ライブ インテリジェンス アカデミー(LIA)

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驚嘆する「白隠禅師」の表現力

2024-08-29 15:20:55 | 雑感

この絵であるが、臨済宗の中興の祖といわれる白隠慧鶴(はくいんえかく)禅師が描いたものである。ユニークでユーモラスなタッチで描かれている。よく見ると、丸太橋の先が対崖まで届いていない。橋としては役立たずであるが、座頭(盲人)は懸命に渡ろうとしている。その姿の描写と、対崖と丸太橋の先との間に賛(文字)を入れ、その絶妙な描写が白隠禅師の真骨頂であろう。

 

その賛は、というと

 

養生も 浮世も 座頭の丸木ばし
渡る心が よき手引きかな

 

という文言に惹かれ、以前掲載した記事に加筆してみた。

 



絵を見ると、座頭が杖を頼りに丸太橋を渡ろうとしている。右端の座頭はその杖を伸ばし探りながら、次は体を折り曲げ手で確認するかのごとく、そして最後に杖に履物をくくりつけ腹ばいになって丸太橋を渡っている。なんと滑稽な姿で表現されている。思いもよらない発想で描く白隠禅師の芸術的表現力には驚嘆するばかりである。江戸時代に活躍した著名な浮世絵師たちも、きっと白隠禅師の絵の描写力を参考にしたに違いない、と勝手に思っているが・・。

 

この絵は、人生という厳しい橋を渡る様子を描いている。一人の人物の三段階変化を表わしているといわれている。つまり、眼の不自由な人に習え、ということだろう。座頭が丸木橋を渡るように、あわてず、そろりそろりと、慎重に渡ろうとする心構えが世の中を渡る手引きとなる、ということを伝えた一枚である。

過信していると、情けなくも高転びに転ぶことも多いということの暗示である。どんな時代でも大切な言葉として心に留めておきたいものである。

 

 

白隠禅師の自画像といわれている絵

 

 


文/ 渡邉雄二

写真/ 白隠慧鶴画のフリー画像より

 

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