中国では花を君子と呼ぶことがある。昔から四君子と呼ばれる花がある。「蘭」「菊」「梅」「竹」。この4つの花を文人・詩人に例えて表現する場合もある。
蘭は「屈原(くつげん)」、菊は「陶淵明(とうえんめい)」、梅は「林和靖(りんわせい)」、竹は「蘇東坡(そとうば)」と言われている。それぞれ中国の歴史上有名な詩人である。
その中で、煎茶稽古のお題は、お軸にあるように蘭について。それは、つまり紀元前の戦国時代の楚の政治家で詩人の「屈原」の話につながる。
屈原といえば「離騒(りそう)」が代表作である。この詩は、中国の戦国時代の楚地方で謡われ「楚辞(そじ)」という様式を代表する有名な詩である。南方の「楚辞」に対して北方は「詩経(しきょう)」といわれ、共に中国の後代の漢詩の源流になったとされるものである。
楚辞の代表的な長編詩である離騒では、屈原がありもしない事をねじ曲げられて追放され、失意のあまり投身を決意するまでの心境を夢幻的に謡った詩である。その一節に下記のくだりがある。
朝飮木蘭之墜露兮 夕餐秋菊之落英。
苟余情其信以練要兮 長頷亦何傷。
「朝に木蘭から落ちる露を飲み、夕べには香しい秋菊の花びらを食事としてとる」という訳になる。「私は、ただ主上と国の為に仕えて来たし、ただ国を守りたいがために身も心も高潔に修養を積んだのにどうして分かってくれないのか」という心情を表した意味である。
屈原は、心情を表現する場合「蘭」や「菊」等の花で描写することがよくある。とくに「蘭」は精神性の高い高貴な花として頻繁に詩に登場している。紀元前の話がいまも脈々とつながっている。
いまも蘭がお祝いなどに贈られ花としては多い。屈原のこの「離騒」からの名残であろう。
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