧米には神はひとつとするキリスト教が根づいて、それに影響された西洋的な論理では、正しいものをひとつとする考え方がある。そこには中間的な曖昧(あいまい)な答えは存在しない。イエスかノーか、ひとつの答えのみが要求されるという論理が植えつけられてきた。

しかし、日本においては絶対的な宗教は根づかなかった。そして神道(しんとう)や仏教が混在し、神もあれば仏もある。あれもよし、これもありという考え方が存在しているのである。

(斎藤亜香里『道歌から知る美しい生き方』)>

 

「行間を読む」という習慣は、漢文の訓読法がもとになっているのではなかろうか。「以心伝心(いしんでんしん)」は「唐の禅僧、慧能に始る言葉」(『ブリタニカ』「以心伝心」)だそうだ。

「欧米人」はさておき、アフリカ人はどうか。「墨絵」は東洋画。白隠や蕭白は見た? 

漆器つまり小文字のjapanは地味か。鉦太鼓の音は地味か。花火、旗印、武具、馬具、陣羽織、金閣寺、九谷焼、日光東照宮、象嵌、歌麿、若冲、光琳、ねぶた、錦鯉、宗達、絵金、団十郎、光悦、赤門、大文字焼きは地味か? 桜も紅葉も地味か? 

天使や聖母を小文字の〈神〉と考えれば、キリスト教も多神教だ。「イエスかノーか」は山下奉(とも)文(ゆき)(『ブリタニカ』)の言葉。「ひとつの答えのみが要求されるという論理」は意味不明。

「あれもよし、これもあり」の真意は、〈それだけは無理〉だろう。初めは、何でもかんでも無差別に受け入れるふりをする。だが、自分の願うような「美しい生き方」が続けられなくなりそうだと、不意に異物を排除する。「論理」がないからできるわけだ。

 

<考えて見(ママ)ると、私なぞは古代日本と朝鮮、シナ、南洋、或は阿蘭陀文化の雑種のようなものである。そうした混淆した土俗・伝説・言語の間に育てられて、かえって同じ日本の東北地方とは縁の遠い私たち児童であった。

(北原白秋『一握の花束』)>

 

北原白秋は福岡県出身。彼は「国民詩人」(『ニッポニカ』「北原白秋」)とされる。

(1440終)


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