無題

特になし

サザンの「闘う戦士(もの)たちへ愛を込めて」よりZELDA(ゼルダ)「Ashu-Lah(アシュラ)」を思い出す

2018-09-16 10:08:52 | Weblog

今朝、MTVを見たら、サザンオールスターズ「闘う戦士(もの)たちへ愛を込めて」のミュージックビデオが流れました。
https://www.youtube.com/watch?v=uSFdckpwXQc

歌詞など
https://ameblo.jp/for-ever-young/entry-12369389440.html



落ちこぼれて、田舎に職がなく都会に出てきたサラリーマンで負け犬人生中の自分と重なりました。

ま、自分は、この映像のピラミッドを這い上がるエリートサラリーマンの競争のリーグ、カーストには入らない枠外の下流、下層ですが・・ま、いいか。

桑田さん、ときどき、どうして、こういう社会派?の曲をメジャーな場で出すのだろう?
60年代のフォークやロックの伝統?を伝え続ける義務があると思っているのか?




本題です。自分が大学生の1980年前後、学際などに来ていたゼルダというバンドのアシュラという曲を、サザンのビデオを見ながら、思いだしました。

サザンの映像では、ピラミッドですが、ゼルダの歌詞では、埋め立て地の砂山です。
人間が、資本主義を経済をテクノロジーを、いくら、ドライブ、ふかしても、バベルの塔のように、崩れるか、目標がかくれんぼで消えてしまい、どこにも至らない。報われることはない。


『妄執によって苦しむ争いの世界。果報が優れていながら悪業も負うものが死後に阿修羅に生る。』(wikipedia)


サザンやゼルダが描いた、厳しい現実世界は、宗教的な心の開放(欲の質を変や方向性を変える?)より他に、解決策は、ないのでしょうか。自分は、経済でもテクノロジーでも政治でも、リアルな世界にも、別な抜け道?代替?を絶やさず、多数、並走させることが、肝要に思えてならないのです。

芸術には、ならないのでしょうが、サザンやゼルダの、その後の展開を、別解の展開?を聴いてみたいです。



▼ZELDA/Ashu-Lah
https://www.youtube.com/watch?v=D2h51dhwlSo

注)後期の整理された歌詞より前期の混沌とした歌詞のほうが、自分、好みです。但し、耳が悪く、聞き取ったものなので、不正確です。すみません。




コンビナートの砂山を 必死ではいあがっても
お山の大将は どこにもいない


金色の頂上さえ どこかに雲がくれ
終わりのないかくれんぼが アスファルトの地面をならす
(終わりのない戦いが アスファルトの地面をならす


窓から見える 車の流れは ナイフのよう
光をとばし 窓わくの絵を切りさく


(太陽をあびて 輝く巨大な夢が
キラキラと反射して はてない幻想を誘い出す)


細胞がふわふわと 必死に増えて頭の中
変わらない 変わらない 休日無縁の向上心となる


いつか金色に 染まろうとする人が
働きずくめで白くなる バタバタと粉になる


毎日いらいら 何もおもしろいことがない
道で拾ったの 淡い空白の時間


太陽の端で 輝くコンビナートの船
キラキラと反射して 私の幻想を誘いだす


からだ ビートになる ま昼の皇帝(光景)
目を閉じて またあければ
広がってゆく道路系


コンビナートの砂山を 必死ではいあがっても
お山の大将は どこにもいない


ひい・ふう・みい・よ
いつ・むう・なな・や


ひとは 死螺旋
あしゅら 死螺旋


(ギシンアンキ
アシュラヒソム)




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